退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「無頼であることあるいは小心者であること」について

2016-02-26 03:21:01 | Weblog
晴れ。昨日ほどではないが夜に冷える。

西部邁「生と死、その非凡なる平凡」を読む。

「あまりに論理的であると同時に感情的にあけすけであること」が
こうした「新しいジャンル」を生み出したのかと思った次第。

さまざまな「語源」を駆使した上での
「論理は、感情の軽重や凸凹や流れを刻むための、小刀である」という喝破。

生徒の前で万引きして見せる徹底ぶりよ。
LSDを試して「自分の想像力を超えない」という見切りをするのもさすが。

「戦後」と「貧困」を知る世代ならではの「無頼」は
「理」が失われて久しい現代では貴重なもの。

伴侶となる存在と終生関わりを持てたそのかたちは
傍から見ればいかにも「劇的」と言うよりないか。

すべてを支えていたのが妻との「何気ない会話」だったとのこと。
それを知るに至ったことを思えばこれまでの読書は無駄だったとの感想も。

「身銭を切ること」の意味をあらためて痛感。
やはり著者は「文章の中でこそ活きる人」だと思うことしきり。

要は「表現者」であるということ。
この「ヤクザな文学」を見逃す手はないだろう。

少なくとも「圧倒的なキャラクター」であることは確か。
「北海道の空気」のような冷たさがむしろ心地いいのだと言っておく。

さて。

そうした「ドラマ」と無縁の生活を送る身としては
これからも淡々と過ごすのみ。

ただひたすらあれこれ味わいたいという気持ちはあれども
「危険地帯」に突っ込んでいかない「小心者」ではある。
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