退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「繰り返す貧しさ」について

2016-02-27 02:17:55 | Weblog
くもりときどき晴れ。夜にやや冷える。

菊池聡「なぜ疑似科学を信じるのか」を読む。

この手のものはあれこれ読んだけれど
平易な言葉で書かれていて読みやすい。

特定の例だけが印象に残ってそうでない例が忘れ去られること。
「血液型」を広めた著者はデータを公開していないことなど。

至極当然だと思われる指摘ではあるけれど
実際には「よくあること」なので注意したいもの。

そもそもわれわれが「理不尽」に耐えられない存在であり
安易に「白黒つけたがる体質の持ち主」であるというのがポイント。

もっともその「理不尽」は文字通りの意味でないことも多く
「偶然」に「理由」を求めて納得したがるだけ。

そのためなら神であろうと仏であろうと何でも利用する。
あるいはそれが宇宙人である場合もあり。

ある意味「あさましい」姿ではある一方でわれわれの「哀しさ」を表してもいて。
とにかく「信じたいものを信じる」という「認知的不協和」も同様。

「理屈じゃないんだよ」という言葉の持つ矛盾には気付いていたいもの。
その言葉は「お前の理屈は気に入らない」という「理屈」を言っているわけで。

そのように言いたくなる気持ちについてはわからないでもないとはいえ
誰かの言葉を借りてもいいからそれが何故なのかは説明できないと。

少なくとも「公的な場所」ではそうすることが必要。
ただし残念ながらそのような作法に欠ける人物の跋扈が目立つ。

意味不明な言語を操ってそれでよしとするのではどうにも。
わが国に「公共」という空間ができないのにもなるほどと思うのみ。

主義主張や立場を問わず「望ましいこと」を追求する姿勢がないという「貧しさ」よ。
相手の「理路」を確かめもせず揚げ足取りに終始する「どうしようもなさ」よ。
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