退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ややこしい問題」について

2016-02-24 01:59:52 | Weblog
くもり。やや風強し。

鈴木涼美「『AV女優』の社会学」を読む。

副題に「なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」。
もちろんそれは演技の部分もあるのだけれど。

ふとしたキッカケで何気なくその世界に入った彼女たちは
「単体モノ」から「企画モノ」への移行で「仕事に目覚める」模様。

それを「自由意志」と呼んでいいかは微妙。
もっとも「売れるための語り」がやがて「自己陶酔」となり「中毒」になるとも。

「頑張っただけ生活がよくなる」ため身体を壊す者もいるらしい。
それでいていまだに「親バレ」を代表とする怖れを抱いていたり。

著者は彼女たちを「『名誉回復が不可能である』ほど、
緩慢で大胆な線の引き方をする女性たち」と呼んでいる。

「身体がキレイなうちにヌードを撮っておきたい女性の数」は少なくなくても
「さまざまな設定でのセックスの様子を残しておきたい女性の数」は多くなかろう。

「ヤリチン」が「性豪」と呼ばれる一方「ヤリマン」はどうか。
ある種の女性たちが「本気」を出したら大抵の男たちは萎えることなど。

「性の複雑さ」があらためて浮き彫りになったような。
ただ「AV女優」と「一般的な女性」の差は「濃淡」だけかもしれないという視点は重要。

「結婚という制度」は世間に認められているけれど
「AV女優という職業」がそうではないことだけは確か。

「リベンジ・ポルノ」が問題になる一方で
自ら裸体とセックスをさらす者たちに対する評価を思えば。

「発情期」が決まっている人間以外の存在がうらやましいような。
とはいえその「ややこしさ」を生きるのがわれわれの「つとめ」でもある。
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