像高6mに及ぶ単立する巨大な石仏です。
しかし、やっぱり戦火に飲み込まれれ、最早見る影もなく焼けただれ、激しく傷んでいます。
前回紹介の萬福寺址より南原市街を越へ西方約12~13km、龍潭の流れが大きく迂回する内側台地に龍潭寺址があり、現在小さなお堂が2~3再建され、僧侶がその址を守っています。
ネットのページなどを見ると青天の下この巨大な石仏の写真を見かけるのでこの覆屋が建ったのはそう古い事では無さそう。
若い僧侶は僕たち日本人初老の僕たちを気持ちよく迎えてくれて、親切に接してくれた。
宝物第42号に指定されたこの石仏は、楕円形の自然石を利用した台座の上に立つ、一石から彫り出した如来形石仏で高麗初期の造立。
光背も頭上脇から欠損したのか奇妙な形に成っている。
それにしてもよほど戦火が激しかったのか石仏の焼け爛れかたもひどいもの・・
尊顔の目鼻立ちなども全く想像にまかすより他にない。
両手は前で腹部で組んでいるようにも見えるが激しい傷みでなんとも・・・・・。
この石仏の前で僕たち日本人は手を合わせ懺悔するより他になかった。
一方石仏の前には石燈籠・・・
その前方には今にも倒れそうなほどに細く高い七層石塔が建っている。
高さ約10m、高麗時代の造立。
他では見かけない造形・・・、こんなものが倒れもしないで良く建ち続けているもんだと不思議に思わざるを得ない。
撮影2011.9.30