愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

慶尚北道慶州市 芬皇寺(ブンファンサ)三層模磚石塔/他

2011年10月30日 | 韓国 石仏:史跡他

日本には移入されなかったのか?往時、明日香や平城京時代には在って、崩壊し果て現代では見ることが出来なくなってしまったものだろうか?とにかく今の日本では見ることの出来ない石塔に違いない。

去年慶州に来たときにもどうしてもこれが見たくて寄ってみたが運悪く修復作業中、足場が組まれテントや網に囲まれ殆ど見られず終い、今回もまたまた訪れた。

此処は慶州新羅遺跡群の中でも最東端、国立慶州博物館前の信号からテクテク耕地の中に広がるだだっぴろい「皇龍寺跡」などを巡りながら約30分も歩くと到着。

なんと言ってもこのレンガを積み上げて造ったような石塔は僕の目にはなんとも新鮮・・・、中国西安の小雁塔(しょうがんとう)などの磚塔を模して造ったものだと言われています。

此処はしっかり慶州の観光地、人出も多く拝観料もそれなりに取られます。

芬皇寺(ブンファンサ)三層模磚石塔と呼ばれるこの石塔は、善徳女王の634年、芬皇寺創建と同時に造られ、13.6mの石積み基壇の上に建つ高さ9.3m三層磚塔。

長さ30~45cm、厚さ4.5~9cmの安山岩切石をレンガ状に積み重ねています。

下部四方向に開口部があり、入り口を仁王像が守り、基壇四方向をヘテ(日本の狛犬に相当する?)と海獣に守らせている。(この両方がヘテだとする資料も有って良くわからないが・・・)

<これがヘテと呼ばれる韓国狛犬>

これなら全く日本の神社に居る狛犬と変わりは無いですが・・

このヘテは高句麗から、海獣は倭寇の進入を食い止め、国(新羅)を守ることを願って据えられたものだといわれ、その方角を向いています。

有る資料などに拠るとヘテは獅子と海獣を両具した聖獣だとも言われ、ソウル景福宮光化門前で見られるそうですが??

こちらどう見てもオットセイかセイウチ、倭寇から新羅を守るには頼りなさげです。

現在は三層のこの磚塔も幾度と無く崩壊再建を繰り返したらしく、明らかな根拠は無いようですが当初九層磚塔ではなかったか?と言われています。

現在有るものは1915年、当時植民地化していた日本人の手によって解体復元されたもののようで、どの程度原型を留めているかは解らないとされています。

しかしそれはさて置き、開口部脇の仁王像を西面から・・・

向かって左の仁王像・・

右側・・・・・どの像も胴長短足、余り格好よくない。

南面は・・・

左側像は顔が削ぎ落とされたよう・・

右側像・・・・全て像高150cmぐらいかな??

次に東面・・・この左右の基壇隅には例の海獣

こちら左側・・

こちら右側で顔が潰れています。

ぐるっと一廻りしてこちらは北面

左側・・

右側の仁王・・・しかし、どの仁王にも迫力に欠け・・・・、これじゃなあという気がしないでもない。

こちらは去年行った時の画像です・・・・・これではやっぱり艶消しですもんね。

おまけは境内片隅にあった石仏さん。

やっぱり顔も手印も削がれています。

戦乱の犠牲者か??儒教のせいなのかは判然としないようですが??付近の古井戸からも大量に首の落とされた石仏が発見され(後から何点か紹介しますが)慶州博物館の庭に展示されています。

因みに芬皇寺(ブンファンサ)三層模磚石塔は韓国国宝30号に指定されています。

撮影2010.10.16/2011..10.2

場所