もう、何年も前、ネットサーフを始めたころ、紀行ページで、この石仏の写真を見かけて、その周りの野趣、風情、にすっかり魅せられ、いつか必ず行こうと決めていた。
また、この櫛羅(くじら)という奇妙な住所にも興味があった。
櫛羅は中世には、倶尸羅と言う字を用い、葛城山を急激に下る土砂崩れが度々発生したため、「崩れ」が語源となっているようです。
六地蔵が彫られた大きな石も、室町時代に土石流が発生し、現在の場所に流れ着いたと言われ、その大災害に対し、村人は極楽浄土を願い、その頃に彫ったものといわれています。
この地蔵の前は駐車場になっていて六体地蔵ぎりぎりまで車が停められていて、限定された方向でしかこの石仏に近づく事が出来ない。
六地蔵は三叉路の少し広くなった南東角にデンと腰を降ろした高さ1.5m幅2.5mの巨石に長方形の彫りくぼめを造り、半肉彫りの野趣味の強い六体地蔵を刻んでいる。
撮影2006.5.3