退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「古生物学の『時代感覚』あるいは『世界の複雑さ』に対して全力で対峙すること」について

2018-07-10 02:04:33 | Weblog
『くもりときどき晴れ。暑い。

森達也「希望の国の少数異見」を読む。

副題に「同調圧力に抗する方法論」。
ただし「方法論」が示されているかといえば微妙。

著者はどうやら「法然」を発見した模様。
親鸞以上の存在だったかもと。

「命の選別」はよろしくないという一方で「死刑」を認めている矛盾よ。
あるいは「母体保護法」や「出生前診断」についても。

「従来の倫理」では収め切れない科学技術の発達もあり。
今さら「個の不在」を訴えてもどうにもならないことも同様に。

「絶望が足りない」という判断もあるようだけれど
そもそも「絶望が足りる事態」が起きるのかどうかも疑問だったり。』でまた寝る。

晴れ。日差しが熱い。

土屋健「三畳紀の生物」を観て読む。

ペルム紀の「大量絶滅」の次の時代には
生きものが栄えた一方再びの絶滅もあったということで目が眩むような。

とはいえ三畳紀だけでも「4100万年」もあるのだから何ともはや。
あらためて人間の寿命など一瞬にすぎないことを確認する。

「中国四千年の歴史」も霞むのみ。
その一千万倍の時間の流れよ。

われわれの「歴史意識」など「児戯」にすぎない。
そのあたりをしっかり胸に刻んでおきたいものではある。

ただし。

だからこそ「歴史に学ぶこと」が重要だったり。
「今の自分」でしか判断しない輩が増えていることもあるので余計に。

せめて「学習能力」は持っていたいもの。
「わからないもの」に対して「デタラメ」しかしなければ何事も学びようがもなく。

「気分」で動くだけではどうしようもないのも同様に。
「できるだけ考える」という「フォーム=形式」を大切に。

その上で「身体」や「直観」にも従いつつ
それらの「知性」をどうにか生かしたいところ。

いずれにせよ「世界は複雑」。
ならばあらゆる力を使ってそれと「対峙」するしかなかろう。

その種の「覚悟」さえ決まれば「人生」など「どうにでもなる」。
自分の「存在のちっぽけさ」を基本にしよう。
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