もう最後の声は聴けなくて...

韓国と韓国語についての色々。
コンサート目的の訪韓を記録した旅行記がメイン♪

いよいよTOPIK今週末です。

2012-10-25 12:48:33 | 韓国語

あぁ、別の意味で夢にまで見た高級試験。(悪夢)
半年前位からぼちぼち準備してたものの、過ぎ去ってみれば
本当に何をやってたんだろう?というくらいあっという間でした。
そして、ほとんど何にもしていない。

毎年試験を受けている理由は自分の現在の位置を把握しておく為、
それから自分の弱い部分を思い知る為、というのが前提だったわけですが
やはり高級は、少し緊張する感じ。
そしてその理由は間違いなく勉強不足によるものだと思うのであります(笑)。

やりたいことだけやってきて、色んな人のおかげでここまで来れたし、
しっかり教材で勉強してステップアップして来た方達と比べると
抜け穴が数多く存在していて、自分でももうそれがどこかわからない時も多いです。
そしてやっぱり、書く聞く読む話すは別物なんだなーと思う。

私は主に
書く:SNS、チャット、メール
聞く:ラジオ
読む:エッセイ、小説
話す:現地の友達

で鍛えられました。
…ほら、完全に別物(笑)!!

だからといって、
現地の友達にだけありがとう!と言うわけでもないし、
素敵な音楽を聞かせてくれる歌手にだけ大好き~と言うわけでもないし
どんな時でも無条件に韓国という国を愛するわけでもないし
むやみやたらと光化門広場の世宗大王様に手を振る(?)わけでもないです。
全ては絡み合っていて、だけどまた韓国へと足を運び、いろんな人とモノに出会うのでしょう。


これが終わればチェコ語に突入します。
だけど韓国語を終わらせるわけじゃないよ。
いつまでも、私の中で成長し続けるのであります^^

ロシア語やってからの方がいいという意見や、
世界で一番難しい言語という記述を見つけて大いにビビってます。
本当に、私はいったい何がしたいのか?疑問符がいっぱいです(笑)。

受ける皆さん、お互い頑張りましょう~!!

トガニ。

2012-10-02 21:37:42 | 映画・ドラマ・小説

週末、ようやくトガニを見てきました。
原作小説はその前に読み終えていたんですけど…色々、想像以上でした。

色々思う所あったので…
mixi日記用に書いたものだけど、そのままコピーしますね。



※結構ネタバレします。
 見よう、読もうと思ってる方はお戻りを。※



+++




2005年頃までに、韓国 光州にある聾唖学校の生徒が
校長や教師から性的暴行を受けていたという実際の事件を、
韓国で知らない人はいないほどの超有名作家、コン・ジヨンが小説にしたのが始まりです。
そして、人気俳優のコン・ユが兵役の間にこの小説を読み、
除隊後、映画化に向けて熱烈に活動したといわれています。

この小説はもともとDaumというサイト(日本で言うとYahooやmsnあたりでしょうか)
で連載されていたもので、小説(文庫本)自体も、ひっそり出したというイメージ。
映画自体も決して有名とはいえない制作会社が手がけています。
視聴年齢制限をして、問題提起作品として世に送り出されました。

私は、このあたりにも、世間の風当たりがどれだけ強いか、
問題がどれだけ大きなことであるかと言うことを示していると思いました。
コン・ジヨンの新作、人気俳優コン・ユの次回作、というものがなければ、
大型映画館での上映はおろか、本当に静かな叫びで終わっていたんじゃないでしょうか。


作品では、事実を知った主人公達が、紆余曲折を経て裁判に持ち込むけれど、
おぞましいほどの「権力」というものに勝てず、敗訴するというところまでが描かれます。
映画の最後には、加害者達の一部は後に復職、学校も未だ生徒を受け入れていること、
地元民や被害者達は敗訴してなお問題の再調査を望み、デモや署名活動などを行っていることが
テロップで流れます。

映画公開後、これを見た人々の署名活動などを通じてようやく再調査が行われ、
最初の裁判で勝訴、執行猶予付きで釈放されていた加害者達には結果的に実刑が言い渡されました。
だけど、懲役12年。たったの12年。

トガニとは「るつぼ」(様々なものが入り組み、混ざりあい、何が何だかわからなくなっている状態)のこと。
この作品は正に、その単語そのもの―という内容でした。


コン・ジヨンも、実際は小説に書けないほどもっとひどいものだったとインタビューで伝えていて、
実際小説を読んでも映画を見ても、果たしてどこまでが本当なのかがわからないです。
取り上げられていない事実もまだあるんじゃないかと思います。
小説と映画だけでもかなり表現に差があって、
原作に忠実な映画だったら、きっと3時間を越えるものになっていたでしょう。
映画は惨たらしさを理解するといった意味では非常に見やすく作られているものの、
どちらにしても、単にどちらの方が面白かった、というような
サスペンス的要素は微塵も感じられません。


個人的に印象的だった部分を少し。

訴訟が進む中で、13歳以上の子供に対する暴力事件は
保護者が示談に応じれば訴訟自体が取り消される、という法律を利用し
加害者達が金を積んで根回しをしていく様子が描かれます。
ある被害者の祖母は、孫に起きたことを知り狼狽しながらも
一度は主人公達と共に戦う決意をしますが
これまでの人生と日々の暮らし、老い先短い自分と、
孫の将来を嘆き、判をついてしまいます。


実行犯以外に何人か、この事件に気付きながら防げない大人が存在しますが、
彼らは加害者、被害者のどっちなのか。
彼らは、弱みを握られ、押しつぶされ、権力と環境に屈さずにいられなかった、
このおばあさんと、立場は違うものの似て非なる状況なんですよね。

過去の小さなほころびが、つながりが、全て悪に利用されてしまい、
何を選んでも責められる状況しかない。だから責められない。
善と悪は紙一重で、現実に打ち勝つための保身が事実を捻じ曲げてしまう。


映画では、ここが細かく描写されません。そのせいで、
本当の「トガニ」が何なのか、イマイチ感じられずに終わったのが残念です。
もちろん、それ以外の部分でもう本当に充分伝わるものはあるんだけど。

小説では、それが主人公にまで及んで、物語の核心となっていきます。
「るつぼ」の意味はここにある、とまで思ったんだけど。それは、私だけだったのかな。
全編通して言えることですが、ここは特に「泣きたいのに泣けない」辛い辛い一節でした。


それから、宗教というものを卑下するわけではないけれど、
加害者が献金等を行っていたということで、
キリスト教の団体が裁判所で集まって歌っていたりするのですが、
彼らの言う教え、尽力、活動、などというフレーズは全く解せなかったし、
祈りという名の沈黙が、様々なものをすり替えてしまっているということ、
絶対的忠誠と信仰の区別ができなくなる宗教観に、恐怖を感じました。


被害に合った子供達は、当時まだほんの13、4歳。
しかも、裁判が進む中で、一人の子にいたっては10歳にも満たない頃から
暴行を受けていたのではないかということがわかってきます。
知的障害のある子や孤児、経済的に問題を抱える子を狙っていること、
地域・組織ぐるみでの捏造、隠蔽、田舎町ならではの奇妙なからまり。
作品の中で出てくる被害者は4人ですが、
小さなものまで含めると、被害者はもっといたのではないかと思わずにいられません。

彼女達の一生を思ったら、一体何を選べば安心して暮らせるのか、
それ自体、はかないことのようにすら思えて。正直、涙も出なかった。
小説も、ただひたすら淡々と呼んだ。後味はもちろんものすごく悪いです。
ほんとうに、それだけです。



たった12年。

たった12年で、彼女達の人生の光になれるとでも思うのか。
正しいこととはなんなのか。

勝訴という、あるべき結末をちゃんともぎ取った韓国国民達はすごいと思うけど、
私は、日本人はそんな勝利に導けるだろうか、
黙ってただ風化されていくのではないか、そんな風にぼんやり思いました。

誰のための結末かは、わからない。
勝ち負けじゃない、何年とかでもない、
答えは、被害者にもわからないって。