清泉寺跡磨崖石仏群は小高い斜面を挟んで大きく二ヶ所に分かれる。
あの重い空気の林から逃れ細い道成りにだらだら歩くと、新しく整備された川沿いにだだ広い空間と言うか空き地・・・・・。
此処も廃清泉寺境内の一部だったのだろう。
空き地はなだらかな斜面の緑を背、谷川の流れを前にして在り、僕がこの地に着いた時、それらしき5~6人が何やら真言らしき文言を脇目も振らずに唱えているのに出遭った。
その目の先、流れの向こうの川岸岩壁には一対の金剛力士(仁王)像、中央には短冊形の彫り込。
向こう岸に行くのには又車を移動して廻り込まなければ成らないようなので・・・・、ちょっと無理して谷川の流れを渡り向こう岸に辿りついた。
こちら向かって左手、吽形仁王・・・
直立する崖壁に深い舟形光背を彫り込み、目一杯大きく仁王像を刻み出している。
力強く刻み出したその像高は2.5m・・・・。
向かって右側には阿形仁王像・・・
吽形仁王にやや向き合うように立つ岩壁に同様同高で刻まれ、阿形は左手、 吽形は右手に金剛杵(こんごうしょ)を持つ。
両像共に力漲る顔容に比べ体躯は貧弱でなんとなくアンバランス。
貞享元年(1684)江戸時代前期の造立。
こちら広場背後?斜面崖に刻まれた磨崖石仏、遥か頭上高く、とても近づくには危険すぎてどうしようも有りません。
この右手側にも、もう一体刻まれているはずですが?木陰に隠れてしまっているのか確認出来ません。
写真の像は像高約2m、「妙有大姉像」と呼ばれる、髪を逆立てた甲冑姿の天部像。
少し奥の斜面には宝剣磨崖と呼ばれるこんな物も・・
この清泉寺もまた廃仏毀釈の波に飲まれて廃絶、薩摩地域の寺は悉く跡形も無く消え果てたのだろうか??
どこか近い隣国でも同じような光景に出会ったような・・・・、新しい時代は過去の否定からしか始まらないのだろう??
哀しい現実です。
撮影2011.12.21