退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

連休2

2016-12-01 02:44:17 | Weblog
くもりときどき晴れ。昼も寒い。

「カプリコン1」(’77)に関する追記を少々。

TVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」のボスレー役で
「寅さん」にも出たことのあるデヴィッド・ドイルが「理解のない上司役」。

ニッサンの「フェアレディZ」だと思われる赤い車が登場すること。
エンドロールでは「ダットサン」と出ていたはず。

運転免許のない身で車に気付くのは幼い頃の「スーパーカー・ブーム」には反応したから。
池沢さとしのマンガ「サーキットの狼」が流行っていてポスターを貼っていたりしたことも。

その後なぜか興味を失い結局免許も取らずに至った理由は不明。
今では「車は乗せてもらうもの」と嘯いている次第。

白川静「文字講話Ⅰ」を読む。

「文字以前」「人体に関する文字」「身分と職掌」「数について」「自然と神話」の五話。
「ハリガネニンゲン」が漢字の元だったりするのにふむふむ。

「数える=数ふ」が「二日=ふつか」「三日=みっか」などの
「か」を「添える」という意味だというのになるほど。

読み終えるのにもっと時間がかかるかと思いきやそうでもなく。
もっとも適当に読んでいるせいもあるのだけれど。

「構想」の堅固さに納得。
「比較の重要さ」についてあらためてふむふむ。

ロン・ハワード「アポロ13」(’95)を観る。

「結果」がわかっているので「倒叙ミステリー」と同じパターン。
いかに「過程」を盛り上げるかが勝負。

主人公の妻キャサリン・クインランが「支えている」部分が多いような。
打ち上げ直前にメンバーから外されるゲイリー・シニーズの「努力」も。

二酸化炭素の量が増えることに対する「現実的な対処」の「アナログぶり」がなかなか。
いかにもな「現場感覚」が出ていて素敵。

トム・ハンクスはどこまでも冷静で「アメリカの良心」のような。
「ハドソン川の奇跡」(’16)でも同様の役割を。

この手のものではフィリップ・カウフマン「ライト・スタッフ」(’83)もあり。
どちらにも出ているのがエド・ハリスだったり。

ケヴィン・ベーコンは「女たらし」である冒頭以外には「おとなしい」。
「管制室」は「カタルシス」をもたらすにはふさわしい「場所」か。

なぜならそれぞれの専門分野で知恵を絞りながら多少の対立もありつつ
「同じ結果」を目指して苦心した挙句に「成功」がもたらされるところだから。

この「健全さ」は現代では失われて久しいもの。
「何事か」を達成するためには必須のものだというのに。
コメント
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