今更敢えてくどくど説明する必要は無いと思うほど良く知れ渡った異形石仏の代表として名高い。
もう2年近く前、師走に入って関西でも遅い里の紅葉も終わりし頃、播磨の石仏紀行には欠かせないこの羅漢寺を訪ねた。
さして広くない境内に見慣れない角柱状の石材に刻まれた異形の石仏が林立する様には新鮮な驚きを隠せない。
本堂左手脇に、約400体に及ぶ五百羅漢石仏が林立していて、その特異な造形美に目を見張らずには居れない、殆どの石仏は高さ約く1m程の角柱状石材に頭部を丸彫り、肩から下は石柱のままで体部として正面には極端にデフォルメされた手と持ち物が薄く彫り刻まれている。
一体この意匠の原型は何だったのだろう??、木彫の円空仏と何処か相通ずる何かを感じないでもない。
角柱状のこの異形の石仏は、その形状の特異さから同一作者のもので有ろうが、一体一体に個性を主張しているようで、すべての面貌が異なり、石仏というより
身近な親しい隣人と思えるほどです。
若かりし頃、ラジオ放送で『親の顔が見たけりゃ 北条の石仏に逢いにいけ?』というフレーズのコマーシャルがよく流れていたのを思い出す。
このような石仏が突如この地に現れ、踏襲されずに消えたのはどういう事なのだろう??
播磨は古くより石棺仏の像立が盛んで、石造技術も優れていたのだろうから、何かのイレギュラーがこうした異形の石仏につながるきっかけを作ったのかもしれない。
しかし踏襲されなかったのは当時としてはあまりにもアバンギャルド過ぎて庶民、信者の信仰の対象からは、かけ離れたものだったのかも知れない??。
制作年代についてはほぼ、慶長年間(1596~1614)頃の制作と考えられている様ですが製作者については全く解らないようです。
初冬の北条五百羅漢石仏はただただ立ち尽くすのみで何も語らない。
撮影2007.12.8