雨のち晴れ。夜に一時風が吹く。
小林信彦「現代<死語>ノート」を古本屋で買って再読。
著者の作品は読み返すたびに「そこも指摘していたのか」という感慨がある。
今回は1968年(昭和四十三年)の「応蘭芳(オウランファン)」。
確かみうらじゅんが「タモリ倶楽部」でだったか
彼女の曲を「色物レコード」として紹介していたような記憶がある。
「マグマ大使」にモル役で「三瀬滋子」として出ていた模様。
あれが「応蘭芳」だったのかと思った次第。
とりあえずこれを紹介しておく。
こっちは「放送禁止」になったりもしたらしい。
「昭和歌謡の不思議さ」を覚えておこう。
「恋人たちの予感」(’89)でのメグ・ライアンのそれと比べてみるのも一興。
この種の「演技」が今宵も各地で行われていることを思うと
「男という存在の哀しさ」が浮かび上がる仕組み。
もちろん「演技」をする女についても同様。
「深くて暗い河」はここでも。
だからこそ「幸せなカップル」が持ち上げられることにもなり。
その「中身の複雑さ」は忘れられがち。
「お付き合いの基本」はおそらくは「気力と体力」。
「互いの違い」に唖然としたり憤ったりしつつ「まあ付き合ってもいいか」と思える何かが必要。
要はわれわれがかくも「他者を受け入れること」が難しいということ。
そのあたりを踏まえた上であとはみなさんそれぞれに。
ひとつだけ確かなのは「事前にはわからない」ということ。
なぜなら付き合い始めは「装う」から。
あれこれ考える前に「数をこなす」のもあり。
いずれにせよ他人から「魅力的」だと思われる存在であることが望ましいだけ。
小林信彦「現代<死語>ノート」を古本屋で買って再読。
著者の作品は読み返すたびに「そこも指摘していたのか」という感慨がある。
今回は1968年(昭和四十三年)の「応蘭芳(オウランファン)」。
確かみうらじゅんが「タモリ倶楽部」でだったか
彼女の曲を「色物レコード」として紹介していたような記憶がある。
「マグマ大使」にモル役で「三瀬滋子」として出ていた模様。
あれが「応蘭芳」だったのかと思った次第。
とりあえずこれを紹介しておく。
こっちは「放送禁止」になったりもしたらしい。
「昭和歌謡の不思議さ」を覚えておこう。
「恋人たちの予感」(’89)でのメグ・ライアンのそれと比べてみるのも一興。
この種の「演技」が今宵も各地で行われていることを思うと
「男という存在の哀しさ」が浮かび上がる仕組み。
もちろん「演技」をする女についても同様。
「深くて暗い河」はここでも。
だからこそ「幸せなカップル」が持ち上げられることにもなり。
その「中身の複雑さ」は忘れられがち。
「お付き合いの基本」はおそらくは「気力と体力」。
「互いの違い」に唖然としたり憤ったりしつつ「まあ付き合ってもいいか」と思える何かが必要。
要はわれわれがかくも「他者を受け入れること」が難しいということ。
そのあたりを踏まえた上であとはみなさんそれぞれに。
ひとつだけ確かなのは「事前にはわからない」ということ。
なぜなら付き合い始めは「装う」から。
あれこれ考える前に「数をこなす」のもあり。
いずれにせよ他人から「魅力的」だと思われる存在であることが望ましいだけ。