いかにも古そうな4階建ての雑居ビルの狭く薄汚れたエレベーターに乗り、ボク如月マトと元勇者の神屋サイトさん、この魔法世界の支配者、真仙の配下であり今ボクたちを彼の元に案内する眼鏡をかけた女性カグラちゃんは、真仙が待つ3階の部屋へと向かう。
軋みあげながら上昇するエレベーターは、表示を見上げ言葉を交わすことなくボクたちを3階へと運ぶ。
『ピンポーン』
お決まりの音が鳴り扉が開く。
通路は蛍光灯の灯りが灯るが、幾つかの蛍光灯は切れ、その場所は暗く荒廃した雰囲気が漂っていた。
「この先のお部屋に真仙様がいます」
カグラちゃんはにこやかに話すが、不思議なことに音一つ、生活音すら聞こえてこない。
ふと通路の片隅に目をやると、なにかどす黒い塗料で書かれた真仙の文字とそれに続く物騒な言葉。
「あれってなにで書かれてると思います?」
「考えるな。不安になる」
不信感に溢れたボクの問いかけに応える震え声のサイトさん。
「ここで~す。真仙様、ただ今戻りました」
周りの雰囲気とはちぐはぐな明るい声で、カグラちゃんは小さな曇り窓がついた薄汚れたドアノブに手をかけ、軽く回すと立てつけの悪いのかドア
が軋みを上げ開く。
「うっ?」
ドアの先に広がる室内の様相にサイトさんが思わず声を上げた。
「これは……酷いですね」
ボクの声が続く。
このさらに奥にある部屋から差し込む微かな外光だけが頼りの薄暗い部屋には、テーブルや鉢植え、イスなどが散乱し、まるで激しい殴り合いでもあったみたい。
「おう、遅かったな嬢ちゃん! お蔭さんでその間に客が一組きたんで手厚く歓迎しといたわ」
奥の部屋からしわがれた、でも異様なまでの威圧感と凶暴さが混じりあった声が響く。
「すみません、真仙様。真士様のNPCの方をお連れしました」
「おう、さっさとよこせ!」
申し訳なさそうなカグラさんに横柄な声音の真仙さん。
「あの、大丈夫ですか?」
カグラちゃんが部屋の片づけをはじめたのでボクも手伝おうと声をかけるが、
「ここはいいので早く真仙様の所に。どうせ無駄な作業ですし」
会った時のような屈託のない笑顔で応える。
「おい、早く来いよ!」
「行こうぜ」
声を荒げる真仙さんにサイトさんは囁き声でボクを急かす。
ボクたちは奥にある部屋へと足を踏み入れた。
そこは前の部屋と同じように荒れていた。
放り出されたように転がるソファーに一脚が折れた木製のテーブルがひっくり返って放置され、微かな光が差しこむ窓はブラインドが閉じられているので、満足な光を遮断されている。
部屋全体がうす暗く、なにかセピアとも黄昏ともつかない色彩の中、奥に置かれたソファーに横たわる一人の人影。
「いつまで待たせんだよ、カス!」
しわがれた声の罵声を発したのは、儚げな細面の容貌にルビー色の瞳が輝く大きな目で不機嫌な視線をボクたちに送る美青年だった。
これが真仙さん?
鼻はやや高いが彫りの深さがそれを感じさせず、口は薄紅色をまとい、艶のある烏色の髪は野生味を感じさせるようにはねている。
「わしがな、わざわざ真士を頼ってお前たちを呼び寄せたんだ。少しは真面目に働けや、ボケ」
気だるげに起きながら真仙さんはボクたちを睨み据え罵声を吐く。
よく見れば背は決して低くなく、むしろサイトさんと同じくらいかも。
体つきは細く、手足はすらりと長く、容姿だけならまるで儚げな王子様を具現化したような感じもする。
ただ服装まではそうじゃなく、もっとラフな感じ。
細い足に合わせた、紺色の膝下までのスラっとしたパンツを履き、上は幾何学的な色とりどりの柄つきのTシャツを着て、だらしなく白いシャツを羽織っている。
街中で見る若者、という感じかな。
その真仙さんがつまらなそうに頭をかく。
「あんたが真仙か?」
「言葉に気をつけろクソガキ」
不躾なサイトさんの言葉に罵声で返す真仙さん。
瞬時にサイトさんの顔が引きつり不愉快という感情が言葉を伴わずに溢れ出る。
露骨に拳を握るサイトさんを後に下げるとボクは、
「大変な失礼と不躾をお詫びいたします。我々は真士様の命により、真仙様の勇者候補をお助けするために参上いたしました」
頭を下げて言葉を紡ぐと、
「テメェの方が物わかりがいいな。よし決めた! そっちのデカいのはわしの前で口をきくな。テメェに言葉をいう資格はねぇ!」
「なっ!」
真仙さんの一方的な命令に、驚きと怒りを隠せない表情のサイトさんが思わず声を上げるが、
「ここはボクが」
サイトさんの耳元でボクは囁くと、サイトさんも不満タラタラの態度で一歩さがった。
「で、これからお前たちにはわしが育ててる勇者候補の盾となって行動してもらう。安心しろよ。ここいらにいる敵共にやられるようなら、勇者候補も失格だ。ただよぉ、わしとしてもテメェの勇者候補を無駄に敵にやらせるのは面白くねぇからな」
大股を開きソファにふんぞり返りながらボクたちに指令内容を説明する。
それだってボクたちを見て話すのではなく、視線はあてどなく天井を彷徨い、ただつまらそうに言葉を吐いている感じだ。
「あの……」
ボクが恐る恐る声を上げると、
「なんだぁ?」
視線だけボクに向けて応える真仙さん。
「敵ってどんな人なんですか? 他の真王の手先とかそれとも真仙さんがご用意したNPCとかですか?」
「そんなんじゃねぇよ!」
ボクの問いに声を荒げる真仙さん。
「そんなんじゃねぇ……そんなんじゃねぇんだよ!」
さらに声を荒げ、いきなり前のめりになり、
「テメェら、この部屋見てなんとも思わねぇか?」
真仙さんがいきなり真面目な表情で質問してくる。
「……かなり、散らかってますね」
言葉を選びながら小声で答えるボクに、
「そうだろぅ。なんで散らかってるかわかるかぁ?」
ニヤニヤ顔で、目になにか別の輝きを灯しながら、蒸すような熱さを滲ませる吐息と共に神仙さんがネチっこく問いかける。
「……い、いえ……わかりません……」
あまりの異様さに声が小さくなるボクに、
「あぶねぇ!」
サイトさんがいきなり僕を抱きかかえ、脇へと寄らせる!
刹那、今さっきボクのいた場所を何者かが通り過ぎ、
「真仙! テメェ、この前から俺をはねやがって。今日という今日は俺を勇者候補にしてもらうぞぉぉぉぉ!」
雄叫びと共に真仙さんに猛スピードで突進する巨大な体躯を持つ男が、燃え盛る拳を振るいで殴りかかろうとするが、
「舐めんなゴミ!」
つまらなそうに吐き出された真仙さんの言葉に巨漢の動きが止まり、
「う、動けねぇ……」
脂汗を垂らしながら困惑の表情を浮かべる。
真仙さんは身動きがとれず焦る巨漢の横に立ち、
「この程度の魔法で呪縛されるようなテメェが勇者候補になりてぇだと? 馬鹿にしてんのか!」
一声を上げると男の足を払い派手に床に転倒させる!
顔面を打ち悶える巨漢!
「その様で勇者候補だと、ああ! 今のテメェになにができんだよ、タコ!」
そう叫ぶと巨漢の腹に一撃、二激と蹴りをいれ続け、
「テメェみたいなザコはもう飽き飽きしてんだよ! さっきやってきたゴミの方が、部屋を滅茶苦茶にするくらいにはまだ手応えがあったわ! つまんねぇ時間とらせやがってカスが!」
そう喚くと顔面に激しい蹴りをぶちこんだ!
その一撃で悲鳴を上げはじめる巨漢!
「ああ、泣けばすむと思ってんのか、テメェはよぉ!勇者様になりてぇんだろうが!」
巨漢が泣き声を上げ悲鳴を叫んでも、躊躇なく真仙さんは蹴り続ける。そのたびに周囲には赤い液体がまき散らされる。
「この程度で泣き言いってんじゃぁ、勇者なんて無理だな。テメェにゃぁ、せいぜい村人Aがお似合いなんだよ!」
狂気の色が灯った瞳で巨漢を蹴り続ける真仙さんに、
「おい……」
静かにこれ声を上げ一歩前に出るサイトさん。
「なんだテメェ、邪魔すんのか?」
露骨に険悪な表情を浮かべ睨みつける真仙さん。
「そこまでにしといてやれよ。確かに泣き言をいえない勇者様は大変だよな。だから、その辺にしといてやれよ」
サイトさんが真仙さんと巨漢との間に入り言葉を紡ぐ。
真仙さんはその言葉にさもつまらなさそうな表情で、
「ふん! 知ったふうなことを」
そう吐き捨てると、前の部屋にいるカグラちゃんに、
「おい、こいつを病院に運ぶよう手配しろ」
声を上げるとすぐにカグラちゃんの明るい声が、
「わかりました」
和やかなトーンで応える。
「あ、あとな」
顔面を血と涙と唾液にまみれさせ意識を失い床に転がる巨漢を見下ろしながら、
「こいつの治療には治療魔法を絶対使わせるなよ。自然治癒するまで一切の魔法は禁止だ。そう伝えろ」
「なんでですかぁ?」
真仙さんの言葉にカグラちゃんが能天気な声で尋ねると、真仙さんは口をニィィィィと開き、
「こいつには怪我が治るまでじっくりと怒りと憎しみと無力感を堪能させてぇんだよ。身の程知らずにもわしに向ってきた無謀と己の未熟さを時間をかけてなぁぁ」
いかにも魔王が言いそうな邪悪なことをさも楽しそうに話す真仙さん。
「その怒りと憎しみと無力感が、己を強くする最上のエサになる。それを自らが喰らい糧とするか、逆に自らが喰われ破滅するか、それを見るのも一興だろうがよぉ」
ニコニコしながら楽しそうに話す真仙さん。この人が楽しそうな姿を初めて見た。こんな風に笑うんだ。
明らかにドン引きするボクにサイトさんも目配せして、まずい所にきたな、という感想を送る。
しばらくすると救護班が現れ、巨漢は足早に運ばれていった。
あとにはさらに散らかった室内とボクたち、そして静けさが帰ってきた。
「で、どこまで話した?」
「えぇと、ボクたちに勇者候補の盾になれと」
「そこだな。それでだ、守ってもらうヤツァはこいつだ」
真仙さんの声に応え、眼前に大学生くらいの青年の姿が浮かび上がる。
前髪は七三に分けられ容貌はいかにも普通、服装も地味なベージュのセーターに茶系のコート。
ただ体格も身長もあり、地味だけど品のいい運動部の人という感じかな。
「こいつの名は永畑ハジメ。勇者候補として育ててはいるが、元々の素養が高いせいか、さっきのザコと違って飲みこみは悪くねぇ。ただな」
「なんですか?」
言葉を切った真仙さんに先を促す。
「コイツァ、疑うことをあまり知らねぇ。だから敵の待ち伏せや罠にかかる危険もある」
真仙さんが真面目な表情で話す。
「その、敵、ってなんですか?」
ボクがさっきから気になっていた疑問を口にすると、真仙さんは気まずそうな顔になり、
「これから話すことは他言無用だ。特に真王の誰かに話そうものなら、テメェら、地獄の果てまで追ってでもぶっ潰すからな」
真仙さんの殺気立った声。
その圧に思わず声を失い、ただ首を縦に振るボク。
「よ~し、一度しかいわねぇからよく聞けよ。その敵ってヤツァな、俺の娘、次期真王の呪姫だ」
苦々しい表情で言葉を吐きだす真仙さんに驚きで声が出せないボク。
「なんで真王が次期真王、しかも娘と争ってんだよ!」
ボクの代わりにサイトさんが声を上げる。
「テメェにいつ声出していいって許可した? こっちだって色々事情があんだよ!」
苦悩に満ちた声と表情を見せる真仙さん。
今まで魔王みたい人だと思ったけど、この人にも娘さんとの軋轢に悩む一面があるんだと思いホッとした。
「どんなことで対立してるんですか?」
この人も普通に悩むんだと思ったら、ボクも少し気が楽になったので声をかけやすくなった。
「そりゃぁ、この世界の魔法使いの扱いとか勇者候補の選定とか色々でさぁ」
真仙さんも愚痴るような声音で言葉を吐きだす。
「娘はわしのやり方では憎しみやついてこれない脱落者を作るだけだというが、わしにいわせれば強くねぇ勇者なんかいらねぇんだよ! 他の真王や敵勢力からこの世界を守るために強い勇者を育ててなにが悪いっていうんだよ!」
真仙さんの言葉には確実に愚痴のような色彩が強くなっている。
「それをアイツ、このままでは住人が可哀そうとかいいながら、この世界をわしから取り上げようとしてんだぞ! 許せるかそんなの!」
オモチャを取り上げられるのを拒む子供のような口調で抗議の声を上げる真仙さん。
「でも、この世界の人たちのことを考えると呪姫さんの考えもわからなくもないですね」
街中であった魔法使いと一般人とのいざこざ、そして唐突にはじまる魔法使い同士のデスゲームを思い出しながら慎重に言葉を選ぶ。
「だからって真士のように、候補生とかを施設に集めて訓練すればいいっていわれれば、男親としては反発したくなるだろうが!」
「はっ?」
唐突に出てきた真士さんの名前にボクは素っ頓狂な声を上げるが、真仙さんはかまわず続け、
「アイツ、なにかといやぁ真士真士って、同じ真王であるわしがいるのに、なんでその前で他の真王のことを楽しそうに話しやがるんだ! むかつきやがるったらありゃしねぇ!」
明らかに話がずれてきた感覚を覚えながら、ボクはただ静かな笑みを浮かべ真仙さんの言葉を聞く。
「それでわしゃいい案を思いついたんだよ!」
まるでなにかを閃いたように輝く瞳で語る真仙さん。
「どうせアイツが勇者候補をどうにかして潰すか籠絡しようとしてるなら、勇者候補のお供に真士のNPCをつけようと」
「真士を嫌ってるのになんでだよ?」
まるで開眼したような表情で話す真仙さんに、サイトさんがツッコミを入れるが、
「そりゃぁ、オメェ、もしアイツの手下が勇者候補を襲おうとすれば、まずはお前たちNPCの護衛をどうにかしねぇといけねぇだろが? 愛しい愛しい真士様の元から派遣された大事なNPCに傷をつけたら、呪姫ちゃんは真士様にどう思われちゃいますかねぇ☆」
心底意地の悪そうな笑みを浮かべ楽しそうに話す真仙さん。
「それにこの世界を取り上げるなんざぁ娘といえども許されるはずねぇだろ!」
楽しそうな表情が一変し怒りへと変わる。
気分と表情がコロコロ変わる人だな。
「でも別に他の真王に乗っ取られるわけじゃないんですよね? 呪姫さんに頼めばいつでもこれるんじゃぁ……」
ボクの言葉に真仙さんは露骨に顔をしかめ、
「何いってんだテメェ! それこそ二度と入ることすら許されないフラグだっていうのがわかんねぇか?」
『ボクはわからないから聞いてるんです』
心の中でボクは突っこむがそんなことにもお構いなく、
「今までわしが築いてきた城塞に二度と入れなくなるんだぞ! アヤネちゃん、ハルカちゃん、カロちゃん、エイダちゃん……みんなに会えなくなるんだぞ! これが許されるわけねぇだろ!」
真仙さんは涙を流しながら切々と語る。
「あの……その人たちって……」
ボクはその雰囲気から嫌なものを感じていた。近場の人にもよくある嫌なものを。
「そりゃぁ、オメェ、仲良くなった女の子たちに決まってんだろが! それをアイツ、まるで蛇蝎のように嫌がりやがって! なんでわしがこんな若造の姿してると思ってんだ! モテるからに決まってんだろ!」
声高に色々と問題がある発言に熱弁を振るう真仙さんの横で、なにか思い当たるものがあるのか先ほどの威勢もすっかり鳴りを潜め、頭を垂れなにごともいわなくなったサイトさんに目をやりつつ、ボクは穏やかな笑みを浮かべ心の中で呟いた。
『このクズどもが……』
軋みあげながら上昇するエレベーターは、表示を見上げ言葉を交わすことなくボクたちを3階へと運ぶ。
『ピンポーン』
お決まりの音が鳴り扉が開く。
通路は蛍光灯の灯りが灯るが、幾つかの蛍光灯は切れ、その場所は暗く荒廃した雰囲気が漂っていた。
「この先のお部屋に真仙様がいます」
カグラちゃんはにこやかに話すが、不思議なことに音一つ、生活音すら聞こえてこない。
ふと通路の片隅に目をやると、なにかどす黒い塗料で書かれた真仙の文字とそれに続く物騒な言葉。
「あれってなにで書かれてると思います?」
「考えるな。不安になる」
不信感に溢れたボクの問いかけに応える震え声のサイトさん。
「ここで~す。真仙様、ただ今戻りました」
周りの雰囲気とはちぐはぐな明るい声で、カグラちゃんは小さな曇り窓がついた薄汚れたドアノブに手をかけ、軽く回すと立てつけの悪いのかドア
が軋みを上げ開く。
「うっ?」
ドアの先に広がる室内の様相にサイトさんが思わず声を上げた。
「これは……酷いですね」
ボクの声が続く。
このさらに奥にある部屋から差し込む微かな外光だけが頼りの薄暗い部屋には、テーブルや鉢植え、イスなどが散乱し、まるで激しい殴り合いでもあったみたい。
「おう、遅かったな嬢ちゃん! お蔭さんでその間に客が一組きたんで手厚く歓迎しといたわ」
奥の部屋からしわがれた、でも異様なまでの威圧感と凶暴さが混じりあった声が響く。
「すみません、真仙様。真士様のNPCの方をお連れしました」
「おう、さっさとよこせ!」
申し訳なさそうなカグラさんに横柄な声音の真仙さん。
「あの、大丈夫ですか?」
カグラちゃんが部屋の片づけをはじめたのでボクも手伝おうと声をかけるが、
「ここはいいので早く真仙様の所に。どうせ無駄な作業ですし」
会った時のような屈託のない笑顔で応える。
「おい、早く来いよ!」
「行こうぜ」
声を荒げる真仙さんにサイトさんは囁き声でボクを急かす。
ボクたちは奥にある部屋へと足を踏み入れた。
そこは前の部屋と同じように荒れていた。
放り出されたように転がるソファーに一脚が折れた木製のテーブルがひっくり返って放置され、微かな光が差しこむ窓はブラインドが閉じられているので、満足な光を遮断されている。
部屋全体がうす暗く、なにかセピアとも黄昏ともつかない色彩の中、奥に置かれたソファーに横たわる一人の人影。
「いつまで待たせんだよ、カス!」
しわがれた声の罵声を発したのは、儚げな細面の容貌にルビー色の瞳が輝く大きな目で不機嫌な視線をボクたちに送る美青年だった。
これが真仙さん?
鼻はやや高いが彫りの深さがそれを感じさせず、口は薄紅色をまとい、艶のある烏色の髪は野生味を感じさせるようにはねている。
「わしがな、わざわざ真士を頼ってお前たちを呼び寄せたんだ。少しは真面目に働けや、ボケ」
気だるげに起きながら真仙さんはボクたちを睨み据え罵声を吐く。
よく見れば背は決して低くなく、むしろサイトさんと同じくらいかも。
体つきは細く、手足はすらりと長く、容姿だけならまるで儚げな王子様を具現化したような感じもする。
ただ服装まではそうじゃなく、もっとラフな感じ。
細い足に合わせた、紺色の膝下までのスラっとしたパンツを履き、上は幾何学的な色とりどりの柄つきのTシャツを着て、だらしなく白いシャツを羽織っている。
街中で見る若者、という感じかな。
その真仙さんがつまらなそうに頭をかく。
「あんたが真仙か?」
「言葉に気をつけろクソガキ」
不躾なサイトさんの言葉に罵声で返す真仙さん。
瞬時にサイトさんの顔が引きつり不愉快という感情が言葉を伴わずに溢れ出る。
露骨に拳を握るサイトさんを後に下げるとボクは、
「大変な失礼と不躾をお詫びいたします。我々は真士様の命により、真仙様の勇者候補をお助けするために参上いたしました」
頭を下げて言葉を紡ぐと、
「テメェの方が物わかりがいいな。よし決めた! そっちのデカいのはわしの前で口をきくな。テメェに言葉をいう資格はねぇ!」
「なっ!」
真仙さんの一方的な命令に、驚きと怒りを隠せない表情のサイトさんが思わず声を上げるが、
「ここはボクが」
サイトさんの耳元でボクは囁くと、サイトさんも不満タラタラの態度で一歩さがった。
「で、これからお前たちにはわしが育ててる勇者候補の盾となって行動してもらう。安心しろよ。ここいらにいる敵共にやられるようなら、勇者候補も失格だ。ただよぉ、わしとしてもテメェの勇者候補を無駄に敵にやらせるのは面白くねぇからな」
大股を開きソファにふんぞり返りながらボクたちに指令内容を説明する。
それだってボクたちを見て話すのではなく、視線はあてどなく天井を彷徨い、ただつまらそうに言葉を吐いている感じだ。
「あの……」
ボクが恐る恐る声を上げると、
「なんだぁ?」
視線だけボクに向けて応える真仙さん。
「敵ってどんな人なんですか? 他の真王の手先とかそれとも真仙さんがご用意したNPCとかですか?」
「そんなんじゃねぇよ!」
ボクの問いに声を荒げる真仙さん。
「そんなんじゃねぇ……そんなんじゃねぇんだよ!」
さらに声を荒げ、いきなり前のめりになり、
「テメェら、この部屋見てなんとも思わねぇか?」
真仙さんがいきなり真面目な表情で質問してくる。
「……かなり、散らかってますね」
言葉を選びながら小声で答えるボクに、
「そうだろぅ。なんで散らかってるかわかるかぁ?」
ニヤニヤ顔で、目になにか別の輝きを灯しながら、蒸すような熱さを滲ませる吐息と共に神仙さんがネチっこく問いかける。
「……い、いえ……わかりません……」
あまりの異様さに声が小さくなるボクに、
「あぶねぇ!」
サイトさんがいきなり僕を抱きかかえ、脇へと寄らせる!
刹那、今さっきボクのいた場所を何者かが通り過ぎ、
「真仙! テメェ、この前から俺をはねやがって。今日という今日は俺を勇者候補にしてもらうぞぉぉぉぉ!」
雄叫びと共に真仙さんに猛スピードで突進する巨大な体躯を持つ男が、燃え盛る拳を振るいで殴りかかろうとするが、
「舐めんなゴミ!」
つまらなそうに吐き出された真仙さんの言葉に巨漢の動きが止まり、
「う、動けねぇ……」
脂汗を垂らしながら困惑の表情を浮かべる。
真仙さんは身動きがとれず焦る巨漢の横に立ち、
「この程度の魔法で呪縛されるようなテメェが勇者候補になりてぇだと? 馬鹿にしてんのか!」
一声を上げると男の足を払い派手に床に転倒させる!
顔面を打ち悶える巨漢!
「その様で勇者候補だと、ああ! 今のテメェになにができんだよ、タコ!」
そう叫ぶと巨漢の腹に一撃、二激と蹴りをいれ続け、
「テメェみたいなザコはもう飽き飽きしてんだよ! さっきやってきたゴミの方が、部屋を滅茶苦茶にするくらいにはまだ手応えがあったわ! つまんねぇ時間とらせやがってカスが!」
そう喚くと顔面に激しい蹴りをぶちこんだ!
その一撃で悲鳴を上げはじめる巨漢!
「ああ、泣けばすむと思ってんのか、テメェはよぉ!勇者様になりてぇんだろうが!」
巨漢が泣き声を上げ悲鳴を叫んでも、躊躇なく真仙さんは蹴り続ける。そのたびに周囲には赤い液体がまき散らされる。
「この程度で泣き言いってんじゃぁ、勇者なんて無理だな。テメェにゃぁ、せいぜい村人Aがお似合いなんだよ!」
狂気の色が灯った瞳で巨漢を蹴り続ける真仙さんに、
「おい……」
静かにこれ声を上げ一歩前に出るサイトさん。
「なんだテメェ、邪魔すんのか?」
露骨に険悪な表情を浮かべ睨みつける真仙さん。
「そこまでにしといてやれよ。確かに泣き言をいえない勇者様は大変だよな。だから、その辺にしといてやれよ」
サイトさんが真仙さんと巨漢との間に入り言葉を紡ぐ。
真仙さんはその言葉にさもつまらなさそうな表情で、
「ふん! 知ったふうなことを」
そう吐き捨てると、前の部屋にいるカグラちゃんに、
「おい、こいつを病院に運ぶよう手配しろ」
声を上げるとすぐにカグラちゃんの明るい声が、
「わかりました」
和やかなトーンで応える。
「あ、あとな」
顔面を血と涙と唾液にまみれさせ意識を失い床に転がる巨漢を見下ろしながら、
「こいつの治療には治療魔法を絶対使わせるなよ。自然治癒するまで一切の魔法は禁止だ。そう伝えろ」
「なんでですかぁ?」
真仙さんの言葉にカグラちゃんが能天気な声で尋ねると、真仙さんは口をニィィィィと開き、
「こいつには怪我が治るまでじっくりと怒りと憎しみと無力感を堪能させてぇんだよ。身の程知らずにもわしに向ってきた無謀と己の未熟さを時間をかけてなぁぁ」
いかにも魔王が言いそうな邪悪なことをさも楽しそうに話す真仙さん。
「その怒りと憎しみと無力感が、己を強くする最上のエサになる。それを自らが喰らい糧とするか、逆に自らが喰われ破滅するか、それを見るのも一興だろうがよぉ」
ニコニコしながら楽しそうに話す真仙さん。この人が楽しそうな姿を初めて見た。こんな風に笑うんだ。
明らかにドン引きするボクにサイトさんも目配せして、まずい所にきたな、という感想を送る。
しばらくすると救護班が現れ、巨漢は足早に運ばれていった。
あとにはさらに散らかった室内とボクたち、そして静けさが帰ってきた。
「で、どこまで話した?」
「えぇと、ボクたちに勇者候補の盾になれと」
「そこだな。それでだ、守ってもらうヤツァはこいつだ」
真仙さんの声に応え、眼前に大学生くらいの青年の姿が浮かび上がる。
前髪は七三に分けられ容貌はいかにも普通、服装も地味なベージュのセーターに茶系のコート。
ただ体格も身長もあり、地味だけど品のいい運動部の人という感じかな。
「こいつの名は永畑ハジメ。勇者候補として育ててはいるが、元々の素養が高いせいか、さっきのザコと違って飲みこみは悪くねぇ。ただな」
「なんですか?」
言葉を切った真仙さんに先を促す。
「コイツァ、疑うことをあまり知らねぇ。だから敵の待ち伏せや罠にかかる危険もある」
真仙さんが真面目な表情で話す。
「その、敵、ってなんですか?」
ボクがさっきから気になっていた疑問を口にすると、真仙さんは気まずそうな顔になり、
「これから話すことは他言無用だ。特に真王の誰かに話そうものなら、テメェら、地獄の果てまで追ってでもぶっ潰すからな」
真仙さんの殺気立った声。
その圧に思わず声を失い、ただ首を縦に振るボク。
「よ~し、一度しかいわねぇからよく聞けよ。その敵ってヤツァな、俺の娘、次期真王の呪姫だ」
苦々しい表情で言葉を吐きだす真仙さんに驚きで声が出せないボク。
「なんで真王が次期真王、しかも娘と争ってんだよ!」
ボクの代わりにサイトさんが声を上げる。
「テメェにいつ声出していいって許可した? こっちだって色々事情があんだよ!」
苦悩に満ちた声と表情を見せる真仙さん。
今まで魔王みたい人だと思ったけど、この人にも娘さんとの軋轢に悩む一面があるんだと思いホッとした。
「どんなことで対立してるんですか?」
この人も普通に悩むんだと思ったら、ボクも少し気が楽になったので声をかけやすくなった。
「そりゃぁ、この世界の魔法使いの扱いとか勇者候補の選定とか色々でさぁ」
真仙さんも愚痴るような声音で言葉を吐きだす。
「娘はわしのやり方では憎しみやついてこれない脱落者を作るだけだというが、わしにいわせれば強くねぇ勇者なんかいらねぇんだよ! 他の真王や敵勢力からこの世界を守るために強い勇者を育ててなにが悪いっていうんだよ!」
真仙さんの言葉には確実に愚痴のような色彩が強くなっている。
「それをアイツ、このままでは住人が可哀そうとかいいながら、この世界をわしから取り上げようとしてんだぞ! 許せるかそんなの!」
オモチャを取り上げられるのを拒む子供のような口調で抗議の声を上げる真仙さん。
「でも、この世界の人たちのことを考えると呪姫さんの考えもわからなくもないですね」
街中であった魔法使いと一般人とのいざこざ、そして唐突にはじまる魔法使い同士のデスゲームを思い出しながら慎重に言葉を選ぶ。
「だからって真士のように、候補生とかを施設に集めて訓練すればいいっていわれれば、男親としては反発したくなるだろうが!」
「はっ?」
唐突に出てきた真士さんの名前にボクは素っ頓狂な声を上げるが、真仙さんはかまわず続け、
「アイツ、なにかといやぁ真士真士って、同じ真王であるわしがいるのに、なんでその前で他の真王のことを楽しそうに話しやがるんだ! むかつきやがるったらありゃしねぇ!」
明らかに話がずれてきた感覚を覚えながら、ボクはただ静かな笑みを浮かべ真仙さんの言葉を聞く。
「それでわしゃいい案を思いついたんだよ!」
まるでなにかを閃いたように輝く瞳で語る真仙さん。
「どうせアイツが勇者候補をどうにかして潰すか籠絡しようとしてるなら、勇者候補のお供に真士のNPCをつけようと」
「真士を嫌ってるのになんでだよ?」
まるで開眼したような表情で話す真仙さんに、サイトさんがツッコミを入れるが、
「そりゃぁ、オメェ、もしアイツの手下が勇者候補を襲おうとすれば、まずはお前たちNPCの護衛をどうにかしねぇといけねぇだろが? 愛しい愛しい真士様の元から派遣された大事なNPCに傷をつけたら、呪姫ちゃんは真士様にどう思われちゃいますかねぇ☆」
心底意地の悪そうな笑みを浮かべ楽しそうに話す真仙さん。
「それにこの世界を取り上げるなんざぁ娘といえども許されるはずねぇだろ!」
楽しそうな表情が一変し怒りへと変わる。
気分と表情がコロコロ変わる人だな。
「でも別に他の真王に乗っ取られるわけじゃないんですよね? 呪姫さんに頼めばいつでもこれるんじゃぁ……」
ボクの言葉に真仙さんは露骨に顔をしかめ、
「何いってんだテメェ! それこそ二度と入ることすら許されないフラグだっていうのがわかんねぇか?」
『ボクはわからないから聞いてるんです』
心の中でボクは突っこむがそんなことにもお構いなく、
「今までわしが築いてきた城塞に二度と入れなくなるんだぞ! アヤネちゃん、ハルカちゃん、カロちゃん、エイダちゃん……みんなに会えなくなるんだぞ! これが許されるわけねぇだろ!」
真仙さんは涙を流しながら切々と語る。
「あの……その人たちって……」
ボクはその雰囲気から嫌なものを感じていた。近場の人にもよくある嫌なものを。
「そりゃぁ、オメェ、仲良くなった女の子たちに決まってんだろが! それをアイツ、まるで蛇蝎のように嫌がりやがって! なんでわしがこんな若造の姿してると思ってんだ! モテるからに決まってんだろ!」
声高に色々と問題がある発言に熱弁を振るう真仙さんの横で、なにか思い当たるものがあるのか先ほどの威勢もすっかり鳴りを潜め、頭を垂れなにごともいわなくなったサイトさんに目をやりつつ、ボクは穏やかな笑みを浮かべ心の中で呟いた。
『このクズどもが……』