退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ホラー」について

2015-03-31 02:54:36 | Weblog
快晴。汗ばむ陽気で桜が満開。

小中千昭「恐怖の作法 ホラー映画の技術」を読む。

ホラーの「理論」を支えてきた著者が
実は「怖がりたかった存在」であることを確認する内容。

ただしその「覚醒」の度合いはいささか「過剰」で
ついつい速度を上げて読んでしまった部分もあった次第。

もっとも「ホラーの歴史」が忘れ去られ
「ジャンク」ばかりがはびこる現在の「貧しさ」にはうんざりする。

「カリガリ博士」(’21)「魔人ドラキュラ」(’31)
あるいは「フランケンシュタイン」(’31)などの「古典」。

ちょいと飛んで「サイコ」(’60)「たたり」(’63)「ローズマリーの赤ちゃん」(’68)
「エクソシスト」(’73)「ヘル・ハウス」(’73)「悪魔のいけにえ」(’74)「悪魔の追跡」(’75)「家」(’76)。

「ハロウィン」(’78)「13日の金曜日」(’80)「チェンジリング」(’80)
「エルム街の悪夢」(’84)あるいは「ヘル・レイザー」(’87)。

そしてわが国の「女優霊」(’96)「リング」(’98)「回路」(’00)
「仄暗い水の底から」(’02)「呪怨」(’03)など。

年代順に挙げてみたけれど
案外「ホラー系」をあれこれ観ていたもの。

少なくとも最低限これらの作品を観ていれば
いたずらに「ジャンク」を生産することにはならないとは思うのだけれど。

おそらく「恐怖」は「人類最古の懐かしい感覚」。
ここまで「生き延びる」ため常に「必要だった感覚」でもある。

その「表現」を磨くことは決して無駄ではないはず。
今後あらたな「コワイ映像」を見せてくれる人々が現れることを期待したいもの。
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