前回紹介した「清水磨崖仏群」より次の目的地に向かう道筋、集落道入り口に立つ曰く有り気な仁王像を見かけた。
傍らに立つ説明板を見ると例に洩れず廃仏毀釈で廃寺となった宝光院という寺の遺物で有るという。
このまっすぐに伸びる道はかって宝光院の参道だったのだろう・・・・、現在田畑の中を行く田舎道にすぎないけれど。
像高共に2m余り、顔は潰され両腕を署・ャ取られ、「道切り」宜しく佇んでいる。
向かって左、顔を潰され阿形だか吽形かも解らないけど・・・通例に従えばこちらは吽形仁王像・・、両腕もかたから先を破壊されている。
片やこちらは向かって右手阿形の仁王像・・・・各の如くの痛々しさ。
白く見える地衣類がまとわり付いていて、いかんとも見るに忍びない。
宝光院はこの地を治めた川辺氏の菩提寺とされ、西暦1200年頃の平安末期に創建された真言宗の大寺だったと伝える。
明治二年廃仏廃毀釈で廃寺となり姿を消した。
これより少し先、県道脇にはローカル色豊かな石塔群。
直ぐ目の先に見える清水小学校付近から発掘されここに並べられたようです。
破壊された仁王像の大きさや、その丁寧な造りから宝光院の歴史や規模が窺われる。
ちなみに三日間走りまわった薩摩では、何処でも見かける地蔵や小石仏の類には一切お目に掛からなかった。
見かけたのは薩摩地域独特だと言う、あの「野の神さぁ」ばかり・・・・。
撮影2011.12.21