退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「化石の美しさと面白いマンガあるいは『わが国の幼稚さ』」について

2018-07-17 02:21:21 | Weblog
晴れときどきくもり。38度超え。

土屋健「ジュラ紀の生物」を観て読む。

「全身化石の美しさ」に驚く。
そんなふうに残るものなのねと。

昨日やや寝苦しかったせいかウトウトしながら。
仕方なく身体に従うことに。

分類の変化のせいで名前が変わっている恐竜も。
結婚で姓が変わった女子のような。

少しではあるけれど分析で色もわかるようになった模様。
本書はやはりイラストがあるのがありがたい。

「首長竜」の一種でありながら首が短いものもいて。
「名は体を表す」のが必ずしも確実でない事実など。

それとは別に。

ドトールとは別の喫茶店でマンガ「医龍」を読み終わる。
全25巻。

「文春」「ポスト」「週プレ」などを読みつつその合間に。
コーヒー一杯400円で店にあるものを全部読んでしまうのだから「ひどい客」。

そうした事情もあってそれなりに通ってはいるもののチケットは買わず。
何度か勧められたがそのままで。

キャラクターの中心は「伊集院」。
彼に関する「ビルドゥングス・ロマン=成長物語」である面が強い。

ここでも「人を育てることの重要さ」が描かれて。
もちろんそれ以外のキャラクターの魅力もたっぷり。

さて。

上記の週刊誌を読むのはほぼ「コラム」目当てだったり。
他の記事にはあまり興味はなく。

「買わずに読める環境」があるのでそれに甘んじるのみ。
ありがたいことではある。

今回は「週プレ」のモーリー・ロバートソンの「指摘」にふむふむ。
「反米」はいいとして「自前の武装」に話がいかないのはなぜかと。

要は「カタルシスを味わって喜んでいる場合なのか」ということ。
「東京オリンピック以後」にやってくるはずの「閉塞感」も忘れずに。

分野は異なるがサッカーに関して言えば
「セルジオ越後」をいつまでも「辛口のオジサン」にしておいていいのかということ。

こうした「甘えの構造」をいいかげんにどうにかしないとどうにも。
どこまで「幼稚」でいれば気がすむのかと言いたくなる次第。
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