愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

宇治橋

2006年01月05日 | 風物:陵墓
橋の真中あたり上流に向かって三の間と呼ばれる出っ張りがある。
宇治橋特有のもので、その名前の由来は西詰から三つ目の柱間に設けられているところによるものです。三の間の一番古い記録は、永禄8年(1565年)に松永秀久が千利休らを招いた茶会で、三の間から汲み上げた水を使ったというものです。
また、橋の下のスカートのようなものは桁かくしといい、橋桁を雨水などによる腐食から守る役割があります。
橋の少し上流側に流木よけがあり、「あじろぎ」をイメージしているという。

いつ見てもこの川の流れは早く、水量も豊富であり、風情がある。

通園茶屋

2006年01月05日 | 風物:陵墓
宇治橋東詰畔に宮本武蔵でおなじみの通園茶屋がある。

ちなみに株式会社通圓オフィシャルホームページによると平安時代末期 永暦元年(西暦1160年創業)とあり、へえ~~と驚く以外にない。


宇治橋のたもとが見えてくる。
通圓ガ茶屋の軒には、上品な老人が茶の風呂釜をすえて、
床几(しょうぎ)へ立ち寄る旅人に、
風流を鬻いで(ひさいで)いた。
庄田という髯侍(ひげざむらい)の姿を仰ぐと、
馴染みとみえて、茶売りの老人は、
『おお、これは小柳生の御家中様一服おあがり下さいませ』
『やすませて貰おうか----その小僧に、何ぞ、菓子をやってくれい』
菓子を待つと、城太郎は、足を休めていることなどは退屈に
堪えないらしく、裏の低い丘を見上げて、駆け上がっていった。
お通はお茶を味わいながら、
『奈良へはまだ遠うございますか』
『左様、足のお早い方でも、木津では日が
暮れましょう。女子衆では、多賀か井出でお泊りにならねば』              
      吉川英治『宮本武蔵』本文より引用

現在でも、美味しいお茶などを提供してくれる茶店としても有名である。


宇治橋

2006年01月05日 | 風物:陵墓
宇治はあまりにも近くにありすぎて
ついつい行かずに見過ごしている町。
思い切って出かけてみた。
見慣れた景色ではあるけれど、宇治は山城のなかに在っても、奈良文化より
京都文化を依り強く残している町である。

しかしこの宇治橋は646年に奈良元興寺の僧「道登(どうと)」によって架けられた日本最古の橋と言われています。

宇治橋西詰より。