退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「思いがけず自己評価の低いミュージシャンと『バイリンガル』の微妙さあるいは『好きであることの素敵さ』について

2019-10-14 02:30:55 | Weblog
晴れ。風やや強し。

松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部話します 1971-2016」を読む。

「華麗な経歴」が披露されるかと思いきや
「不安」が基本のような様子に驚く。

自らのプレイを「でたらめ」というあたりにふむふむ。
「グルーブ」がすべてだという解釈も同様に。

「エバーグリーン」でなく「最新のもの」を追いかけることにした模様。
後半は「ショーマン」としての役割も濃いような。

これだけのことをしていて「暗い」のはなぜなのだろう。
「自己肯定感の低さ」が印象に残る。

引き続きリービ英雄「バイリンガル・エキサイトメント」を読む。

著者の小説を全く知らないまま「搦め手」からというのはいつものこと。
残念ながら今回も感じるものが少なく。

拙いながら他人に英語を教えたりする身としては
彼ら彼女らが「日本語の発想」で英語を理解しようとするのが不可解で。

たとえばbutひとつの使い方でも日本語を元にすれば違和感がある。
それはわかるのだが「異なる言語」を学ぶ以上「そういうもの」じゃないのか。

「かの言語」ではそのように言うこと。
「実にシンプルなこと」を理解しないまま。

そのあたりを理解することこそ「学ぶこと」だと思いつつ。
「壁」の前で立ち止まることが多いのが残念。

そもそも言語はその背後に「文化」を背負っているものでもあり。
いわゆる「逐語訳」ではわかるはずもなく。

というわけで「母語」が「圧倒的な制約」であることは事実。
ただしそれ以上のことを理解するほど外国語を理解していず。

というかそもそも「言語」そのものが自分にとって「外部」だったりもするわけで。
漢字を覚えることが苦手な日本人も増えていて。

「好奇心」を持つ以前に「知るべきこと」が与えられ過ぎなような。
人は面白いからそこに集中するはず。

その対象が例えば英語ならば
英語の歌や映画や台詞が先に立っていないとどうにも。

そう言えばそうしたことを教えてくれた和田誠が亡くなった。
少なくとも「お楽しみはこれからだ」のシリーズを知っておくべきか。

「何事かを好きであること」の素敵さを教えてくれた存在。

少し前からそんな予感はしていたのだが
もう新作に会えなくなったことを噛みしめる次第。
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