退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『当然』であることの放棄の結果あるいは『好ましい存在』であること」について

2018-11-05 02:18:18 | Weblog
雨のちくもり。傘を持って出かける。

浜矩子・白井聡・藻谷浩介・大友良英・内田樹「福島が日本を超える日」を読む。

読み始めてすぐに再読だとわかった次第。
まあこれも「ご縁」ということで。

浜矩子は「経世済民」と「アホノミクス」と「トリクルダウンなどないこと」を
白井聡は「敗戦の否認」がいまだに続いていることを。

藻谷浩介は「貨幣とは無関係な『資源』」を
大友良英は「ドラマが現実になる『現実』」を。

内田樹はあれこれあってまとめられない。
本書は「生業訴訟」に関する講演会の内容をまとめたもの。

ここで訴えられているようなことがなぜ「当然」にならないのだろうと思いつつ。

マル激を観る。

今回は「平成大合併による防災力の低下」について。

「予算の都合」によって行われた合併は各地の事情を全く顧みず。
災害発生時に異様に対応が遅くなる地域が生まれる「差別」を生み出した模様。

「地域の共同体」が機能しなくなるとこうしたことも起こるのか。
いたずらな「集約」は憲法における「居住移転の自由」を奪うことにもなり。

「貨幣」では量れない「豊かさ」についても同様。
ちなみにわが家は母親の姉が送ってくれる米や野菜で相当に助かっている。

被災地の復興が思うように進まない理由は
こんなところにもあるのだということを知っておこう。

NNNドキュメント’18「北海道ブラックアウト」を観る。

今回の地震による教訓は「一極集中の危険」について。
震源に発電所が集中していたために各地にさまざまな影響が。

誰が考えてもわかるはずのことなのに。
やはり「自治意識の欠如=おまかせ体質」が相当に問題かも。

あらためて自分が暮らしている土地の「資源」を知っておく必要があるかも。
もちろんそこに「人」が含まれるのは言うまでもなく。

さて。

わが国は「パラダイス」になって久しい。
以上のような問題が常に見過ごされているのだから。

メディアは「渋谷のハロウィン」で大騒ぎ。
「ニュースバリューの意味」がわかっているのかどうか。

若者が「バカ騒ぎ」するのは世の常。
かつての「学生運動」とてさして変わらず。

そして年長世代が若者を「エイリアン扱い」するのも同様。
そこにコミュニケーションがないのも。

年齢性別を問わず「自らの常識」を盾にどうこう言う前に
「具体的な現実」に対処できる能力を持ちたいものではある。

曰く「人はそれぞれ」。
好ましい目標に向かってアイデアを出し合える存在でいたい。
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