まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

別府鉄道から国鉄高砂線跡

2011-06-19 00:56:47 | 鉄道風景
別府鉄道野口線続き。

別府川に架かる鉄橋が現れた。別府鉄道時代の橋をそのまま人道橋として使っているもので、
野口線最大の見どころだ。


yumeさんと歩いた飾磨港線を思い出す。新日鉄広畑製鉄所へ行く橋が似たような感じだった。


思えば飾磨港線の廃線も同じころだったっけ。高砂線は?尼崎港線は?確認してみると
すべて昭和59年だ。北沢産業専用線もこの年に休止、事実上の廃止と言える。

別府鉄道の廃線のきっかけは、国鉄が合理化政策の一環としておこなった貨物輸送方式の
大転換。1984(昭和59)年、国鉄は「ヤード終結型輸送」をやめてしまった。
操車場は全廃、全国の貨物取扱駅が大幅削減された。
別府鉄道の貨物も国鉄に連携できなくなり、廃止に追い込まれた。何とも理不尽な話だ。
しかし、私鉄貨物や地方の貨物支線に大打撃を与えたこの国鉄貨物合理化の時代、私は
何も知らずへらへらと能天気に暮らしていた(苦笑)。今訪ね歩く貨物線の廃線跡、それは
このときの打撃の結末だったのだ。。。

別府川の鉄橋を後にして、線路が大きくカーブしたら、もう野口駅は近い。




往来の激しい広い道路は高砂線跡。以前訪れた高砂駅南側の廃線跡とは全くイメージが違うなぁ。


野口駅跡に説明板などがあったらしいが見落としてしまったようだ。高砂線跡を南下して
山陽電車の尾上の松駅まで歩こう。

道路幅は結構広いがこの幅全部が線路だったわけではあるまい。痕跡どころか今では
別府鉄道以上に在りし日を想像するのが難しい。

鶴林寺が見えてきた。道端の案内板を見ていたらおっちゃんが、これ鶴林寺、と教えて
くれたので、この鶴林新道が国鉄の線路跡ですか、と聞いてみる。
あぁそうや、道路になったんや、もうずいぶん昔やな、きれいな道路になってよかったわ

鶴林寺公園には高砂線で走っていた機関車が置かれていた。



道路を越えると道が2つに分かれている。角度的にはどっちに続いてもおかしくない感じで
ちょっと悩むが、工場(?)の側を通る右の道かな、やっぱり。




歩いて行くと山陽電鉄の築堤が見えてきた。

古い石組みのあるガードをくぐる。こちらは桁下4.3m、もう一方の道の方も見ると
高さ1.8mと低い。やはりこちらが線路跡で正解だったようだ。




90度カーブした線路は山陽電車と並行する。線路に近い側の歩道を歩いて行くと
尾上駅跡の碑が車輪と共に置かれていた。反対側の歩道を歩いていたら見落とすところだった。


日が長くなったと言っても7時半になればもうすっかり日も落ちた。さぁ尾上の松駅から
山陽電車で帰ろう。
あっ。駅へ至る道を曲がろうとして手前に見つけたこれは、トラ色の踏切柵じゃないか?


野口駅から歩いてきて初めて痕跡らしい痕跡に出会い、機嫌よく帰途についた。


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