気ままに♪遊歩と小生物の日々

北部九州海沿いの小さな城下町で小動物(海系、カメ系)と共に楽しく暮らしています。

ウズベキスタン5日間の旅

2017-10-15 17:43:05 | 旅行
  
夜はサマルカンドの壮大な歴史をプロジェクションマップで音楽と共に見せてくれる。
 
シルクロードのオアシス、サマルカンドとタシケント2都市だけの小旅行。ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカしか行ったこと無いので、初めてのイスラム圏、多少不安はあったけど、(添乗員なしの現地ガイドのみ)思い切って行ってみた。青のモスクの写真を見てあー、見てみたいと思ったから。体力にあまり自信ないので(消化器系弱い)短い日数で。
ビザ取ったり、入国審査も厳しいし、持ち込み品の書類も詳しく書いて2枚、飛行機で用紙は配られたけど、よくわからないので、後ろの席にいた年配のおじさん(別のツアー)に聞いたら、書き方をプリントした用紙を見せてくれて、「これ2枚無いと出国できませんよ。」と言われ、聞いてよかった!タシケントの空港に着いて係の人がいるはず、と入ったらカードを首から下げたお兄さんがパスポートを預かる、と持ち込み用紙と共に持って行った。ほかの日本人団体はいなくなるし、不安だったけど、待っていたらハンコ押した書類とパスポートは戻ってきた。やれやれ。それからいくつか関門を抜け、出たら若い中東美人のお姉さんがニコニコと。よかった!夜なのでそのまま車でホテルへ。何人か集まるツアーかと思えば、二人だけと言う。ガイドのサイダさん、サマルカンド生まれ、大学の第二外国語取ってから日本に興味持って、東京の語学専門学校に2年、2年と暮らしたそうで、日本語ペラペラ。日本人のことをよくわかってるので、しっかりガイドしてくれた。浅草の寿司店でバイトしてて、本当に美味しい魚を初めから食べさせてもらって、おじいちゃんと年配の人たちだったからとても可愛がってくれたと。生活のこと、ウズベクの歴史、風習、ほか質問すればなんでも答えてくれる。


有名なモスクにはみんなお参りに、結婚式に、何かのお祝いに、いっぱい集まる。ウズベクのイスラムは非常にゆるくて、女性が顔を覆う必要はないし、服装も華やかで、とにかくキラキラ✨大好き。既婚女性が着ているワンピースとズボンはオーダーメイドだって。布地屋があちこちにある。
とにかく世界中の人々が交差するシルクロードの歴史から、商売のためにも宗教がイスラム、ユダヤ、キリストと分け隔てなく生活している。今の世界にこれこそ必要なことじゃないのかな。

お楽しみバザール♪
   
生で食べるカブ。

ナッツ、豆類。ガラスケースでボーボー燃えてるのは焼肉。

刃物砥ぎ。

靴修理。

バザールの外でペットボトルやなんかギュウギュウ詰め込んでしばってる。

道端で砂遊び。
この国は金や資源が豊富なのでけっこう豊かなのだって。学校はもちろん無料。農業が盛んで昔は綿作りが盛んだったけど、育てるのに多量の水を使うので野菜に切り替えた。とにかく野菜果物ナッツがいっぱい。なんとグリーンティーも栽培してる。普段の飲むのはグリーンティ、レストランでもペットボトルの水と暖かいお茶が出てくる。日本のお茶よりも、少しウーロン茶っぽいけど美味しい。


サマルカンドペーパーの工房。7世紀に中国とアラブが戦争になり、負けた中国人は大多数殺されたけど、技術がある者は残されて、その中の紙作りの職人が紙漉きを教えたという。この地で何が材料になるか探して桑の木に決定。枝を水に漬けておいて皮をはぎ、さらに中皮の部分を取ってまた水に漬ける。水車の臼で細かくして水に溶かし、枠に入れて形作り、綿の紙?の間に挟んで水分取って貼って乾かし、大理石の上でつやを出すためにめのう、貝殻、動物の角などでたんねんにこする。
タシケント(今の首都)とサマルカンド間は新幹線のVIP席。ゆったりしたテーブルで2時間ちょっとの間にお茶やちょっとしたお菓子がサービスされる。

とまあ、面白い国だった。食事も美味しいし。ただ、油っこい(ごま油、亜麻仁油、サラダオイルなどたっぷり使うので、少な目少な目に食べたけど、だんだんお腹が…。福岡空港に着いたとたん、気持ち悪くなってトイレに駆け込み、戻してしまった。地下鉄、高速バス乗り継いで家に着いてからひどい下痢。あー、軟弱なワタシの消化器官、だから海外旅行は楽しいけど不安なんだよねえ。旅行中はなんとか持ったからまあいいか。

そう、行って初めて知ったけど、第二次大戦後抑留された人がウズベキスタンに2万5千人いたそうで、そのうち800人くらいのお墓がある。前はソ連だったから、そうか。シベリアだけかと思ってたのは認識不足。じゃあ、こちらに送られた人は良かったんですね、とガイドさんに言うと、もちろんもちろん!食べ物が豊かだし、人が優しい、と。子どもたちも屈託なく、はにかみながらもハローと声をかけてくる。
ナヴォイ劇場の建物は日本人捕虜が作ったと、プレートに書いてある。1966年タシケントに直下型の大地震が襲い、ほかの建物が壊滅状態なのにこの建物だけがびくともせず立ち残っていたと言う。日本人墓地は各地にあるけど、当初日本に土葬の土を持って帰りたいと申し出たら、こちらでは墓を掘り返すのを嫌がるので断られ、その代わりちゃんとお墓を作りますから、ということになって双方でお金を出して守っている。戦後みんな日本に帰れたので末裔は残っていないらしい。
旅はいろんな発見がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする