退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「理を知ればほぼ『いかさま』であること」について

2016-12-19 02:07:55 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

昨日は仕事場の研修で老舗バーはお休み。

さほど疲れてないはずなのに帰宅後寝てしまう。
いつものように身体に従うのみ。

白川静「文字講話Ⅲ」を読む。

フレンチトーストを作るときのように漢字の世界に身を浸すことしばし。
このシリーズもあと2冊となる。

早目に目覚めたのでついでにマル激を観る。

アメリカ大統領選におけるさまざまな「陰謀」を見る限り
かの国が決して「民主主義の代表」ではないことをあらためて。

マイノリティの投票を妨害したり選挙用PCのハッキングを見逃したり。
至極簡単に言ってしまえば「暗殺をしなくなっただけ」。

この種の「工作」が堂々と行われて咎められない事実よ。
「post truth=真実でなかろうと構わない」時代の到来は怖ろしい。

エリック・シ-ゲル「ヤバい予測学」を半分読む。

「相関関係は必ずしも因果関係ではない」にもかかわらず
「大きな投資」をする者にとってはその「わずかな傾向」が「大きなコストカット=利益」につながる模様。

たとえば収益が200万ドルある企業がひとり当たり1ドルのメールを100万人に送れば利益は100万ドル。
ところがメールを送る対象を絞り込んで収益が変わらなければ「大幅な利益」を手にすることになると。

そうした形で「役立つ」のが「予測学」らしい。
アメリカ大統領選挙においても共和・民主両党ともその「テクノロジー」を使っているようで。

要は大企業あるいは政治権力にとって顧客や国民は「カモ」でしかないということか。
あまりにバカにされるのがイヤなら少しでも「賢くなる」しかないという結論は出るが実行は難しく。

思えばファッション業界における「仕組み」も大して変りない。
「今年の流行」とやらを発表して自分たちが事前に作ったものを売りまくるだけで。

もちろん「作られた流行」にしたがって買い物をする客が悪いといえばそれまで。
できれば「賢い消費者」にならないとどうにも。

「消費」は「生活に必要なもの」以外かなり本人の「価値観」に縛られることを思えば
「何が好ましいことなのか」という問題が浮かび上がり。

それぞれの「趣味」を最優先するのがルールなら
「最低限の生活費」以外はすべてそこに注ぎ込まれることになることにも。

ただし何が「最低限」なのかを思うことと同時に
「安心して生きられない環境」が決して「珍しくないもの」であることを知っておきたいもの。

ちなみにここで言う「安心」とは「生命の危険を感じない」といったあたりなのでよろしく。
「世界」はますます「ジャングル」になりつつある予感が濃厚。
コメント
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