退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「専門家の説明の微妙さと『まともなコミュニケーション』」について

2018-02-24 02:21:57 | Weblog
晴れ。おだやか。

坂井健雄「腎臓のはなし 130グラムの臓器の大きな役割」を読む。

本書の内容は残念ながら「素人」には難しすぎる。
というか「不慣れな用語」が多すぎて「理解する気」をなくさせる感じ。

もちろん「不慣れな用語」がたくさんあることそのものは「当然」。
ただしそれが「何を意味するのか」をもう少しわかりやすく書いてもらいたかった。

「新書」としてはやや重すぎたかも。
「知っていることの前提」が大きすぎた模様。

とはいえ「人体」が「宇宙」だと思えるほど複雑であることはわかった次第。
「圧倒的な体内のコミュニケーション」に比べるとわれわれの「日常」は「怠惰」すぎるか。

さて。

実はあらゆる問題の根本にあるのは「男女のコミュニケーション」。
「互いの現実」を知ればもっと仲良くなれるのに。

「意見の違い」以前に何を前提としてどこに向かおうとしているのかを明らかにしないと。
少なくとも「議論を戦わせるに値する存在」でないとどうにも。

いや。

そもそも「話をする」かどうかが問題だったり。
すでにコミュニケーションをあきらめている場合が少なくなく。

なぜあきらめるのかという理由は簡単。
あまりに「前提」が違いすぎるから。

ならばその「前提」をそれぞれに吟味した上でどうするのかがポイント。
もっともそこまで行く前に関係が破綻することは少なくなく。

「譲れないこと」が本当に「譲れないこと」なのかどうか。
そこまで踏み込めれば幸い。

少なくとも確かなのはわが国のオッサンが「女子の負担」についてあまりにも鈍感すぎること。
いずれ世代交代によって変わりはするものの。

「好きに生きること」が出来るだけ可能であることに関してはおそらく一致をみるはず。
ならばそれをどう可能にするかについて知恵を絞るのが「本筋」。

いたずらに「敵」を作る前に「友」を見つけよう。
「どうでもいい人」に関わっているヒマなどないと思ったりしてみてはいかが。
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