退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

自分などたかが知れている=恐縮する ということ

2010-10-07 02:17:24 | Weblog
晴れ。おだやか。

蓮實重彦「凡庸さについてお話させていただきます」を再読。

いずれの内容も十分現在に通用するように思えるのが残念。
ちなみに初版は1986年(昭和六十一年)で今からほぼ四半世紀前。

ある種の「二項対立」はいずれも同じ土俵に乗っているにすぎず
なぜそうした「不毛な条件」でしか意見を述べられないのか。

実は非常に単純なはずのその指摘が
人々の間できちんと受け止められないのはなぜか。

残念ながら人は自分より劣ると思われる存在を見つけると
かさにかかって相手をつぶそうとしたり宗旨変えさせようとしたりする。

ただし「自分より劣る」としたその判断は
「自分とルールを共有している」からこそ下されたということが少なくない。

いわゆる「優劣」はなくもない。
けれどもそれはある種の「ルール」を共有した中で行われる「競技」の中だけのこと。

なぜその「ルール」でいいのかを問うことが
少なくとも「知性」ある人の「倫理」だろう。

著者は「随想」という新作も出したようなので
じっくり読んでみるつもり。

「あんたかてアホならうちかてアホや。ほな、さいなら」

たしか昔のTV「ゲバゲバ90分」で
ハナ肇はそう言って人気を得たはずなのだけれど。

ちょいと前に死んだ「芸能リポーター」梨本勝に沿って言えば
「恐縮です」というのがやはり「基本」だと思う。

「正義を叫ぶこと以上の快感はない」と喝破した山本夏彦も忘れずに。
コメント
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