愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

全羅北道南原市 萬福寺址石仏/他

2011年10月19日 | 韓国 石仏:史跡他

KTR全羅線南原駅に程近い市街地からは少し外れた小さな川沿いに有る大伽藍跡の萬福寺址。

此処も文禄慶長の役ですっかり焼け野となり、つい最近の1985年に発掘調査が終え、現在3200坪のだだ広い境内は国の文化財に指定され、石塔や石の遺物のいくつかが靜かに寺跡を見守って佇んでいます。

史書に拠ると高麗時代の文宗(1046~1086年在位)に創建され、五重塔や像高12mにも及ぶ金銅仏が有り、数百名の僧侶が修行に励む大規模な寺院であったようです。

現在整備された寺域は、いくつかの土壇と新しく建てられたお堂が一棟、韓国の田舎民家をバックに、あとは緑一面の野原となって整備開放されています。

史跡の中に足を踏み入れるとなんとも目につくこの石造物・・・・・・??なんとも奇妙な石仏??チャンスンを思わすような柱状体躯に振り返ったような頭部。

土俗的な顔付き、両手は前に掲げ腰から下には裳を付けていて・・、なんとも見かけた事がない。

石人像と呼ばれているようですが???良くわからない。

ここを訪ねた第一の目的は何と云ってもこの石仏さん。

今まで草むしりをしていた数人のオモニが国定宝物石仏の傍らで昼寝をしていて、なんともおおらかな有りのままの韓国を感じる。

像高約2m、台座を含めた総高は3mにも及び、台座光背を含め一石の花崗岩より彫り出している。

円頭光を中心に見事に装飾された光背、良く引き締まった体躯、手首から先は欠損しているが施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)を示していたと考えられる如来型石仏です。

永らく土中に有ったのか比較的保存は良いが戦乱に遭ったのは素人の僕にも一目で解る。

この寺の創建時(1046~1086)と共に造立されたと考えられ、宝物第43号指定。

堂の傍らに建つ萬福寺五層石塔。

塔高5.5m 、やっぱり戦乱の傷痕か欠損していて痛々しい。

 

寺の創建時に造立、宝物第30号に指定されてる。

宝物第32号指定の幢竿支柱。

萬福寺創建時の高麗時代のものだとか・・・。

韓国の古寺址には必ず有ると言える程良く見かける・・・・、荒野に屹立する幢竿支柱は韓国の原風景かも??

しかし日本では見かけたことが無いけど、どうしてこれは伝わらなかったのだろうか??

これも創建時に造られたと云う佛像台座、宝物第32号指定。

どんな仏像が鎮座していたのだろうか??

台座から想像するにかなり素晴らしい巨像が有ったに違いない。

因みにここは誰でもが通りすがりにでも足を踏み入れる事が出来る全くのオープンスペースです。

撮影2011.9.30

場所