愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

鹿児島県霧島市隼人町 隼人塚

2012年01月03日 | 石仏:九州

薩摩を代表する石造物といえば、あのちょっとコミカルな「田の神さぁ」とこの隼人塚の石塔と四天王石像。

JR日豊本線隼人駅の裏側、西へほんの少し行き踏み切りを渡った線路と道路に挟まれた一角に有る。

いつもながら詰めが甘いと言うか、ここを訪れたのは12月19日、運悪く月曜日で隼人塚史跡館と共に、その横に在る駐車場も鎖を掛けられ進入禁止、館内に有るという石仏にはお目に掛かれず終い。

それでも隼人は田舎町、道路わきの広いスペースに車を停めて史跡公園内に入る。

以前はどうだったのか??、現在すっかり都会化の波が押し寄せ背景にはJRの架線と背の高いマンション、景観は望むべくも無く、おまけに1999年何次かの発掘調査を終えすっかり整備が行き届き、ちょっと物足りなさを感じる。

横長の方形土壇の中央に五層石塔が三塔、その四方を固めるように、あの独得な分厚い兜を着けた四天王が佇んでいる。

隼人塚は、熊襲の祟り鎮めるため和銅元年(708年)に造ったという説と、養老四年(720年)の隼人族反乱の犠牲者を弔うためのものだと言う説があるそうですが、一方「隼人塚」といわれる史跡はここより程近い国分重久付近にもあり、現在の史跡隼人塚はこの地で廃寺になった遺構では・・・、と言う説がある。

中央の五層石塔が一番大きくて高さ6.6m、しかし初軸部の四方仏は悉く破壊されたのか痛々しい姿です。

それでも上部軸部にはそれぞれ仏像が刻まれ畿内では見かけない特徴を持っている。

向かって右側の五層石塔、高さ約5.6m、上は正面から、したの画像は背面です。

やっぱり決めの粗い凝灰岩ですが・・・・こちら四方仏の保存状況は良好でした。

第三塔は向かって左側、同じく塔高約5.6m・・初軸部は健在、どの塔ともに上層部は新しく後補されたりしているようです。

土壇は東西に約15mばかし、四天王は全て南面して四方を固めていますが・・・・はてさてここに来て困った事にどれがどれだか??

方角や持ち物から推察するに東側にあたる向かって右側前列は持国天像??、左手に(げき)?を持ち大きな兜、足元基壇には邪気をが刻まれています。

こちらは後部画像です。

前列向かって左側の像、南方は多分増長天、顔面は潰れて居ますがよろいを被り、長い刀を杖の様に持っています。

その背後、西面は広目天、像高ともに約2m、兜の正面に大きく獅子面を付ける。

台座の邪気ともに凝灰岩の一石丸彫り、量感にあふれ補修も少なくほぼ完品です。

残る北方は多聞天像、兜は大きく破損しているが大きな目玉をぎょろりとむき出し精悍な顔付き・・・・鎧の様子が良く解る。

約1000年以上も前の平安時代の様式を良く伝えている。

僕はこの四天王像に古代熊襲、隼人族の面影を見る思いがするのだが・・・・・・・ここ僕の住む山城にも隼人族にゆかりの深い古社が有る。

撮影2011.12.19