退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「残酷であることふたつ」について

2017-10-14 04:01:16 | Weblog
くもり。深夜になって本降りに。

池上英洋「残酷美術史 西洋世界の裏面を読み解く」を見て読む。

神話が残酷であるならそれらを創った人間が反映されているはず。
親子は殺し合うし兄弟姉妹も同様。

それを「西洋世界」に限定する必要もなく。
わが国では「戦国時代」を思い出せばいいか。

「環境」さえ整えばすぐ「本性」が出る。
おそらく時代を問わず。

異教徒となるとどんなに残酷に殺しても平気。
今で言えばミャンマーのロヒンギャの現状を思い出そう。

あるいは少し前のアブグレイブ刑務所など。
「中世」は決して「特別な時代」ではないということ。

そして残念ながら今後もそうであり続けるだろう。

リドリー・スコット「ブレードランナー」(’82)がTVでやっていたのでついつい観てしまう。

ブツ切りにはなっているもののやはり街の美しさが素敵。
光と影あるいはネオンの美しさが何とも素晴らしい。

レイチェル、ショーン・ヤングの「清楚」とプリス、ダリル・ハンナの「野生」の対照も。
バッテイのルトガー・ハウワーは彫刻のような美貌で。

彼が「フェアであること」にこだわるのを忘れずに。
「影法師」のようについて回るガフのエドワード・ジェイムズ・オルモスの雰囲気よ。

日本語と芸者と浄瑠璃も登場しているのは言わずもがな。
もちろんヴァンゲリスによる「クジラの鳴き声」のような音楽もいい感じ。

「4年という寿命」を定めた人間が
レプリカントによってその「意味」をあらためて問われる。

最新作「エイリアン コヴェナント」でもテーマは変わっていない模様。
スクリーンで何度も見たい傑作であることを再確認した次第。

もっと語りたくなる詳細については敢えて述べず。
本作を知らない向きは是非。
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