まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

新潟邸宅三昧 渡邉邸

2020-01-20 23:20:39 | 建物・まちなみ
こんな真冬に、去年の夏に行った新潟のことを(笑)。

以前、指をくわえて外観だけ眺めていた料亭鍋茶屋、食事をしたら内部を見学させてもらえるということで、
友人とランチしに行こうと計画を立てた。ランチでもかなりお高いのだが・・・覚悟を決めて(笑)。
併せて、毎回少しずつめぐっている新潟の豪邸もいくつか見に行こう。

ピーチでお昼過ぎに新潟空港に着いたら、友人と合流してレンタカーでGO!ランチを省略してまずは
関川村の渡邉邸へ駆けつける。なんせ、このあたりの施設は皆16時までである。早すぎるよ(汗)。
・・・見学には2時間はかかるだろう。今2時すぎなので急いで見よう。


米沢街道の宿場町として発展した関川村は、荒川水運の船着場でもあった。元々村上藩の家臣であった渡邉家が
ここに定住し、酒造業、金融業、廻船業等により財をなし大地主となった。渡邉家は庄屋も務めた。
度々火事にみまわれ、現在残る母屋は2回目の火事で建て替えられたものとか。1817年築というから
もう200年以上経つ。渡邉邸の建物は国の重要文化財、庭園は名勝に指定されている。
現在のこの美しい姿は、6年越しで2014(平成26)年に完了した「平成の大修理」を経て
よみがえったものだ。やはりシロアリ被害などによりかなり老朽化していたらしい。


間口が広い広い!!通りに面して窓の格子、板壁、板塀が長々と続く。軒とひさしの水平線がすーっと伸びた
シンプルで美しいフォルムの主屋はモダニズム建築を思い起こさせる。
一方こんなデコラティブなディテールも。


入口を入ると広い土間があり、土間に面して開放的な部屋が並ぶ。いちばん奥は台所でかまどもあった。
完全に農家のつくりである。


この土間から庭の方へ伸びる通路を進んでいくと、来客用のお風呂「上湯殿」がある。ここを先に見ておこう。


洗い場の床に、マジョリカタイルがあるのだ!2種類のデザインと白無地のタイルが、3~4枚ずつの
かたまりでポツポツと散らされている。


マジョリカタイルはだいたい大正~昭和戦前までなので、この湯殿はその頃増築されたか改築されたのだろう。




ここの母屋の屋根は、枕大の石をずらりと並べた「石置木羽葺」という日本海側特有の形態。これはすごいな!!
石置き屋根は北海道の余市の旧下ヨイチ運上家でも見た。


母屋の土間に平成の大修理の記録写真が展示されていた。これは石置木羽葺の屋根のやりかえの写真。




また、昭和42年の羽越水害の被害の記録写真も展示されていた。渡邉邸の裏を流れる荒川は、水運の利とともに
その名の通り水害も度々この地域にもたらしたのだ。記されていた浸水水位は顔まで沈むほどの高さ。恐ろしい!


写真を見ると川の中に家々が建っているような状態。。。写真中央より少し右側に見えるT字型の大屋根が渡邉邸だ。
それでも流されてしまわなかったのはすごいな。まぁそれで傷みが進んだのはあるだろう。修理をして同じ姿を
今に伝えているのは素晴らしいことだ。


さて母屋の部屋に上がろう。土間に面した部屋は表側から「広間」「茶の間」「中茶の間」「台所」となっており、
台所に板敷きの部分があるのだが、よく見ると、魚の形が!かわいい~~


床板の補修を兼ねたものだ。いつの修理でやったのかは分からないけど、遊び心があっていいな!探すのも楽しい。
11匹ぐらいは見つけた(笑)


最盛期は75人もの使用人がいたという渡邉家。土間に面した部分は、商売や庄屋としての仕事の場であり、
米を納めに来た小作人や使用人たちが出入りし動き回る実用の空間であった。
一方その奥には式台のある玄関や繊細な造りの座敷などであり、全く雰囲気が変わる。


欄間や釘隠し、建具の引き手などの意匠も凝っていて面白い。


釘隠しは解説シートに7種類が載っていたので気をつけて見て回ろう。これはコウモリだそうだが・・・
コウモリには見えないな(苦笑)




ここは書斎だったか?どの部屋だったかもう分からないが(汗)、天井にあえて節だらけの板を使ってある、
数寄屋風の意匠。


こちらは渡邉家の家紋の釘隠し。


お庭に張り出した角部屋の大座敷。2面の建具を開放し広々としたお庭が楽しめる。


心字池を中心とした池泉庭園は、京都から招いた遠州流の庭師により作られ、鞍馬石や小豆島の石など
関西から持ち込まれた石が使用されたのだとか。


続く

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