退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

ある種の「自家中毒」について

2010-10-11 06:05:32 | Weblog
あれこれあってyoutube。

思いのままに巡って遊ぶ。
思い出とともにその当時の自分の至らなさを痛感する。

いつも同じようなことになるわけだけれど。

自分の性質をあらためて見直してみると
見かけとは違ってかなり「奔放」な設定。

興味のないことはしたくないし
どうしてこの「よさ」がわからないのかと思うのが「いつものパターン」で。

「何食べたい」と言われても何でもいいのが「正直」。
そのくせ味をどうこう言うあたりがめんどくさいところ。

要は「何様」だということに尽きるけれど。

おそらくそうした「環境」に育って
それが「当然」のことになったのだろう。

恵まれてはいたのだろうが
どこでそんな「身分」になったのかは不明ということで。

今はとりあえず片隅で暮らしているので
とてもとてもそんなことは言えません。

なんだか言い訳じみでいるけれど
言い訳する相手は「自分」なのでよろしく。
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上を向いて歩く

2010-10-11 02:27:48 | Weblog
晴れ。だったはず。

小室直樹「奇蹟の今上天皇」を読む。

著者が先日亡くなったことを知ったのと
マル激で取り上げていたので図書館で借りてきた。

第二次大戦の枢軸国側はもちろん日独伊。
ムッソリーニは縛り首でヒトラーは自殺に追い込まれた。

その点からすれば同じ立場にある昭和天皇が
何事もなかったように戦後も在位しつづけたことは確かに珍しいこと。

「天皇は宗教であり、イデオロギーでもある。」という「証拠」として
敗戦後も「戦争」を続けた小野田さん、横井さんを挙げる。

決して「エリート」ではなかった人の行動規範となりうるもの。
それがどうやら「天皇教」らしい。

ある種の「人格」に「理想」を見出すということ。
「無宗教な日本」にありがちな「宗教的な形式」はそのようなものかもしれない。

ヨーロッパの「契約」という概念は「神」相手で「絶対的」なものだけれど
「何かを信じること=禁欲」の力はどこでも同じ働きをすると。

個人的に信じているのは「自分などたかが知れていること」。
先人たちを見ればそう思わざるを得ないのが「常識」だとしておく。
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