まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

新潟邸宅三昧 渡邉邸2

2020-01-21 23:42:47 | 建物・まちなみ
2019年夏の新潟の続き。

豪農豪商大地主で、庄屋も務めた関川村の渡邉家。土間に面した剛健質実な業務空間に対して、庭園に面した
もてなし空間は豊かな意匠が見られる。
式台のある玄関の間には床の間があり、そこの壁や襖に貼られた唐紙は「入違雨龍」という大型の紋である。
よく見ると、小さな竜が2匹向かい合っている。カワイイ~~




その隣の二の間の壁紙。


松の苗木模様?こちらもかわいいな!


違い棚の海老束がやたら凝っている。中国家具のようだな。。ところどころこういうクドイ意匠が出てくる(笑)


建物のちょうど中央あたりにある仏間は窓がなく暗い。唐破風のついた風格のある仏壇が置かれていた。


2階へ。ここはお庭が一望できる特等席!


この部屋の襖絵がすごい!一面には波立つ海に枝を伸ばす松と沈みゆく太陽が描かれ、もう一面には水辺に遊ぶ鴨の群れと
新月が描かれている。




そしてその上の欄間は北斗七星!?いや、星が6つしかないから違うな。シンプルながら斬新!


書院の欄間にも鴨が。


違い棚の海老束はこんな軽やかなデザイン。


こちらは通りに面した部分の二階で、「金丸部屋」と呼ばれていた。明治時代に、金丸という集落から1日がかりで
やって来る出入り衆の控え部屋のような用途で使われていたらしい。手厚く迎えられていたことが伺える。


釘隠しはだいたい見つけることができたかな。


襖の引き手も各部屋ほとんど違うものが使われていた。


襖絵や書院の透かし彫り、格子などのディテールを見ていくと楽しい~


裏の座敷が喫茶「茶房本桂」となっていたので、あとでお茶しよう、と言っていたのに、やっぱり見どころがありすぎて
気づけばもうすぐ閉館時間じゃないの(汗)。。しかし喫茶スペースに入らないと奥の座敷を見学できないので
駆け込みでお茶する(苦笑)


お庭に面した明るい座敷に通される。こちらの座敷は本座敷に比べ少し新しそうだな。


菊垣模様の透かし彫りの欄間。


抹茶と、夏らしい涼しげな干菓子。家紋入りの漆塗りのお盆はつやつやとして上質であることが知れる。
あつらえの食器が棚の中に大量に残っていて、こうやって少しでも活用しているとか。

渡邉邸の四季のアルバムをめくりながらお茶を頂いて、閉館時間までゆっくり堪能することができた。
土蔵は見れなかったけど・・・

続く。
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新潟邸宅三昧 渡邉邸

2020-01-20 23:20:39 | 建物・まちなみ
こんな真冬に、去年の夏に行った新潟のことを(笑)。

以前、指をくわえて外観だけ眺めていた料亭鍋茶屋、食事をしたら内部を見学させてもらえるということで、
友人とランチしに行こうと計画を立てた。ランチでもかなりお高いのだが・・・覚悟を決めて(笑)。
併せて、毎回少しずつめぐっている新潟の豪邸もいくつか見に行こう。

ピーチでお昼過ぎに新潟空港に着いたら、友人と合流してレンタカーでGO!ランチを省略してまずは
関川村の渡邉邸へ駆けつける。なんせ、このあたりの施設は皆16時までである。早すぎるよ(汗)。
・・・見学には2時間はかかるだろう。今2時すぎなので急いで見よう。


米沢街道の宿場町として発展した関川村は、荒川水運の船着場でもあった。元々村上藩の家臣であった渡邉家が
ここに定住し、酒造業、金融業、廻船業等により財をなし大地主となった。渡邉家は庄屋も務めた。
度々火事にみまわれ、現在残る母屋は2回目の火事で建て替えられたものとか。1817年築というから
もう200年以上経つ。渡邉邸の建物は国の重要文化財、庭園は名勝に指定されている。
現在のこの美しい姿は、6年越しで2014(平成26)年に完了した「平成の大修理」を経て
よみがえったものだ。やはりシロアリ被害などによりかなり老朽化していたらしい。


間口が広い広い!!通りに面して窓の格子、板壁、板塀が長々と続く。軒とひさしの水平線がすーっと伸びた
シンプルで美しいフォルムの主屋はモダニズム建築を思い起こさせる。
一方こんなデコラティブなディテールも。


入口を入ると広い土間があり、土間に面して開放的な部屋が並ぶ。いちばん奥は台所でかまどもあった。
完全に農家のつくりである。


この土間から庭の方へ伸びる通路を進んでいくと、来客用のお風呂「上湯殿」がある。ここを先に見ておこう。


洗い場の床に、マジョリカタイルがあるのだ!2種類のデザインと白無地のタイルが、3~4枚ずつの
かたまりでポツポツと散らされている。


マジョリカタイルはだいたい大正~昭和戦前までなので、この湯殿はその頃増築されたか改築されたのだろう。




ここの母屋の屋根は、枕大の石をずらりと並べた「石置木羽葺」という日本海側特有の形態。これはすごいな!!
石置き屋根は北海道の余市の旧下ヨイチ運上家でも見た。


母屋の土間に平成の大修理の記録写真が展示されていた。これは石置木羽葺の屋根のやりかえの写真。




また、昭和42年の羽越水害の被害の記録写真も展示されていた。渡邉邸の裏を流れる荒川は、水運の利とともに
その名の通り水害も度々この地域にもたらしたのだ。記されていた浸水水位は顔まで沈むほどの高さ。恐ろしい!


写真を見ると川の中に家々が建っているような状態。。。写真中央より少し右側に見えるT字型の大屋根が渡邉邸だ。
それでも流されてしまわなかったのはすごいな。まぁそれで傷みが進んだのはあるだろう。修理をして同じ姿を
今に伝えているのは素晴らしいことだ。


さて母屋の部屋に上がろう。土間に面した部屋は表側から「広間」「茶の間」「中茶の間」「台所」となっており、
台所に板敷きの部分があるのだが、よく見ると、魚の形が!かわいい~~


床板の補修を兼ねたものだ。いつの修理でやったのかは分からないけど、遊び心があっていいな!探すのも楽しい。
11匹ぐらいは見つけた(笑)


最盛期は75人もの使用人がいたという渡邉家。土間に面した部分は、商売や庄屋としての仕事の場であり、
米を納めに来た小作人や使用人たちが出入りし動き回る実用の空間であった。
一方その奥には式台のある玄関や繊細な造りの座敷などであり、全く雰囲気が変わる。


欄間や釘隠し、建具の引き手などの意匠も凝っていて面白い。


釘隠しは解説シートに7種類が載っていたので気をつけて見て回ろう。これはコウモリだそうだが・・・
コウモリには見えないな(苦笑)




ここは書斎だったか?どの部屋だったかもう分からないが(汗)、天井にあえて節だらけの板を使ってある、
数寄屋風の意匠。


こちらは渡邉家の家紋の釘隠し。


お庭に張り出した角部屋の大座敷。2面の建具を開放し広々としたお庭が楽しめる。


心字池を中心とした池泉庭園は、京都から招いた遠州流の庭師により作られ、鞍馬石や小豆島の石など
関西から持ち込まれた石が使用されたのだとか。


続く。
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2019.10.5~6 高知お試し旅 もくじ

2020-01-19 12:20:39 | Weblog
ジェットスターの関空~高知便を一度使ってみたくて、セールで安くゲットした。一日一往復なので現地滞在時間は
ほぼ24時間と短いが、高知ってあまり知らないし軽くお試しで・・・
行ってみると、独特の形をした民家や石垣・石塀のまちなみがよく残っていてとても素敵!!すっかり気に入った。
その地でしか見られない建物や風景がやはり旅の最大のモチベーション。そしてそれを通じて、その地の風土や歴史を
体感していくのが旅の醍醐味だ。高知、また行きたいなぁ~~


高知へ。吉良川のまちなみ
吉良川の石垣
吉良川の宿、蔵宿
吉良川の2つの橋
奈半利のまちなみを歩く。
奈半利のかわいい石塀たち
奈半利 森家住宅を見学
安芸のまちをちょろっとうろつく。
手結港可動橋を見上げる!
高知延長!
旧玉水新地の風景

初日の夜に突然帰り便の欠航連絡が入って大ショックだったが、超速リカバリー対応がうまくいって損害は最小限で済んだ。
LCCだから仕方ないと思っているが・・・神経がすり減るのでできるだけそういうのはやめてほしいなぁ~~(汗)
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旧玉水新地の風景

2020-01-18 23:20:39 | 風景
2019年秋の高知の続き。

もともと高知市内を見るつもりをしておらず何もチェックしていなかったのだが、急遽スマホで何か見どころはあるかと調べてみると
元玉水新地という場所があり、遊廓建築が少し残っているらしいのでちょっと行ってみよう。
レンタサイクルで走るが高知の街は結構広いなぁ(汗)

あぁここがそうなのか。なるほど、車の走る道路から一段下がったところに水路があり、その前にいくつかの
旅館が並んで建っている。


ここは高知城下町の端っこで、この細い水路に架かった「思案橋」には番所が設けられていた。
高知城の築城とともに1601(慶長6)年から城下町の建設も始められた。鏡川と水路で区切られた城下町は、
南北約1km、東西約3.5kmほどのエリアである。遊廓は城下町のすぐ外側にあったのだ。


思案橋の洗い出しの親柱には大正十五年五月、と書かれていた。


旅館街の前を流れる水路は、車道から1~1.5mほど下を流れていて、水路沿いに歩行者用の道が通っている。
これは私道なのかな?ちょっと下りてみよう。


車道から直接1軒1軒の旅館へ渡れるように、それぞれの建物の前に橋がある。各旅館がそれぞれに独自で架けたのだろう。
両岸に段差があるので路面が階段状になっているのだが、段の入れ方や欄干のデザインも皆違っていて、幅も違うし、
途中でくの字に曲がっていたり、バラバラなのが面白いな!




水路は古い石積みの護岸になっていて、各橋のたもとには水面まで下りる数段の階段が設けられている。
ここで洗いものをしたのだろうか。


この水路の水は、意外に思うが湧き水のようにとても澄んでいる。


その先に旅館が数軒並んでいた。元々ぎっしり並んでいただろうが手前は大きな空き地となっている。


空き地の横の道を少し入ったところに豆タイル貼りの建物があった。3つのドアがあり、元は店だったのだろう。
それぞれ周りのタイルが違っている。




旅館の方に戻ろう。もう営業してなさそうな雰囲気だがよくわからない。。。


道路からの視線を遮るために植えられているであろう川べりの木が、水路と相まって風流ともいえる風景を作り出す。
こういう場所に、水の清らかさが救いとなっているな。


かわいいグリーンのタイル。


人がいる建物もあったのでさーっと歩く。


元遊廓のような場所はイメージがよくないので行政は一掃したがり一般市民は見て見ぬふりをするだろうが、
都市にはいろんな場所があったわけで、裏も表もまちの記憶としてはとどめておきたい。




行き帰りに目にしたレンガ塀いろいろ。
ところでこういう水路、夜など人は落ちないのかなぁ!?




これも阪神からの戻り船のバラストとして積んできたレンガだろうか。


築地塀も。


寺田寅彦記念会館の石積みの塀。

ランチに行ったのが結構遠くて時間を取ってしまった。。高知散策はこの辺で終わりにして、駅への戻りしなお風呂屋にちゃぽん。
高知駅前からのバスは大阪まで5時間!長い道のりだけど帰れるだけありがたい。

あぁ飛行機が欠航になったおかげで(苦笑)高知市内もちょっとうろつけたし、楽しいお試し高知旅となったな!
ジェットスターの高知便がなくならないうちに、また来よう。お願いだから欠航はやめてほしい~~(祈)

終わり。
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高知延長!

2020-01-15 23:13:07 | 建物・まちなみ
2019年秋の高知の続き。

帰りの飛行機が欠航となったため(涙)急遽バスを確保。当初はレンタカーを返却して10時には高知空港に着くつもりだったが、
15時ぐらいまで遊べることになったので気が楽~~(笑)
手結港を後にして、赤岡というまちにもちょっと寄り道。おぉ、このレンガ塀は立派だな!この民家は何だろう。


塀に設けられた出入口は曲面のレンガで美しく仕上げられている。これを見てもかなりの名家かと想像がつく。


ちょうど人が来て雨戸を開けているところだったのでちょっと覗いてみたら、「どうぞ~」と声をかけていただいたので
中へ入ってみる。


あっ、タイル貼りのショーケースがある。奥へと続く通り土間にはレンガが敷かれている。
道路側からいちばん手前が広い土間、中央に一段上がった和室、いちばん奥は土間の台所である。
リノベーションの途中のような感じ。


手前の土間の部分には何か古い道具類がたくさん置かれていた。これはいったい何!?


この家は「赤れんが商家」と呼ばれていて、旧赤岡村の初代村長、小松与右衛門の住まいであったという。
靴屋をやっていたこともあり、大量の靴の木型がぶら下げられた壁が壮観!靴作りの道具もたくさん。面白いな!




台所のかまどは作り直したらしい。
ここはまだ店舗でもカフェでもないが、「赤岡町家再生活用プロジェクト」の方々を中心にまちづくり拠点としての活用を進めているところで、
いろいろなイベントやワークショップなどにも使い始めているそうだ。


かなり年代モノと見える振り子時計。


奥の座敷ではちょっと前にアートの展示をやったとかで床の間にキンキラの銀紙などが貼られたままだった(笑)
しかし欄間は一枚板の透かし彫りの立派なもので、相当立派な座敷だったことを思わせる。
欄間のデザインは流水にコウホネかな。カゴは何だろう、カニ採りのカゴか何か??




外に出たときショーケースの文字に気がついた。あっ、これは「たばこ」の「こ」だな。


この赤岡のまちにも古い商家が並んでいる通りがあり、水切瓦のついた商家が見られた。




さて、高知駅近くでレンタカーを返し、レンタサイクルを借りて高知のまちをうろつこう。


素敵なコンクリート橋を見つけた!


入口が木に覆われた秘密の料亭(?)




四国銀行本店の壁に大きな大理石モザイクを発見。これは矢橋六郎に違いないな!と思って検索したら案の定。
1963(昭和38)年の作だそう。ビルの定礎は昭和三十七年十月と書かれていた。
しかし、日曜なのでパイプ状のシャッターが下りていて、その隙間から写真を撮ると全体をうまく写すことができず・・・もどかしいな(汗)


続く。
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手結港可動橋を見上げる!

2020-01-14 23:42:16 | 川・橋・船
2019年秋の高知の続き。

爽やかな朝!!真っ青な海を眺めたりしながら、手結港可動橋へ向かおう。これは当初の予定通り。
私は橋好き、その中でも古い石橋・鉄橋、そして可動橋が好きで、これまでにもいくつかの可動橋を見てきた。
筑後川昇開橋長浜大橋末広橋梁東高洲橋、小天橋、もうなくなったが丸島橋など。本渡瀬戸歩道橋は
立ち寄る時間がなく車窓から見ただけだったな、、、
固定されてしまっているものではJR和田岬線が兵庫運河を渡る橋や、勝鬨橋も見たことがある。
しかし可動橋は古い時代のものだけでなく結構最近でも新しく作られている。


この手結港可動橋もそれほど古いものではない。
手結港自体は歴史があり、江戸時代初期から整備着手され1657(明暦3)年に竣工した古い掘り込み港湾である。
その入口に設けられたこの可動橋は2002(平成14)年に完成した。


袋状に引き込まれた港の入口はかなり絞られていて、対岸との距離は最小で10mぐらいだろうか。橋長は32mあるらしい。
踏切にあるのと同じ黄色と黒のバッテン印が橋の手前、道路に向かって立っている。私が着いた時橋は下がった状態で
車がバンバン通っていた。横の方に回って写真を撮っていると、ブザーが鳴り出した。あっ!開くの!?
実は、開閉スケジュールをチェックしていないまま来てしまったのだったが(汗)、ちょうど8時に開くようだ。
ラッキ~~


おぉ~~~見る間に開いていく。片手はスマホで動画を撮りながらカメラで写真を(笑)


全開して動きが止まった。70度ぐらいだろうか。丸島橋のように床がスケルトンじゃないので重そうだな。。。


そそり立つ橋の裏側が丸見え。


スタンバっていた1艘の漁船が颯爽と出て行った。


橋を開閉するのは、橋があると背の高い船が通れないので、船を通すためである。
すなわちそこが航路として日常的に使われているということであり、港が生きている証である。
日常的に定期的に開閉している現役の可動橋は新旧含めてもそれほど多くないだろう。その意味で貴重な橋だ。


さて、船が通ったらすぐ下りるのかと思いきや、一度上がった橋は9時まで開放状態のようだ。
その間車はこの橋を通れない。じゃあどうするのかと言えば・・・港に沿ってぐるっと回りこむ道があるので、
皆慣れた様子でそちらへ回っていく。しかしくねくね細い道なので対向車が来たら退避するのも苦労しそうだな。。。


自然な曲線を描く港の古い護岸がとても魅力的・・・こういう船だまりの風景が私は大好き。


ウキウキとうろつき回って写真を撮る。あぁどこを切り取っても絵になるなぁ~~~。無造作に置かれた生業の道具。
日々の営みの風景。あぁ何と美しいんだろう。水の青さがさらにフォトジェニックにしている。


私も港をぐるっと回って対岸の方へ行ってみよう。


うぉ~~~っ!!こちら側から見ると一段と異様な光景だ。まるでナイフが垂直に突き立っているよう。
通常水平で足もとにある道路が空中に高々と持ち上がっているのはとても不思議な感覚。。。


道路を歩いて近寄っても遮断機の手前までしか行けないが、その代わり横に展望台(?)があり、持ち上がった橋のすぐそばまで
寄れるようになっているのがうれしい。上から眺めるとこちら側から数mのところに支点があり、手前側が沈み込んでいるのが分かる。


ちょうど開く瞬間をここから眺めていたら、目と鼻の先でこのゴッツイ橋が空中へ立ち上がっていくのだ。
すごい迫力だろうな!!


今度は橋の左側へ行くと水際まで近づくことができ、橋の足元から見上げることができる。


沈み込んだ橋の端部も見える。開く瞬間をここで眺めるのもまたすごい映像に違いない。


う~ん、カッコイイ~~~


橋は毎日6回開閉する。観光用のアトラクションではなく、実用のためというのがいいなぁ!


あぁ、堪能した。今日は朝のうちにもう1ヶ所まちを散策する予定なので、橋が下りるのを待たずそろそろ行こう。


続く。
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安芸のまちをちょろっとうろつく。

2020-01-13 22:00:50 | 建物・まちなみ
2019年秋の高知の続き。

奈半利からまた西へ向かって走る。今宵の宿は河南市の素泊まり宿。電話して聞いてみたら近くには食べるところが全くない
と言うので、市街地で食べるところを探そうと、安芸のまちで車を停めてちょっと歩き出したら、またこちらも面白そう。
日暮れまでに宿へ入ろうと思ったがご飯を食べていたらどうせ夜になるから、日のある間は散策しよう。

路地のような細い道を歩いて行くと、石垣の上に載った町家が目に入る。細い道の境界ぎりぎりのところに
そそり立つようにして建っていてしかも1mほどかさ上げされているので、こちらに倒れてきそうな圧迫感。。。


切り石積みの基礎ならよくあるが、ここでは自然石をザクザクと積んだ石垣が野趣に富んでいる。
建物の右端に入口への階段がついているが、玄関にしては質素。。。何か風変わりな雰囲気だな。


そして・・・1階の窓下が面白い!何とこんなところに、小石でモザイク模様を作っているのだ。柱で区切られた
フレームごとに、濃い色の石で縁取った中に白い石を敷き詰め、その中央に十字や花などの模様が見える。


これは舟!?かわいい!!模様は青石や赤茶色の石で。


十字?


虫??


花だな?


これは何だろう??


道を歩いて行くと同じように石垣の上に載った形式の家がいくつか並んでおり、旅館の看板が上がっている家も。
しかし小石のモザイクは最初の家だけだった。川が近いのでかさ上げしているのだな。


もう限界も近づいて来たのでぐるっと回って引き返そう。広い通りを歩いたらさっきの旅館の名前が出ていた。
あぁこっちが表でさっきのは裏だったのか。どうりで、、、


目の前に水切瓦が妻壁に6段もついた家が現れた!うわぁ~~


そしてこちらの蔵も!ちょっとこの辺すごいなぁ!あっちにもあるぞ。。。
ごはん処を探すのも忘れてまたどんどん歩いてしまう(苦笑)


こちらの蔵の下半分は、なまこ壁ではなく貼り瓦のみだ。しかもかなり焼きムラがあって、それを意匠としているようだ。
面白いなぁ!同じ貼り瓦は別の店のファサードでも見られた。




こちらは珍しく、洋風の軒飾りがついた店舗。


パラペットに雷文が。


こちらはまた吉良川で見たのと同じような、つし2階で、1階の両側になまこ壁が付いた典型的な土佐の商家だな。


大きなお屋敷もあって、明るいときにゆっくり歩き回ればもっといろいろあるんだろうなと思わせるまちだった。


竹タイル貼りの土居橋の親柱。


しかし飲み屋はたくさんあるのだけど、お酒を飲まずに1人で食事できそうなところがなかなかない。
国道沿いにあった「ファミリーレストラン蝶」。このフォント、どう見てもスナックかラウンジじゃない!?(笑)
面白いからここにしようかとも思ったけど、カレーとかフライなどの洋食だったらちょっとな・・・
もう少し走ってみるか。。。


走り出してほどなくロードサイドに手ごろな食堂があったので即決で入る。
ご飯が出てくるのを待ちながらメールチェックしていると、ジェットスターからのメールが入っていた。
えっ!?・・・ちょ、ちょっと、欠航って何よ!?台風はもう去ったはずじゃないの!!
明日の帰り便が機材繰りの都合か何かのために欠航になったというのだ。そんなぁ~~~
翌日に振り替える場合は宿泊代として8千円出るらしいが、、、月曜は仕事だよ!どうやって帰ろう~~
他社の飛行機やJRの特急を使えば大赤字だ。何せ、ジェットスター便は片道2400円ぐらいで買ったのだから・・・(涙)
バスを検索したらあと4席!!迷わず予約。6千円弱するので足が出るが仕方ない、まだいちばんマシだろう。
あぁ悔しい・・・月曜日休めれば、タダでもう一日ゆっくりできたのに、こういう時サラリーマンはツライ。。。
しかし前日に欠航が分かったのは不幸中の幸い。当日ならバスは取れなかったかもしれない。

空港店に返却する予定だったバジェットレンタカーに連絡して事情を話したら、高知駅近くの営業所への返却で
いいと融通を利かせてくれたのはありがたかった。

突然の悪夢だったが、飛行機は10時台だったのが夕方4時のバスにしたので半日以上遊べることになった。
せっかく高知まで来ているのにさっさと帰るのももったいないし、時間をお金で買ったと思えばまぁいいか!

続く。
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奈半利 森家住宅を見学

2020-01-12 21:10:38 | 建物・まちなみ
2019年秋の高知の続き。

奈半利の森家住宅は「土佐の交通王」と呼ばれた野村茂久馬の自宅であった。
前までやってきたら、ちょうど「土佐の交通王野村茂久馬展」がこの建物の中で開かれているようだ。
中に入れるのか!ラッキ~!


奈半利の古い建築としては多分いちばん知られているようだが、実際は代表的な建物とは言えないいかもしれない。
これまで見慣れてきたこの地方に特有な水切瓦は見られず、屋根は入母屋造、通りに面した壁は下見板張り。
しかし2階の縦長窓が洋風っぽかったり間取りが変わっていたりと面白い建物だ。




玄関を入って廊下を進んでいくと、、、うわっここは何だ!?家の中なのに離れの便所に渡る外廊下みたいな
雰囲気だ。変わっているなぁ!




展示をやっている2階へ。
4つの部屋が一列に並んだ変わった間取り。建具を取り払うと長さ9間もの細長いひとつながりの部屋となる。


床脇の床板が2段になっているのが物珍しいな。欄間は冨士山のデザインだった。


展示は2階の3部屋で壁や襖などに写真や説明が貼られショーケースが並べられていて、かなり充実していた。
明治30年、野村茂久馬は高知市で内国通運(株)高知取引店(丸通)に就職、最初は苦労したが次第に手腕を発揮、
近代化の波に乗りながら事業を拡大していく。バス、鉄道、航路、、、そしてデパート、観光、ホテル、、、
現在の高知の運輸、交通、観光のインフラをことごとく彼が育てあげたと言っても過言ではないだろう。
昭和2年には、日本新八景海岸の部で室戸岬がトップ当選し観光ブームが到来するが、これも茂久馬の奮闘の賜物であった。
晩年は四国銀行の頭取も務め、高知経済界の要職についている。政界ともつながっていて、浜口雄幸元首相とは学友、
吉田茂元首相とも懇意の仲。生涯をかけて高知県の発展に絶大な貢献をした方であった。


この偉大な交通王の生誕150周年を記念して、新たに収集した資料から初めて彼の全貌を明らかにした展示を
旧自邸で開いているのが素晴らしいな!しかしこれだけの内容、ここだけじゃもったいない。高知県内のミュージアム等に
巡回展示すればいいのに!実際どこかでやったのかな?


ガイドの方に図録も頂いて、古い民家を見て回っていると少し会話していると、お好きならこれどうぞと
「奈半利の建築」という厚さ1cmくらいある立派な冊子を下さった。ええっ、ほんとにいいの!?
そして、こちらもどうぞ見て下さいと案内してくれたのは、トイレの色ガラス!!おぉ~~っ
さらに森家の奥様も出てきてくださっていろいろ話していたら「歴史の町並 令和元年版」も頂いた。うれしい~~

ところでこの「奈半利の建築」という冊子、夜に宿の部屋でパラパラ見ていたら、著者が昔知っていた人だったので
驚いた!!ググってみたら高知県立大学の教授になられているとか。

森家での庭の片隅に放置されていた陶器製の便器。。。


通りに面した下見板張りの壁。縦長窓が4つ並ぶさまは洋館のようにも見えるが、ここの内部は和室だった。




森家住宅の裏側(東側)の石塀もまた素晴らしい。


塀に設けられた小さな入口はレンガ積みである。こういうレンガ積みの入口は今回あちこちで見かけた。
さすがに石積みでは造りにくいからだろうな。

森家住宅は今もお住まいのためいつも公開しているのではないようだ。ちょうど展示期間中に出会ったので
建物も見学できて、展示も見れたうえに資料もいろいろ頂けて本当にラッキーだったな!!

ところで1つ心残りは、ここからもう少し北の方へ行ったところに、藤村製糸株式会社の建物があったのだが、
時間がなくそこまで行けなかったこと。そこは平成17年まで実際に操業していたといい、6段の水切瓦を持つ
大きな繭蔵があり、現在は藤村製糸記念館として一般公開しているらしい。あぁ本当にもう一度行かないとなぁ!

続く。
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奈半利のかわいい石塀たち

2020-01-11 23:07:50 | 風景
2019年秋の高知の続き。

吉良川と同じような水切瓦のある民家が見られる奈半利のまち。玉石がみっしり並んだ塀も吉良川のものと似ている。
しかし奈半利では「いしぐろ」とは呼ばないようだ。
庭付きのお屋敷が多いだけに垣や塀も多く、石塀のまちなみとしてはむしろこちら、奈半利の方が印象が強い。
石のみで積んである石垣はあまり見当たらず、ほとんどは玉石を漆喰などと交互に積み上げた「練り塀」である。
こちらもいくつかのバリエーションがあり、石垣フェチの私はすっかりとりこになってしまった!

車を停めた役場の隣にいきなり立派な石塀が!左側は玉石をそのまま、右側は割面を表面にして積んである。
中央は隅石のように見えるので、左側はあとから積み増ししたのだろうか。




そこから角を曲がって続く塀は瓦をみっしりと積み上げた築地塀になっていた。


さらに続く塀は途中から板張りになった。立派な松の木もさまになったこのお宅、文化財の記載はないが
ここも由緒ある家という感じがするな。


東山家の裏にも素敵な塀があった。


うわ~~かわいい!!ここは石がほとんど漆喰の中に埋まっていて、表面に飛び出している石が水玉模様みたい!
しかし、見かけはかわいいが、石をよけて漆喰の表面を均す作業は大変そう!地味にすごい左官技術だろう。


基壇部は切石積み、上には瓦が載っている。端には隅石。


出入口を挟んだこの短い塀も、手抜きなし。あっぱれ!


野村家の石塀。


主屋は大正時代のものだが塀は明治後期の築という。


ここは外に面した塀の他に、門を入ったアプローチに沿った低い塀があり、玉石の練り塀がカーブを描く。


この建物は森家住宅の一部かな。中の建物は建て替わってもこの石塀が残っているのはいいね!


うふふ~~ん、なんてかわいいの!!


こちらの石塀は目地の部分にちょんちょんと模様が入っている。




改田家住宅の大正初期の主屋はファサードが改修されていてあんまり目を引かないが、石塀は他とはひと味違う。


道路に面した石塀がこれ!!丸っこい玉石ではなく少し薄っぺらい石を半分土の中に埋めているのだ。


縦方向の目地が広く横一列に揃っていて、水平のしましまボーダーだ。


隣地に面した南側の塀もまた見事な粒ぞろい!!本当に、奈半利の人たちはカワイイモノ好きだなぁ!


いくら見ても飽きない。見つけるたびに写真を撮りまくってしまう。奈半利の石塀LOVE~~~(笑)
今もこれを書きながら、この丸っこいカワイイ石塀が恋しくなってもう一度見に行こうかと考えている。


続く。
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奈半利のまちなみを歩く。

2020-01-10 23:48:33 | 建物・まちなみ
2019年秋の高知の続き。

奈半利は「ごめん・なはり線」という土佐くろしお鉄道の路線名(愛称)にもなっていて町の名は前から知っていたが
来るのは初めて。ここも古いまちなみが残っているらしいので、役場の駐車場に車を停めてちょっと歩いてみよう。

東山家住宅は町家形式の外観。つし2階の部分にガラスのはまった窓があり珍しいが、元は吉良川で見たような
よろい戸がついていたのではないか。


水切瓦のついた蔵は店舗に改装されて現在も薬屋を営まれている。


何も資料を持っていなかったので、近くにあったパーマ屋のおばちゃんに古いまちなみのことを聞いてみたら、
ここは吉良川ほどいいのはないよ、と謙遜しつついくつかの建物を教えてくれた。
歩いて行くとやはり吉良川と同じような水切瓦のついた漆喰壁の民家が目につく。しかし街道筋に町家が建ち並ぶ
吉良川と違い庭付きの独立した民家が多く、形も多様だ。吉良川よりも若干時代が新しいような雰囲気だ。

こちらの齊藤家住宅は奈半利町農業協同組合の倉庫だった建物。1938(昭和13)年築。


野村家住宅は通りに向けた大きな妻壁に三段の水切瓦が付き、その下は板張り。主屋は1922(大正11)年。
野村家は土佐藩に納める年貢米を集めた「倉床」と呼ばれる家だった。


野村家でも見られる、素晴らしい奈半利の石垣の数々は吉良川にも勝るほど。あらためて別記事で。
また奈半利のまちの代表的な建物である森家住宅では、中を見学できたので次の記事にて。。。

浜田家(増田屋)の背の高いレンガ蔵は3階建てに見えるが、実際は2階建てだとか。これも、京阪神から
船のバラストとして積んで帰ったレンガが使われている。内部には螺旋階段があるらしく、見てみたいなぁ!


こちらが増田屋の店舗。寛政7年創業の老舗で、酒造業と質屋を営んでいた。店舗の裏に建てられたレンガ蔵は
質蔵だったのだな。主屋と店舗、レンガ蔵はともに1903(明治36)年築。


この通りには江戸時代の旅籠だった西尾家もあり、ここが旧街道筋だったのだな。
西尾家の主屋は江戸末期の築といい、奈半利では最古級じゃないだろうか。
通りから見える部分はわずかで、奥にはレンガの塀や水切瓦のある蔵もあったようだ。


一転、これは昭和の建物だろうが、コンクリートブロックのファサードがクール!


「Restaurant Hirota」。レストランヒロタ、だろうか。素敵な洋食屋の店構えだが
今はもうやっていないようだ。残念。。。


壁の一部を掘り込んだタイル貼りの手洗いが(笑)


こちらの建物はファサードに白タイルが貼られていた。何のお店だったのだろう。


白無地ながら乱貼りデザインのタイル。これはカットしたものではなく、組み合わせ用に様々な形のタイルが
焼かれたもののようだ。


国道55号沿いの蔵が目を引く竹崎家住宅(高田屋)はカフェ、ギャラリーになっている。入りたかったのだが
5時で閉店という(汗)。そして「集落活動センターなはりの郷」となっている旧弘瀬家が向かいにあり、そちらは
行政なので5時ぴったりに閉まるので先に見てくる方がいい、とのアドバイスを受け、先になはりの郷へ。

そこには奈半利のマップや資料もあって、先にこちらに来ればよかったな・・・
外観を撮るのを忘れていたな(汗)。座敷に上がって内部をささっと見る。


きれいに改修済みだが欄間などは松竹梅や鶴が透かし彫りされた立派なものだった。


なはりの郷に隣接する家もかなり古そう。石塀も美しいなぁ~~


その向かいにあった蔵も超美形!!水切瓦のラインと腰のなまこ壁が




そしてこちらの高田屋、竹崎家は樟脳業で栄えたという。1890(明治23)年頃の築。


表側に蔵が建ち、敷地の内部に主屋が建っている。その間の通路には石材が敷かれていた。


主屋がカフェなのだが、やぱりもう終わり(涙)。さっきちらっと覗いたらいい雰囲気だったのに残念。。。
次の機会に。




おっちゃんが蔵を案内してくれた。かなりの高床になっているのは、やはり水害を想定してのことだろう。
蔵の中には竹崎家の商売に関する資料や由緒ある品々がたくさん展示されていて代々の繁栄が偲ばれる。


残念だったのは、パーマ屋のおばちゃんが言っていた濱田典弥家住宅を見つけられなかったこと。
小作人400人を持つ大地主だったという濱田家には、立派な石垣、重厚な主屋と土蔵があるらしく、時々イベントも
開かれているということだったが、場所が分からず引き返してしまった。また次回に探そう・・・

続く。
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吉良川の2つの橋

2020-01-09 22:07:19 | 川・橋・船
2019年秋の高知の続き。

吉良川のまちは、西の川と東の川という2つの川に挟まれたところにあり、南側は海に面している。
それによってまちの独立性が高まっているように思われる。


2つの川は完全に別の水系である。こちらは東の川。写真は対岸から吉良川の町を望んだところ。


片側の親柱に「ひか志乃かわはし」と書かれていた。東の川橋、そのままだ(笑)


もう一方の親柱には「昭和十一年五月架設」とある。幅は狭いが車も通る橋である。


そしてこちらが西の川。この橋は歴史的まちなみのメインストリート、旧土佐街道の延長上にある。
現在は歩行者・自転車用となっているが、これの下流側すぐのところに自動車用の橋ができるまで使われていた旧橋らしい。


親柱にも橋名は書いておらず(対岸側には書いてあったかも)、あちらが東の川橋なのでこちらは「西の川橋」
だろうと踏んでいたが、違うようだ(苦笑)。検索しても橋名が全く出てこないのだが、現在の国道55号の橋が
吉良川大橋なので、旧吉良川橋、だろうか。


洗い出し仕上げの親柱には「昭和十一年七月架設」とあった。東の川橋は5月、ほぼ同時期に造られたのだな。
この頃に何かあったのかとちょっと検索してみると1934(昭和9)年に室戸台風が襲来している。
お隣の奈半利町に上陸した室戸台風は同じく海沿いの吉良川にも大きな被害をもたらしたことだろう。
川の最下流にある2つの橋は復興事業で架け直されたものと想像する。


川幅が広いのもあり東の川橋よりも立派に見える。やはり吉良川のまちから土佐の中心地へ向かう側なので
通行量は格段に多かったに違いない。
賑やかに人が往来していた様子をしのばせる旧橋。引退後のんびりと余生を送っているように見える。


のどかな西の川の河口。


さて吉良川をあとにして西へ戻るように車を走らせていると、何か気になるものが!?いったん通り過ぎたが
引き返してきた(笑)


何だこれは!?鉄道の築堤のような盛り土が敷地の奥へと続いているが、石積みの土留めが崩れ土が流れ出している。
道路に面したコンクリートは橋台じゃないの?


しかし海沿いに走ってきたこの道路を跨ぐということは、海岸線に対して垂直ということだ。背後は山。
道路の反対側には橋台など見当たらない。突如現れたこの築堤が鉄道とすれば、ここからどこへ続いていたというのか。。。


築堤の脇は資材置き場のような平らな土地が開けていた。よく見ると、地面に2本の細い線が・・・
あっ、、これはトロッコのレールじゃないの!?山で切り出した木材を運んでいた森林鉄道だろうか。


帰ってからちょっと検索してみると、このあたりには魚梁瀬森林鉄道というのが走っていたらしく、現在まで膨大な
遺構が残っているようだ。ここもその遺構のひとつだろうか。
真偽のほどは不明だが・・・WEBの写真を見ていたらこの森林鉄道の遺構をめぐってみたくなった!
次回行く時はちょっと時間を取って見に行ってみよう~~


続く。
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吉良川の宿、蔵宿

2020-01-08 23:46:12 | 建物・まちなみ
2019年秋の高知の続き。

吉良川のまちの旧土佐街道を端の方まで歩いて行くと、ひときわ立派な蔵が見えてきた。うわっ、すごい!
下半分はなまこ壁で上は水切瓦が幾重にも重なっている。
水切瓦は吹きつける風雨から壁を守るための実用と装飾的な意味合いの他に、ステイタスシンボルでもあったという。
ここでも広い敷地のうちでも表側の目立つところに水切瓦をめぐらせた蔵を配置している。


おや、暖簾がかかっているな。「蔵宿(くらじゅく)」、ここは宿なのか。カフェもやっているようだ。入ろ!!


この建物は炭問屋を営んでいた池田家の住宅。
ここはまちの端の方で敷地が広いからかちょっと変わっていて、通りに面した主屋と蔵の間が高塀で繋がれ、
格子戸の入口が設けられている。アプローチの素敵な石垣はリノベーションで造ったのかも。
蔵がカフェのようなので覗いてみるとグループのお客で大入り(苦笑)。


「いけますか」と声をかけると、「こちらでどうぞ」と、中庭に面した建物の方へ案内された。
これは通りに面した町家形式の主屋の一部だな。ラッキ~~
外から眺めていた町家を内側から見れてうれしいなぁ!


ここの軒下には1間ほどの土間がありその内側に部屋がある。台風のときなど土間の外側に雨戸を立てるのだろう。
夏は深い軒が日射を遮って涼しそうだ。南国土佐ではやはり夏を旨としているのだな。ここは普段は客室らしい。


パウンドケーキセットを頂いてほっとひと息ついたら、客室内をちょっと見せてもらう。


庭に面したこの部屋から奥へ行くと上質な座敷と、さらに奥にはベッドが備え付けられた寝室があった。
かなり広いスペース。欄間は菊の花の透かし彫り。こんなところに泊まれるっていいなぁ!




中庭を囲むように建物が建っている。敷地のいちばん奥に、木々に隠れるようにして建っている建物が気になる。
大正時代に離れとして建てられたそうで、そちらも客室に使っているらしい。
奥さんに頼んでみると、片付いていないけれどと見せていただけることに。やった~~




邸宅のように独立した玄関。正面に床の間や丸窓のある玄関の間。


玄関の間から左へ行くと部屋が田の字型に並んでいる。部屋と部屋の間の欄間が豪華!


激しく波打つ水に扇が散らされたデザインは「扇流し」と呼ばれ優雅でおめでたい模様である。一枚板を彫ってある。
その他には梅、竹、菊の花などの透かし彫りも。




10畳の座敷はこの青い壁がインパクト大!たまに見かけるが、やはり高貴な色で特別感があるな!


床柱が自然に曲がった木を使ってあったり床脇の柱は途中で切れていたりと面白い意匠。


ちんくぐりは小判型に竹の透かし彫り。


ここに泊まったらこの空間を独占できるのだ。いいなぁ!


中庭に面した離れの廊下の欄干。


吹き放ちの廊下が母屋の方へ伸びていて、途中にトイレがあった。新しい設備が入っていたが、壁の白無地タイルは
古いままと見える。




カフェになっている表の蔵は明治期に建てられたもと米蔵で、ライブなどしょっちゅう開かれているようだ。
吉良川のまちなみは1997(平成9)年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
こちらの蔵宿は2000年からカフェを運営、そして2008年から宿もオープンしてきたというから、
吉良川の町家活用の草分け的な存在だったのだろう。これからもまだまだ進化していきそうだ。


あぁ、もう一度吉良川をゆっくり歩きに来たいなぁ。そして是非ここに泊まりたい!!


続く。
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吉良川の石垣

2020-01-07 21:57:35 | 風景
2019年秋の高知の続き。

吉良川のまちをうろうろ。上手の方には立派な「いしぐろ」を持つ家が並ぶ。


このように基壇部は軽く整形した石を積み、その上の部分には小さな石をみっしり並べ、天端は瓦を葺いている。
角の部分には補強のため隅石が積まれている。


なぜ上まで切石を積まずにわざわざ小さい石を使うのか、、、と思っていたが、ふと思った。
これは石垣ではなく、基本的には土塀だ、と。土塀の補強のために表面に石を埋め込んだものなのかもしれない。
水切瓦と同じように土を露出させるよりも風雨に強いということで石の割合が大きくなってきたのだろうか。
しかし赤土と漆喰を練り合わせた「ハンダ」を使わず石だけで空積みしているところもある。
いろんなタイプがあってそれぞれに魅力的だ。


「いしぐろ」はこんなにカワイイ顔をしていながら、第二室戸台風のときの瞬間最大風速84.5mの風にも
耐えてきたというツワモノ。明治時代の建築とされるこちらの木下家でも、がっちりと取り巻いたいしぐろが
長年家を強風から守ってきたのである。




見事な鷹の鏝絵。元々あったところから外してきたのを保存してあるようだな。


御田八幡宮へまっすぐ上る坂道の途中に、公開している町家があった。吉良川まちなみ拠点施設「まちなみ館」は
旧長田家住宅と旧松本家住宅。トイレも整備されパンフレットなどが置かれていた。
いしぐろや水切瓦についてなどいろいろ尋ねてみたかったが人がいなかった。


もう一軒「おまつり館」にも入れたが、座敷には上がれず土間から座敷を眺めるのみ。
ちょっと物足りないが・・・逆に言えばその他の家には人がずっと住み続けていて空き家になっていない
ということだろう。それはいちばん素晴らしいことだ。


メインストリートである旧土佐街道へ下りてきたところに、妻壁がレンガで積まれた町家があった。
レンガ壁には水切瓦は取り付けられていない。
前回の記事で、レンガが使われている家は比較的新しいのだろうと書いたが、今あらためて写真を見ていくと、
確かに妻壁がレンガ積みの家はたっぱが高いという傾向があるようだ。
一般的に近世の町家は天井が低いつし2階で、時代が新しくなるにつれ普通の2階建てとなる。
この武井家住宅は1988(明治44)年の築という。2階の軒下の持ち送りも面白いな。


上にすきまの開いた変わった格子。


このあたりの町家にも「ばったり床机」があるんだな。前へ倒すと腰掛になる、折りたたみ式。


こちらの家では格子の下の部分に鉄板(銅板?)を貼っていた。


立派な細木家住宅。こちらは通りに面した2階の壁にも水切瓦がついている。そのうえ窓の上にも別途
ひさしがつくという凝りよう。しかしゴチャゴチャ感はなく、1階の両脇を飾るなまこ壁と2階の黒壁が
モノトーンで統一され超クール!!


たまごのような丸い石が積まれた生垣。カワイイ~~~




こちらも細木家住宅。ここは細木さんが多いようだ。1階の左右のなまこ壁と井ゲタのマークが入った部分は
戸袋のようにに見えるが、こんなところに戸袋は要らないし・・・単に装飾的な壁なのだろうか。


玄関脇にこういう小さな戸がついている家もちょくちょく見かける。この向こうは塀に囲まれた前栽だが、
この戸は通用口みたいなものなのだろうか?上には瓦まで載っておりきっちり作り込まれている。


これは何の建物だったのだろう。道路からセットバックして建つ半切妻屋根の建物は明らかに他の町家とは違う。
お風呂屋っぽいけど・・・・


妻壁に丸いマークが。


白タイルが清潔感あふれるこの建物は床屋だな。現役っぽい。超レトロでしびれるね~!


続く
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高知へ。吉良川のまちなみ

2020-01-06 23:46:53 | 建物・まちなみ
お正月ずっと更新サボってましたが・・・本年もよろしくお願いします。
新年のブログ初めは去年の秋に行った高知の記事から。。。

ジェットスターの新航路、大阪~高知便を使ってみたいと前々から考えていたのだが、時間帯が中途半端なのと
高知ってあんまりピンとこなくて(苦笑)なかなか手を出せていなかった。
行きは9:25関空発、10:15高知着なのでまぁいいとして、帰りは10:50高知発なのでほぼ1泊1日。
まぁセールで片道2千円台なら、お試し感覚で軽~く行ってみるのもいいかなと、ポチってみた。
忙しくてしばらく放置していたのだが、さすがに行く日が迫ってきたのでちょっと調べてみると、いい感じのまちなみがあるようだ。
レンタカーで行ってみよう。レンタカーも丸々24時間分で済むから安くつく。こうなったらとことん安く行ってやろうと、
素泊まりの安い宿を押さえた。
ジェットスターは関空の第1ターミナルだから楽ちん~♪飛行時間35分で高知に到着。早い!

首尾よくレンタカーを借りたら東へGO!!台風も去り天気は上々、キラキラ光る海を右手に眺めながらウキウキドライブ♪
途中の漁港でしらす丼を食べ、気分が上がってきた!!
向かうは室戸岬の少し手前の吉良川というまち。まずは遠い方から攻めて、戻りながらいくつかのまちを見、
空港にほど近い場所に泊まる計画だ。今回は高知市は潔くあきらめて、空港より東側のみ。


吉良川は重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)となっており、独特の形態の民家がずらりと建ち並んでいる。
いちばん物珍しいのは、この「水切り瓦」である。民家の漆喰壁から、ニョキニョキとひさしが生えている。
窓があるわけでもない、平らな部分に、である。ひさしは瓦1枚分の出幅で、それほど大きいものではないが
きっちりと仕上げられ、何段にも重なる姿は目に新しく、なんだかこれは冗談じゃないのか?と思ってしまうほど。


太平洋に直接面した南国土佐は台風をもろに受ける。水切瓦は、吹きつける風雨が直接壁に当たったり、
大量の雨水が壁伝いに流れるのを軽減する役目を果たす。家の壁を守るために考案された、先人の知恵である。
広い面積の妻壁に、まるで余白を埋めるかのように取り付けられた水切瓦は、三角形の幅に合わせて上の方は短く、
下の方は長く。蔵などでは軒より下の部分の水切瓦は建物をぐるっと1周している。
最初は奇抜な感じを受けるこの水切瓦も、等間隔の瓦の継ぎ目がリズミカルで、見ているうちにその端正な美しさの
とりこになってしまう。これぞ風土に根ざした独特の景観である。


吉良川の民家は基本平入りで、1階の軒が大きく張り出し、大屋根との間にわずかな壁が見えている。
よく見る近世の町家ではこの部分にはむしこ窓と呼ばれる格子窓があり、その中は天井高の低い屋根裏部屋に
なっているが、ここでは格子窓はなくよろい戸付きの小さな窓が1つか2つあるだけなのも特徴のひとつだろう。
漆喰は「土佐漆喰」という、のりを含まない漆喰だそうで、厚塗りされた漆喰壁の民家は「塗屋造り」と呼ばれる。


そしてもう1つ特筆すべきはこの「いしぐろ」。防風のため、丸い川石が積み上げられた石垣が各所に見られる。
これが実にいろんな趣きを見せていて、石垣好きの私にはたまらない!!


10cm~15cmぐらいの丸い石を半分に割った断面をずらりと並べた石垣、こんなのあまり見ないな!
よくもまぁ同じ大きさの石をこれだけ集めたもので、その上こんなうまく割れるものかと、妙に感心してしまう(笑)。
下半分は大きな石を整形した切石積みであり、そのまま上まで積み上げる方が手間もかからないし強度もあるだろうに、
こんなちまちまとかわいい石を積んでいるのは、景観を考慮してのことに間違いない。


歩いていると赤レンガも目についてくる。家の妻壁がレンガで積まれているところがちょいちょいある。。
ここはレンガ塀が路地の奥まで延びていた。


レンガ壁の赤は漆喰の白い壁と対比するように鮮やかで、ハッとする。こういう、壁の構造の一部をまるまる
レンガにした民家というのもあまり見ないが・・・もしかして漆喰の下はレンガなのだろうか?
近代建築によく使われる赤レンガはやはり明治以降のものだろう。レンガの使われた民家は比較的新しいということか。


塀の入口部分もアールのついたレンガで丁寧に仕上げられている。


メイン通りに面した民家はどの家も間口が広い。今はしもたやだがもともと皆商店だったと思われる。


近隣の山間部では古くから林業が盛んで、製炭も行われた。良質な木材や薪、木炭を京阪神へ運んで売りさばき、
吉良川のまちは栄えた。それらを運んだ廻船が、帰りにバラスト(船のバランスを取るための重石)として
レンガを積んで帰ったといい、そのレンガが建物に使われたのだと聞いて、なるほどと合点がいった!
よく見れば大阪窯業や岸和田煉瓦などの刻印が見つかるかもしれないな。


こちらもいしぐろ。この日は秋晴れで暑いぐらいだったが、雨の日に見るともっと情緒があるに違いない。




こちらは吉良川で唯一の(?)洋風建築。元郵便局として使われていた、熊懐家住宅。ペンキ塗りの下見板張り。


入口の上屋には郵便マークが。


そして屋根の上の鬼瓦にも!!ちょんまげのように長く突き出しているのは「鳥衾(とりぶすま)」と言う瓦。
おもしろいなぁ~~


ちょっと上手の方へ歩いて行くと、石垣率が高くなる。町家の形態ではなくなり、石垣に囲まれて独立した家が多いからだ。
石垣の内側には小さな庭があり、柑橘類の木が植わっている。土佐といえばゆず、ポン酢(笑)
土佐らしい素敵な景観。


石と石の間から薄いオレンジ色の目地が見えている。これは赤土と漆喰を練り合わせた「ハンダ」と呼ばれる
昔ながらの接着剤なのだとか。


あぁ、実用だけでなく美しさも兼ね備えた、吉良川のいしぐろ。本当に素晴らしいなぁ!!
こんな道をうろうろと歩き回るのは本当に楽しい♪


畑も石垣に囲まれていた。


続く
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