愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

伊賀市西山 御斉峠(おとぎとうげ)の石仏

2010年12月05日 | 石仏:滋賀

この石仏は何度も何度も近くまで行って居ても見つけることが出来なかった石仏さん。

<新道御斉峠・・甲賀側から伊賀側を見る>

御斉峠(おとぎとうげ)は甲賀と伊賀を分ける信楽高原の高旗山頂上近くに在って、その昔「徳川家康」が明智光秀の変の折,大阪から急遽自領へと逃走した伊賀越え道として名高い。

<伊賀側麓の西山地区辺りから見た御斉峠付近・・・・中腹辺りに山肌を削った新道>

石仏はこの家康が逃走道として案内された御斉峠の旧峠道脇に有ることはわかっていたが新道を何度自動車で探してみても旧道への進入口が見つけられなかった。

それがひょんなことで旧道への進入口が見つかったので早速石仏探索に出かけた。

新道の峠から少し伊賀側に下った旧峠道への進入口・・・・ガードレールの切れ目が有るだけで何の表示も無く車で走り抜けているだけでは全く解らない。

少し下って新道を見上げる。急傾斜の上に落ち葉道・・・・・・

落ち葉を踏んで人が歩いた形跡など殆ど感じられない。

新道から獣道のような旧道を下ること約15ぐらい、クネクネ曲がりの右手に大きな岩が見えてその上部に1m弱の舟形光背を彫りくぼめ下部には蓮華座を設け60cmばかりの阿弥陀如来立像を半肉彫りにしている。

残念ながら忘れ去られたような存在、何の表示も無く全く人が近づいた気配も無く。

これではこの石仏さんに出会って手を合わせた人は地元の人でもほんの一握りだろう??

花崗岩でそれほど痛みも酷くないが、磨耗も進んで細部までは確認できない。

それでも今まで永らく見つけることが出来なかったので何処と無く懐かしさに出会えたような気がした。

室町初期の像立だといわれており、かの家康も此処まで来て、この阿弥陀さんに手を合わせ、目の前の伊賀の郷をどんな思いで眺めたことだろう・・・。

< 峠付近から見た眼下、伊賀の郷>

 

阿弥陀石仏より少し下ると 落ち葉に半分埋もれるように有る地蔵石仏??

30年ほどの前の本には道端の岩には地蔵磨崖仏・・・・となっている。

ここ30年の間に磨崖は割れて砕け落ち、御斉峠には新道が出来、峠道は旧道となり今や通る人とて無い廃道寸前の落ち葉道。

両石仏共に人知れず、この山塊に埋もれてしまうのもそう遠くないような気がしないでもない。

撮影2010.11.28