ぷーうえの脳みそ ~英語科教育野~

英語の学習・問題の考え方や解き方について書いていきます♪
多忙につき不定期更新(^^;;

教師VS独学

2017-04-26 | その他・雑談など
昔、知り合いに冗談半分で「英語なんて参考書買って自分で勉強すればできる」と言われたことがあります。
私が「でも先生につけば、勉強の仕方とか教えてもらえますよ」と返すと、
「ちょww目がマジなんだけどwww」と言われました。
その時は、まぁ英語を教えることを中心に収入を得ていたので、ちょっとムキになったのは否めません。
でも悔しいことに、その場ではそれ以上意味のあることは言えませんでした。

当然、勉強は一人でもできるし、やればやっただけその能力はアップします。
私だって医学部受験生に教えるために独学で生物学の参考書を読んで、独学の効果を実感したものです。
自主学習の勉強の量・質・スピードは千差万別。
教養目的とか、趣味とかで勉強するなら、楽しめればそれでオッケーです。

でも、問題は「目標」が伴うとき。
そして目標にはだいたい、「期間」がセットでついてきます。
特にテストなんていうのは、各人の千差万別の勉強成果に対して、一定基準で審査します。
教師は、生徒の目標を速やかにクリアできるように手助けすることができます。
また、目標には往々にして、次の目標が伴うので、それに首尾よくつなげてあげられたり、関連する学習項目をリンクさせてあげることができます。
「効率」を上げることによって、このような学習内容の深化・拡大に時間が割けるようになるわけです。

一方で、膨大な情報を、適切に「限定」してあげることも教師の役割です。
勉強法、参考書選び、関連事項、細論各論などなど、全て試したり吸収する時間はありません。
知識を定着・発揮させるための方法論なんかについても同じことが言えるでしょう。
そのため、教師はまず最初に「診断」を行います。
性格、興味の対象、初期能力値などなど。
クラス授業になると、この最大公約数になるでしょうけど。
これに応じて、指導計画を立て、適宜修正しながら、進めていくことになります。

「診断」という言葉が出たので、医師とのアナロジーで考えてみましょう。
医師が患者の命を扱うように、教師は生徒の人生を扱います。
ですが、医師が万能でないように、教師だってそうです。
たとえば、「診断」を誤って、出会えていれば助けになったはずの情報を遮断してしまう、といったリスクが常にあるのです。
そういう覚悟で臨まなければなりません。
万人に有効な方法論はありません。
物事には常に例外が存在します。
医師/教師は、自分が一番良いと信じる方法論を患者/生徒に適用しますが、相性が常に良いとは限らないのです。
また、医師が患者の代わりに治ってあげることができないように、教師は生徒の学習のサポートをすることしかできません。
医師/教師は常に勉強をして、経験を積んで、毎回ベストを尽くすということしかできないのです。

私は教師です。
人に教えるための勉強、人の勉強を助けるための勉強をしています。
(まぁ教員免許は持っていませんし、残念ながら今は教えるのが本職でもありませんけど)
大人だろうが教師だろうが賢者だろうが、いつでも学ぶ者であり、誰か/何かの生徒です。
勉強ってなんだろう?教師って何だろう?と考えずにはおれません。
一つには、「ミーム」に突き動かされている、すなわち「(集合的)知識」そのものが進化を求めているということもあるでしょう。
あるいは、「自分が培ってきたものが誰かの役に立つ=それだけの価値があるものを有している」と信じている、ただのエゴなのかもしれません。
いずれにせよ、人間が自らを再生産する存在である限り、我々の命題であり続けることでしょう。

…でもやっぱり、究極的には、「マジ面白いから!お前も絶対ハマるって!!そんで語り合おうぜ!!」っていう、同志を生み出したい心が人に教えさせるのかもしれませんね(笑)



カムバック

2017-04-22 | その他・雑談など
こんにちは、ぷーうえです。
2013年までぼちぼち更新しておりましたが、諸事情あってキャリアをがらっと変えまして、英語から離れておりました。
…が、なんやかんや結局また英語教授に関わっております。
今は英会話をメインに教えていますが、全方位的な英語習得法を考えたいなーと思っています。

これ以前の記事はかなり前に書かれたものなので、直したいところが死ぬほどあります。
時間のあるときにじわじわ加筆修正できればと考えています。

英会話のほうの学習補助サイトも別途あるのですが、こちらは文法および読み書き特化で書いていきたいと思います。
といっても備忘録程度のものになるとは思うのですが…
置き場に困った記事たちがここに投下されると思いますww
そのうち英語の総合サイトみたいな感じで全部統合できるといいなーと。

読み書きのためのこれだけ!英文法10

2015-03-14 | これだけ英文法
<その他>

これまで、英文を構成する大まかな要素について見てきました。
ここまでで、ひとまず英文を読むのに必要な知識は揃ったことになります。
お疲れ様でした!!

・・・・・・と、言いたいところですが、今まで見てきた枠組みの中に入らなかった要素がいくつか存在します。
ここでは、それらを「その他」として紹介したいと思います。

<比較>
まずは、比較の表現です。
比較というと、「~よりも~だ」とか、「最も~だ」とかの表現を思い浮かべるのではないでしょうか。
ひとことでいうと、比較とは「物事の性質や状態の程度を表す言い方」です。
「性質や状態」・・・つまり、比較の表現が適用されるのは、形容詞と副詞のみということです。

さきほどの「~よりも~だ」という表現は、「比較級」にあたります。
比較級は、ふたつ以上のものの性質や状態を比べたときに、それらの程度の差を表す言い方です。

「最も~だ」のほうは、「最上級」にあたります。
最上級は、三つ以上のものの性質や状態を比べたときに、その内の一つの程度が他のものよりも著しいことを表す言い方です。

これらの他に、「原級」というものも存在します。
原級は、ふたつ以上のものの性質や状態を比べたときに、それらの程度が同等であることを表します。

これら原級・比較級・最上級の形容詞と副詞は、動詞の時制のように、それぞれ形が変化します。
原級は、形容詞や副詞の元々の形のことです。
比較級では、語尾に[-er]が付いたり、前に”more”が付いたりします。
最上級では、語尾に[-est]が付いたり、前に”the most”が付いたりします。
しかし、動詞の変化と同様に、ここでは形容詞と副詞の細かい変化については説明しません。
単語帳や参考書で勉強してください(ごめんなさい)。

――

それでは、比較表現の具体的な用法について見ていきましょう。

まずは原級からです。
原級は、先ほど述べたように、性質や状態の程度が同等なことを表します。
原級の文は、[as~as]と、”as”でサンドイッチされた形で表されます。
たとえば、
“I am as tall as Taro.”「私は太郎と同じくらい背が高い。」【形容詞】
“I can run as fast as Taro can.”「私は太郎と同じくらい早く走れる。」【副詞】
のようになります。

では、形容詞の文で、「私」と「太郎」を逆にしたらどうなりますか?
答えは、
“Taro is as tall as I.”
です。

「えっ?”Taro is as tall as me.”じゃないの?」と思うかもしれませんが、この謎を解く鍵は「省略」にあります。
どういうことかというと、この文の元の形は、
“Taro is as tall as I am (tall).”
なのです。

つまり、比べられているのは、「私」と「太郎」ではなく、「私の身長」と「太郎の身長」-言い換えれば、「私の背の高いこと」と「太郎の背の高いこと」なのです。
この意味に沿って訳すと、
「太郎は、私の背が高いのと同じように背が高い。」
となります。
ややこしい文になりますが、こういうことです。

ですから、最初の「私」が先頭に来ている文も、省略を解除すると、
“I am as tall as Taro is.”
となります。
尻切れトンボな感じになりますが、これが本来の姿です。
この尻切れトンボな感じを解消するために、省略が施されているわけです。

この省略現象は、ほかの比較級や最上級でも同じように起こるので、よく覚えておいて下さい。
短い文なら問題ありませんが、長い文が尻切れトンボで終わったり、比較対象がそれぞれに入り組んでいたりすると、非常に分かりにくくなります。
冷静に、「何と何が比較されているのか」を考えることが重要です。

さて、原級にはもうひとつ注意点があります。
それは、「否定」です。
形自体は単純で、”as”のサンドイッチの前に”not”を付ければいいだけのことです。
たとえば、
“I am not as tall as Taro.”
となります。

しかし、この文の意味を考えてみると、なぜか、
「私は太郎ほど背が高くない。」
というように、「私」が劣勢に転じてしまうのです。
つまり、「私は太郎よりも背が低い。」という、比較級の文と同じ意味になってしまう。

原級だと「私の身長=太郎の身長」なのに、否定が絡んだ瞬間に「私の身長≠太郎の身長」が「私の身長<太郎の身長」に飛躍してしまう。
「同等」の否定が、「同等ではない」ではなく、別の意味に置き換わってしまう。
論理的に考えれば当たり前のようなことですが、文章解釈において、これは恐ろしい落とし穴です。

「原級=同等」は基本的には成り立ちますが、否定が絡むと、その限りではなくなります。
このように、比較の表現においては、「他の級を使って同じ意味を表す」ということがしばしば起こります。
詳しくはまた各項で説明しますが、とにかく比較対象を結ぶ記号が「=」・「<(≦)」・「>(≧)」のどれなのかを考えるようにしましょう。

――

次に、比較級についてです。
比較級の文は、基本的に[比較級 + than]の形で表されます。
たとえば、
“I am taller than Taro.”「私は太郎よりも背が高い。」【形容詞】
“I can run faster than Taro.”「私は太郎よりも早く走れる。」【副詞】
などのようになります。

また、比較変化しない形容詞・副詞においては、[more + 形容詞/副詞 + than]の形になります。
たとえば、
“My car is more expensive than Taro’s.”「私の車は太郎のものよりも高価だ。」【形容詞】
“He should eat more slowly.”「彼はもっとゆっくり食べるべきだ。」【副詞】
などのようになります。

比較級の否定は、
“I am not taller than Taro.”
のように、直前に”not”を付けるだけです。
これは理論的には”more”を使った比較表現にも適用できますが、ほとんど使うことはありません。

また、比較級の否定では、原級のように「≠」が即座に劣勢に転じることはなく、「太郎よりも長身でない」=「太郎と同等か、それ以下」というように、幅を持った解釈になります。

代わりに、「劣勢」の比較を表すとなると、別の表現になります。
それは、”less”を付ける表現です。
たとえば、
“I am less taller than Taro.”「私は太郎よりも背が低い。」
のようになります。
これも、”more”を使った比較表現で使うことは滅多にありません。

ここで、「私は太郎よりも背が低い」という表現をまとめてみましょう。
“I am shorter than Taro.”
“I am less taller than Taro.”
“I am not as tall as Taro.”
本質的には同じ意味を表す言い方がこんなにあります。
しかし、「表現の直接度」でいうと、上から順に下がっていきます。
これが「表現の幅」というものであり、言葉を扱う以上避けては通れないものです。
日本語でも同じようなことは沢山あるので、英語を責めずに辛抱強く解釈していきましょう。

さて、比較するものには、「程度」のほかに「特性」があります。
たとえば「花子は、美人というより、可愛い。」などの場合です。
基本的には[rather/more + 形容詞A + than + 形容詞B]で表されます。
こういうときの比較表現は、形や付属品こそ比較級に類しますが、いくつか特別なことがあります。

ひとつめは、「形容詞がふたつ登場すること」です。
たとえば、先ほどの例でいくと、
“Hanako is rather pretty than beautiful.”
などのようになります。
「どちらの特性も持っているけれど、一方のほうが強い」というイメージです。

ふたつめは、「形容詞が比較変化しないこと」です。
上の例文を見て「おや?」と思った方もいるのではないでしょうか?
ひとつの形容詞について、ふたつの異なる程度を表す(これまで扱ってきたような)文においては、[-er]の比較変化は文を見た目で分かりやすくする大事な要素でした。
しかし、ここで比較されているのは、ふたつの異なる形容詞なので、比較変化による差別化は必要ありません。
(厳密にいうと、「特性」の比較においても比較変化をする場合もあります。
それは、”than”以下のSVが省略されていない場合です。
あまり出会うことはないと思うので深掘りはしませんが、例文を挙げると、
“Hanako is prettier than she is beautiful.”
のようになります。
この場合、”more”や”rather”は原則として使いません。)

みっつめは、「ふつう比較では使わない形容詞や名詞も比較されること」です。
ここに至って比較はいよいよ混乱を極めてくるわけですが、原則はひとつ、「比較されているものは、あくまで対象の特性である」ということです。
たとえば、
“His research is rather medical than physical.”「彼の研究は、物理学的というよりは医学的だ。」【比較変化しない形容詞】
“She is more a researcher than a doctor.”「彼女は、医者というよりは研究者だ。」【名詞】
というようになります。

形は比較なのに、比較変化していない、あるいは形容詞がふたつ出てくる、などの場合には、この「特性の比較」を疑ってみて下さいね。

――

最後に、最上級です。
最上級の文は、基本的に[the + 最上級]で表されます。
たとえば、
“I am the tallest in the class.”「私はクラス内で一番背が高い。」【形容詞】
“I can run the fastest in the class.”「私はクラス内で一番速く走れる。」【副詞】
などのようになります。

また、比較変化しない形容詞・副詞に関しては、[the + most +形容詞/副詞]の形で表されます。
たとえば、
“My car is the most expensive among ours.”「私の車は私たちの車の内、どれよりも高価だ。」【形容詞】
“I like apples the best among fruits.”「私はフルーツの内、りんごが一番好きだ。」【副詞】
などのようになります。
(ちなみに、副詞の最上級における”the”は、しばしば省略されますので、注意して下さい。
たとえば、
“He eats (the) slowest among the class.”「彼はクラス内で一番遅く食べる。」)

最上級の否定では、他の級と同じように、直前に”not”を付けます。
たとえば、
“He is not the tallest in the class.”「彼はクラス内で一番長身ではない。」
というようになります。
これは、”most”を使った比較表現でも同様ですが、副詞の最上級で使うことはありません。
(副詞の最上級で否定が絡む場合、動詞を否定することになってしまうので、文意が変わってしまいます。)

最上級の否定では、「彼≠クラスで一番長身」ということのみが表され、単純に他の級による置き換えを行うことはできません。
しかしなんと、最上級の肯定文で置き換えが可能です。
たとえば、
“Nobody is as tall as Taro in the class.”「クラス内で太郎ほど長身の者はいない。」【原級による置き換え】
“Taro is taller than any other person in the class.”「太郎はクラス内の誰よりも背が高い。」【比較級による置き換え】
などのようになります。

これは、”more”を使った比較表現でも同様です。
たとえば、
“No car is more expensive as mine among ours.”「我々の車の内、私のもの車よりも高価なものはない。」【形容詞・原級による置き換え】
“He eats more slowly than any other person in the class.”「クラス内で、彼より遅く食べる者はいない。」【副詞・比較級による置き換え】
というようになります。

比較と定冠詞”the”:
最上級の形においてだけ、なぜか突然、定冠詞”the”が出張ってきました。
最上級の形だけ覚えればいいのであれば説明は不要ですが、”the”が比較表現の中で登場するのは最上級だけではありませんので、あえて説明しておきます。

定冠詞”the”は「当該一般名詞が数ある中で、どれのことを言っているのかについて、話し手と聞き手の間に共通認識がある」という前提のもとに使われます。
どういうことかというと、「昨日コンビニで買い物をした」ということを伝えるときに、聞き手が「どのコンビニか」が分かるのであれば”the”を使い、分からなければ不定冠詞”a/an”を使うということです。
(冠詞については、後ほど詳しく説明します。)

さて、この定冠詞”the”の意味合いは、最上級とどのような関係があるのでしょう?

比較される「ものごとの性質・状態」の中で、「最も程度の著しいもの」、これはひとつに限定されます。
「最も=一番」ですから、最上級を使って語るとき、必然的に限定が発生します。
“the”を使うということは、言外に「これから一個しかないもののことを話しますよ!」と言っていることになるのです。

最上級のほかにも、定冠詞”the”が登場する比較表現があります。
それは「二者択一の比較」です。
たとえば、
“I think this apple is the riper of the two.”「二個のリンゴの内、このリンゴのほうが熟れていると思う。」
などのようになります。
「二者択一」ですから、一方でなければもう一方、という風に必然的な限定が起こります。
最上級でもないのに、”the”を使った比較表現に出会ったときは、”the”の持つ意味合いを思い出して解釈してみて下さい。

このように、「物事の性質・状態の程度(特性)」を表す比較表現は、実に多種多様です。
比較表現の基本的な形と意味を押さえた上で、「何と何が比較されているのか」「比較対象動詞の序列はどうなっているのか」を考えながら読みましょう。

<前置詞+名詞>
前置詞は、種類が多く、様々な使い方をするので、多くの英語学習者を苦しめているものと思います。
ここでは、一つひとつの前置詞について、深く説明することはしません。
例によって、単語集や参考書を使って勉強して下さい(ごめんなさい)。

ただ、この原則だけは頭にたたき込んで下さい。
「前置詞のあとは名詞」!
前置詞とは何か?「名詞の前に置かれる言葉」です。
どうやら前置詞のようなのに後ろに名詞がなければ、それは名詞が省略されているか、そもそも前置詞でない(同じ語句が副詞のこともあります)かのどちらかです。

そういう次第で、この項の見出しは「前置詞」ではなく「前置詞+名詞」なのです。

「前置詞+名詞」は2語以上のフレーズで、SVを持たないので、句にあたります。
ですが、前置詞の導く句が文の「骨」や「肉」になることは原則としてありません。
なぜなら、前置詞が「~に」「~の中で」「~から」などの、「より具体的な情報」を添える役割を担った語句だからです。
どこまでいってもM(修飾語)の域を出ないのです。

しかし、文の骨格の「装飾品」に過ぎないとしても、我々が裸で歩き回ることがないように、生きた英語において前置詞は欠くべからざるものです。
そしてそれゆえに、前置詞は中~上級者の悪夢となって立ちふさがるのです。

前置詞単体となると話が長くなりますが、先ほど述べたように、ここで扱うのは前置詞の導く句、つまり「前置詞+名詞」に限ることにします。
それでは、本題に入りましょう。

前置詞の導く句は、形容詞句か副詞句のどちらかです。
言い換えると、「前置詞+名詞」は、名詞・動詞・形容詞・副詞・文全体を修飾します。

ただし、形容詞句は単体の形容詞と同じように働きますので、直接的に名詞を修飾しているのではない場合も存在します。
それは、be動詞に代表される不完全自動詞の補語となる場合です。
こう言うと難しく聞こえますが、実態はわりあい単純です。
たとえば、
“Taro is in the pool.”「太郎はプールの中にいる。」
“Hanako belongs to the basketball club.”「花子はバスケットボール部に所属している。」
などの場合です。

形こそ補語ですが、補語は「主語や目的語の性質・状態を表すもの」ですので、名詞を説明している=修飾しているという捉え方も成り立ちます。
つまり、名詞を修飾するという前置詞の形容詞的な用法の原則に背くものではないのです。
補語には、名詞と形容詞がなれましたものね。

もっと単純に「前置詞+名詞」が形容詞的に働く例としては、
“The books in the library are very old.”「その図書館の本はとても古い。」【主語を修飾】
“Please pass me the salt on your right,”「あなたの右側にある塩をとってもらえますか。」【目的語を修飾】
などがあります。

次に、「前置詞+名詞」が副詞的に働く場合を見てみましょう。
たとえば、
“I jogged in the park.”「私は公園でジョギングした。」【動詞を修飾】
“Hanako is good at basketball.”「花子はバスケットボールが上手い。」【形容詞を修飾】
“The tie will go well with your shirt.”「そのネクタイはあなたのシャツに良く合うでしょう。」【副詞を修飾】
“In other words, your paper is splendid.”「言い換えると、あなたの論文は素晴らしい。」【文全体を修飾】
などのようになります。

前置詞の導く句は、修飾する語の直後に置かれることが多いです。
また、 例文中の”be good at”, “go well with”, “in other words”などのように、熟語としてセットで覚えることが推奨されているものも多いです。

重箱の隅をつつき出すときりがないですが、前置詞(前置詞+名詞)の原則はこんなものなので、あまり身構えずに接して下さいね。

――

<冠詞>
前置詞と同様に英語学習の中~上級者を悩ませるのが冠詞です。
その最も大きな要因は、「日本語には全く存在しない感覚である」ということだと思います。

まず知っておかなければならないのは、冠詞とは「名詞のオマケ」ではないということです。
冠詞とは、「名詞よりも大きなカテゴリー」なのです。

言葉とは、記号です。
しかし、「そのときのそのもの」を表す1対1の記号ではなく、もっと抽象的な記号です。
ですから、できるだけ「そのときのそのもの」を表すためには、言葉を尽くして「限定する」という作業が必要になります。

子供の言語を考えてみて下さい。
言葉を覚えたての子供が道ばたで猫を見たら、多分「ねこ!」としか言わないでしょう。
親も一緒に猫を目撃したのであれば、「ねこさんがいるねぇ」などと状況を理解して相づちを打ってあげられますが、親が振り返ったときにはもう猫が姿を消していたとしたら、「ねこさんがいたの?」などと状況を推測せざるを得ません。
もう少し言葉を覚えた子供なら、「ねこ、みた」などと言えますが、それでもその子がどのような状況で猫を見たのかは判然としません。
一方、言葉に熟達してくると、「この間三毛のかわいい子猫を見かけたんだけどね、今日その猫がまた通学路に現れたんだ」などと、かなり状況説明を加えて伝えることが可能になります。

これまで説明してきたことと照らし合わせると、先の言葉を覚えたての子供は「文の骨格すらできていない状態」、少し言葉を覚えた子供は「文の骨格だけができた状態」、言葉に熟達した子供は「文の骨格だけでなく装飾までできた状態」ということができます。

このように、言葉の本質は「体験や経験の全体を言葉という型でくりぬいて聞き手に手渡す」ということなのだと思います。
「体験や経験の全体」は情報量が多すぎて、手渡すことができない。
そこで、皆が共通して理解している「型」で「くりぬく」ことによって情報量を減らして手渡すことにする。
この作業が「限定」です。
(もちろん、「型」からあぶれた情報も存在しますし、伝達そのものは話し手の「型」の所持数や「くりぬき」能力、聞き手の推測力などに依存することになるので、いつも正しく伝わるとは限りません。)

この「限定」におけるツールのひとつが、冠詞なのです。
つまり、英語においては、冠詞の有無やその種類によって、名詞の「限定」の第1段階が行われるのです。

例えば、"I saw a..."と言っただけで、全ての名詞的なものの中から、「見た」ものの性質が「不定冠詞」の属性に限定されます。
すなわち、話し手の言おうとしている「もの」が、無冠詞や複数形や定冠詞のカテゴリーには、少なくとも属さないのだということが示されるのです。

この意味で、冠詞が名詞の意味を「決定」しているとも言えます。

名詞そのものは、実に多義的です。
“chicken”だけでいうと、「にわとり」「鶏肉」「臆病者」など、様々な意味があります。
しかし、”a wood"や"a chicken"は、"wood"・"chicken"とは別のものなのです。
不定冠詞が付くことによって、名詞そのものの持つ多くの意味のなかから、いくつかのものに限定されているのです。
(さらに文脈によってただ一つに限定されていきます。)

日本語には冠詞がないので、英文を組み立てるときには、名詞が先にあり、そこに文脈にふさわしい冠詞を付けます。
しかし、本来、英語では「伝えたいものの基本的性質(カテゴリー)」を示す冠詞が先にあり、更にそれを限定する形で名詞が足されるという過程が踏まれるのです。
「伝えたいものの基本的性質」とは、例えば、それは集合体なのか?集合の中の一つか?聞き手はそれを知っているか?既に会話中に登場したか?などのことをいいます。

ネイティブ英語話者が話すときには、その脳内で無意識的にこういった過程が踏まれているのです。
そういう風に考えると、日本語と英語では、言葉の論理構造、ひいては「もの」の捉え方そのものがかなり異なるのではないかと思われます。
なんだか、とても哲学的ですね。

――

冠詞の全体的枠組みや考え方について書きましたので、次は不定冠詞や定冠詞が、実際どのようなカテゴリーを表しているのかについて書きたいと思います。

まず不定冠詞についてですが、その謎を解明するためのキーワードは「全体性」です。
"a/an"を使うときには、常に「全体性」が意識されます。

不定冠詞"a/an"の代表的な使い方は、「とある○○」「一つの○○」のようなものだと学校で教わったものと思います。
これは、「○○」全体の中の一つという意味ですね。
この「全体性」については簡単に理解できると思います。

しかし、不定冠詞の「全体性」にはもう一つあります。
"chicken"に対する"a chicken"の用法がそうです。
"a chicken"というと、もちろん「一羽の鶏」という、「全体の中の一」の意味もありますが、「鶏まるまる一羽」という「一の全体」の意味もあるのです。
"I could eat a horse."という有名な表現がありますが、これは「(お腹が空きすぎて)馬を(まるまる一頭)食べてしまえそうだ」という意味なのです。

もちろん、冠詞は限定の手段のひとつに過ぎないので、さらに限定を重ねることによって、先ほどの例文の省略された内容を全て含めることもできます。
その場合は、
“I am so hungry that I could eat a whole horse.”
などのようになります。

そして、「全体の中の一」でも、「一の全体」でもなく、「全体」を表すときには、
"chicken"=「鶏肉というもの」や"chickens"=「鶏というもの」のように、
その単位性によって無冠詞や複数形が用いられるのです。

――

次に、定冠詞のキーワードは「共通理解」です。
定冠詞"the”を使うときには、「共通理解」が図れているという前提があります。
言い換えると、「これから話す『もの』について、何のことを言っているのか聞き手は分かっている」と話し手が認識している必要があります。

無冠詞の”chicken”でも、不定冠詞の”a chicken”でもない、「あなたも知っているあの鶏」について話すようなとき、限定作業の第1段階として、不定冠詞が使われます。

たとえば、話し手の住む町にスーパーがひとつしかなかったとしたら、
”I saw Taro in the supermarket yesterday.”「昨日スーパーで太郎を見たよ」
と突然言っても、聞き手は「ああ、あのスーパーね」と状況を理解してくれるでしょう。

ですが、何の脈略もなく"I saw the cat."と言ったら、聞き手は「ちょっと待って、どの猫のこと?」とツッコミを入れざるを得ません。
あるいは、「今まで、この人との会話の中で、猫が話題にのぼったことはあったかしら?」と考え込まなければならなくなります。
町には猫がたくさんいるからです。
その場合、
”I saw the cat which I saw the other day."「この間見た(のと同じ)猫を見たんだ」
などのように、必ず説明が必要となります。
「共通理解を前提にしている」ということは、言い換えると「前提に反して共通理解が存在しなかった場合には、説明責任が発生する」ということなのです。

一方、逆の発想で、「これから共通理解を築きますよ!」という場面もあります。
スーパーが無数にあるような都会において「昨日スーパーに行ってね・・・あ、いつも行くスーパーなんだけど。そこで、太郎を見たんだ。」と話すような感じで、あらかじめ「説明責任」を果たすことによって「共通理解」を図るのです。
そこには、「どのスーパーのことを言っているのか分かって欲しい」という思いがあると解釈できます。
「太郎を見た」ということだけが伝えたいのであれば、どこのどんなスーパーなのかは重要ではないからです。

より純粋に「限定」の用途で定冠詞を使うこともあります。
例えば、"shyness"=「恥じらい」という一般的な概念に"the"を付けたならば、
"the shyness for which the Japanese are well known"「日本人の気質としてよく知られた恥じらい」
などのように、説明を加えなければなりません。
これも、「色々ある『恥じらい』の中から、私が言いたい種類のものを抜き出して伝える」という「共通認識」構築の土台の上に成り立っています。

一方、「共通認識」と「説明責任」が前提とされているということは、既に説明を施されたものに対しては定冠詞が付いていれば済まされるということでもあります。
これは、指示語と同じです。指示語は、国語で習うように、既出のものに対してしか用いることはできません。
同じように、定冠詞は既に(あるいはこれから)説明されている=「共通理解」が図られているものにしか使えないのです。

また、定冠詞の「共通理解」にはもう一種類あります。
それは、"the internet"などのように、「それといえば当然一つしかない」ような共通理解です。
パソコンなどの機器、ブラウザなどのインターフェイスは色々ありますが、そこから接続する「インターネット世界」というものは一つしかありませんよね。
同じような理屈で、"the refrigirator"という表現も説明されます。
現代社会において、冷蔵庫は各家庭に一台ある(あるいは一台以上ない)と想定されるので、わざわざ"our refrigirator"などといわなくても、どの冷蔵庫を指しているのか「共通理解」が図れていると認識されるのです。
(「椅子」など、各家庭に複数あることが想定されるものに関しては、この種の限定は行うことはできません。)
"Could you turn off the lights?"というときにも、説明しなくても今いる部屋の電気のことだと分かります。
長年連れ添った夫婦の「アレ持ってきて」という会話のようなイメージです。

以上が、冠詞の基本的な概念です。
このように、英語というのは本来、伝達対象を明確にすることを重視する言語です。
行間を読むことを美徳とする日本語話者には、理解しづらいところもあるかもしれませんが、せっかく他言語を勉強するのなら、その基礎となる枠組みや自分の母国語との差異を学ぶことも悪くないですね。

――

<構文>

「構文」とは何でしょう?
読んで字のごとく「文の構造」のことです。
単語の並びを文として成立させるための様々なルールや、決まった形のことです。

しかし、これは広義の構文の意味といえるでしょう。
英語を勉強していて、日常的に目にする「構文」は、「”as~as”構文」や「”too~to”構文」といったものだと思います。
こういった、狭義の構文は、「こういう形のときは、こういう意味だと解釈する」という決まりのことだと考えて下さい。
日本語にはあまりない発想ですが・・・「副詞の呼応」などが近い感覚でしょうか?

今述べたように、構文というのは沢山あります。
というか、目にしているほとんど全ての英文が構文だとさえ言えるでしょう。
しかし、全てを取り上げることはできないので、ここでは的を絞って説明することにします。

構文の中で、ことさら重要な位置を占めている単語が”it”です。
“it”は「それ」という代名詞・指示語のほかにも、様々な使い方をします。

●”It~that”構文
“It”と従属接続詞”that”を使った構文です。
たとえば、
“It seems that Hanako is angry at Taro.”「花子は太郎に対して怒っているようだ。」
などのようになります。

何が「ようだ」なのでしょう?
答えは「状況」です。
上の和文をもっと詳しく言い換えると、
「どうやら花子が太郎に対して怒っているという状況のようだ。」
という風になります。

上の和文の英訳としては、むしろ、
“Hanako seems to be angry at Taro.”
のほうが適当かもしれません。
こちらの場合は、「花子は太郎に対して怒っているように見える」というニュアンスになり、「状況」を説明しているというよりは、「花子のようす」に焦点が合っている感じになります。

すなわち、”it”が意味しているのは「状況」という漠然としたものです。
“it”を、つまり「花子」でも「私」でもなく「状況」を主語に据えることによって、一歩引いた、客観的な視点が表現されているのです。

●”It + be動詞 + 形容詞 + that~”構文
上のような漠然とした「状況」ではなく、”it”がハッキリと何かを指している場合もあります。
こうしたものは「仮主語の”it”」と呼ばれます。
たとえば、
“It is natural that Hanako is angry at Taro.”「花子が太郎に対して怒っているのは当然だ。」
というような文がこれにあたります。

和文を見て分かるとおり、ここでは、”that”以下が「意味上の主語」になります。
従属接続詞”that”は「~こと」という名詞節を作りますから、主語の役割を果たすこともできます。
(日本語の助詞「の」は「もの・こと」の意味を持ちます。たとえば、「ふたつの内、赤いの(もの)が私のです。」とか、「彼が言っているの(こと)はこういうことだ。」などの場合です。和文の「怒っているのは当然だ」の「の」は「こと」に置き換えることができます。)
つまり、
“That Hanako is angry at Taro is natural.”
というように、that節を”it”部分に代入することが可能なのです。

●”It~to”構文
仮主語の”it”を使うほかの構文として、”It~to“構文が挙げられます。
たとえば、
“It is difficult to earn money.”「お金を稼ぐのは難しい。」
などの文がこれにあたります。

ここでは、to不定詞の名詞的用法により、”to”以下が「お金を稼ぐこと」という名詞節になっています。
つまり”to”以下がこの文の意味上の主語であり、”it”部分への代入が可能であるということです。
代入すると、
“To earn money is difficult.”となります。

もちろん、「~こと」という名詞節を作るものであれば、同じように使うことができますから、動名詞も仮主語の”it”の形で表せます。
たとえば、
“It was fun watching the movie.”「その映画を観るのは楽しかった。」
などのようになります。

なぜわざわざ仮主語の”it”を使って文を作るのかというと、英語には「長い主語を嫌う」という性質があるからです。
英語は論理的な言語ですから、論理構造が分かりにくくなるのを嫌うのです。

英語にはまた、「前に来るものの方が重要度が高い」という性質もあります。
仮主語の”it”を使うことで、より早く述語に到達することができる。
つまり、上の例でいえば「楽しかった」ということを重点的に伝えたいということになります。
“Watching the movie was fun.”と言った場合には、「その映画を観ること」のほうに重点が置かれていることになります。
「分かりやすさ」と「表現の幅」の両方の観点から、仮主語の”it”は利用価値があるのです。

また、「論理構造を分かりやすくする」のが必要なのは、主語ばかりではありません。
実は、仮主語のほかに「仮目的語の”it”」というものも存在します。
たとえば、
“I found it easy to read the book.”「私はその本を読むのを簡単に感じた。」【to不定詞】
“I found it weird that he didn’t talk to me.”「私は彼が話しかけてこないのを妙だと感じた。」【従属接続詞】
“I found it comfortable sitting in the sofa.”「私はそのソファに座るのを心地よく感じた。」【動名詞】
などのようになります。

仮主語の場合と同じように、to不定詞・従属接続詞・動名詞の導く名詞節が「意味上の目的語」となります。

●強調構文
“it”を使った構文にはもうひとつ、強調構文があります。
たとえば、
“It is because of the traffic jam that he was late.”「彼が遅れたのは、交通渋滞のせいだ。」
“It is since 1995 that she is writing a diary.”「彼女が日記を付けているのは、1995年以来だ。」
などのようになります。

形こそ”It is ~that”と、仮主語の文と似たものなっていますが、強調構文の本質は「倒置」です。
これらの文の元の形は、
“He was late because of the traffic jam.”「交通渋滞のせいで彼は遅れた。」
“She is writing a diary since 1995.”「1995年以来、彼女は日記を付けている。」
であり、上の文よりもずっとスッキリしたものです。

日本語では逆なので分かりにくいですが、先ほど述べたように、英語では前にあるほどその内容が重要だと見なされます。
すなわち、わざわざ”it”を使って文をこねくり回しているのは、文構造を分かりやすくするためではなく、重要な内容をむりやり先頭に持ってくるためなのです。

(番外編) 読み書きのためのコレだけ!英文法9

2015-03-04 | これだけ英文法
<関係詞>

「関係代名詞」と「関係副詞」のことを、まとめて「関係詞」と呼びます。
関係詞とは、ひとことでいうと、「名詞を軸にしてふたつの文をつなげるもの」です。
その意味は、これから見ていきましょう。

まずは、関係代名詞からです。

関係代名詞とは、代名詞と接続詞の性質を併せ持ったものです。
代名詞=名詞の代わりになるものと、接続詞=色々なものを互いにくっつけるものの性質を併せ持っている・・・ピンときますか?

たとえば、
1) “I jogged in the park.”「公園でジョギングした。」
2) “The park is very big.”「その公園はとても大きい。」
という二つの文章を考えてみましょう。
“the park”という名詞が共通していますね?
この”the park”という名詞を軸にして、二つの文をくっつけるとどうなるでしょう?

「とても大きい公園でジョギングした。」
となりますね。
この合体を英語で表すと、
“I jogged in the park that is very big.”
となります。

軸となっている”tha park”という名詞をひとつにまとめ、くっつけたほうの文に、それと分かるように”that”というサインが付いている。
このサインである”that”が関係代名詞なのです。

どうしてくっつけるのか?
あるいは、くっついた結果どういう形になったのか?
答えは、「くっつけられた文」が「軸になっている名詞」を修飾している形になるのです。

さて、名詞を修飾するのはどの品詞でしたか?
そう、形容詞ですね。
つまり、「くっつけられた文」は形容詞の働きをするのです。

では、
”I jogged in the park that is very big.”
の文において、”that”以下、つまり、
“is very big”
というフレーズは、句ですか?節ですか?
そう、Sが欠けているので、句です。
2)の文においてSの役割を果たしていた”the park”という名詞は、ひとつの文にまとめられることで吸収され、無くなってしまったのです。

つまり、まとめられた文における”that”以下の部分は、合体の軸となった”the park”という名詞を修飾する「形容詞句」であることになります。
この軸となる語句のことを「先行詞」と呼びます。

関係詞が含まれる文を相手にするときは、この先行詞を意識することが非常に重要なので、よく覚えておいて下さいね!

では、少し練習です。
1) “She has a cat.”
2) “The cat came to her house when it was a baby.”
というふたつの文を先ほどのように合体するとどうなりますか?
答えは、
“She has a cat that came to her house when it was a baby.”
です。

これがたとえば、
1) “She has a cat.”
2) “The cat is very beautiful.”
というふたつの文を合体する場合には、
“She has a cat that is very beautiful.”
というのも間違いではありませんが、
“She has a very beautiful cat.”
というように、単純な形容詞句を使って合体してしまうほうがスマートだったりします。

先の例の2)ような長い、修飾語や副詞句の入った文では、この関係代名詞で合体するしかありません。
つまり、このような入り組んだ文でのほうが、関係代名詞はその本領を発揮できるのです。
逆にいうと、修飾語句や副詞節が混ざった複雑な文が出来上がるので、どこからどこまでが関係代名詞の導く形容詞節なのかを見分けるのが難しくなる、ということです。
ハイレベルな文章になればなるほど、これを見分けるのは難しくなります。

では、練習その2。
“He was wearing the coat that he bought last winter.”
という文を、ふたつに分けると、どうなりますか?

「“that”の手前にあるから、”the coat”が軸になっている先行詞で、その先は句だから・・・
・・・あれ?
Sが欠けてない!」

さて、文の「骨」の中で、名詞がなれるのは何でしたか?
そう、主語・目的語・補語です。
関係代名詞の導く形容詞句が修飾しているのは、主語とは限らないのです。

この場合は、”the coat”が先行詞であることには違いないのですが、
1) “He was wearing the coat.”
2) “He bought the coat last winter.”
といように、 2) の文章における目的語の”the coat”が軸になっていたのです。

最後に、練習その3。
1) “The girl is his sister.”
2) “He was talking to her.”
このふたつの文を合体するとどうなりますか?

1)の“the girl”と2)の”her”が同じものを指していて、先行詞になるから、
“The girl who he was talking to is his sister.”
・・・あれ?なんか”to”が宙ぶらりん・・・。

そう、宙ぶらりんな感じがします。
ですが、これで正解なんです。

どうして宙ぶらりんの前置詞が発生するのか?
それを解明するためには、まず動詞の属性について考えなくてはなりません。

“talk”はどんな名詞ですか?
そう、「話す」という意味の自動詞です。
“He was talking.”
という文なら、「彼はしゃべっていた」となりますが、
“He was talking to the girl.”
のように、「[人]に話す」という場合、前置詞の”to”を伴います。
まさに上の例文の2)の形ですね。

“to”があることによって、「彼」がただ勝手にしゃべっているのではなく、「誰かに向かって」話しているという意味が付加されるのです。
つまり、”to”を外すと意味が変わってしまう。
それを防ぐために、宙ぶらりんながらも”to”が残されているのです。

これは、”talk”のような自動詞だけでなく、”give”などの特殊な使い方をする他動詞にも当てはまります。
たとえば、
1) “I met the boy.”
2) “I gave a muffler to the boy.”
→”I met the boy whom I gave a muffler to.”
というようになります。

また、この宙ぶらりんの前置詞は、関係代名詞の前に置くこともできます。
最初の例でいうと、
“The girl to whom he was talking is his sister.”
となります。
「あれ?前置詞が後ろにあったときには”who”だったのに、関係代名詞の前に来たら”whom” になっちゃった!」
と混乱するかもしれませんが、これは元の文(“He was talking to her.”)において、先行詞”the girl”にあたる代名詞が”she”ではなく”her”という目的格であることに因ります。
“talk to [人]”の場合、[人]の部分は目的格になりますよね?
元の位置から移動されて分かりにくくなってしまった前置詞”to”の役割が明確になるように、このような変化を加える(=印をつける)必要があるのです。

ふたつめの例文では、関係代名詞が元々目的格になっているので、単純です。
“I met the boy to whom I gave a muffler.”

難しい文章になればなるほど、この「前置詞+関係代名詞」という形にお目にかかる機会が増えますので、是非覚えておいて下さい。
また、関係副詞を理解する上でも欠かせない要素ですので、後ほど詳しく説明します。

さて、「ふたつの文をつなげる」という関係詞の性質上、文の合体や分解の練習をやってきましたが、今後はサラッと流しますね。
学校英語では、この合体や分解の練習を嫌というほどやらされますが、最終的には合体や分解を経ることなく、形容詞句は形容詞句として読めることを目指しますので、ここではあくまでイメージを掴んでもらう程度にとどめます。

では、ここからは、関係代名詞のより細かい説明へ移っていきますね。

――

関係代名詞には、”that”, “who”, “whom”, “which”,” what”があります。
この中で、”that”はほとんどオールマイティです。

“who”と”whom”は「人」に対してのみ使います。
“who”は、まとめられる文の主語が、軸である先行詞になる場合に使います。
たとえば、
“I met Hanako who was my best friend in high school.”
「私は、高校のときに親友だった花子に会った。」
この文は、分解すると、
“I met Hanako.”/ “Hanako was my best friend in high school.”
「私は花子に会った。」/「花子は高校のとき私の親友だった。」
となります。

“whom”は、同じく「人」に対して使いますが、まとめられる文の目的語が先行詞になる場合に使います。
たとえば、
“I met Hanako whom I regarded as a best friend in high school.”
「私は高校のとき親友だと見なしていた花子に会った。」
この文は、分解すると、
“I met Hanako.”/ “I regarded Hanako as a best friend in high school.”
「私は花子に会った。」/「私は高校のとき花子を親友と見なしていた。」
となります。

トリッキーなのは、受動態が絡んだときです。
1) “I met Hanako who was regarded as my best friend in high school.”
2) “I met Hanako whom was regarded as my best friend in high school.”
このふたつの文では、どちらが正しいでしょう?

分解された文は、
“I met Hanako.”/ “Hanako was regarded as my best friend in high school.”
となりますから、1)が正解です。

さて、次に”which”ですが、これは「物」に対してのみ使います。
あるいは、英語では物と同じように表される「動物」に対しても使われます。
たとえば、
“I gave Taro a muffler which is knitted in red yarn.”
「私は太郎に赤い毛糸で編まれたマフラーをあげた。」
となります。
目的格の場合は、
“I gave Taro a muffler that I knitted by myself.”
「私は太郎に自分で編んだマフラーをあげた。」
というようになります。

最後に”what” です。
“what”も「物」について使いますが、用法が少し特殊です。
というのも、”what”を使った関係代名詞の文には、先行詞がないのです。
なぜ先行詞がないのか?
それは、”what”が先行詞を含んでいるからです。

たとえば、
“I know what you want to say.”
「あなたが言いたいことは分かっている。」
というようになります。
これは分解すると、
1) “I know the thing.”
2) “You want to say the thing.”
となり、”the thing”が先行詞になるはずです。
その場合、先行詞が「物」ですから、
“I know the thing which you want to say.”
となります。

この”the thing which”という形を、”what”と置き換えることができるのです。
なぜ置き換えるんでしょうか?
それはおそらく、出現頻度が高いからでしょう。

上の例は目的格でしたが、主格の例では、
“I don’t know what is important to you.”
などとなります。
これは、分解すると、
1) “I don’t know the thing.”
2) “The thing is important to you.”
となります。

慣れないうちは、”what”が出てきたら”the thing which”に置き換えて考えてみて下さいね。

さて、関係代名詞の終わりに、「制限用法」と「非制限用法」というものについて説明します。
今まで見てきたような、関係代名詞の普通の用法が制限用法です。
それとは別に、「非制限用法」というものがあるのです。
しかし、単純といえば単純なことなので、あまり身構え内で下さい。

非制限用法では、関係代名詞の前にカンマが付きます。
「カンマ一つで何がそんなに変わるの?」というところですが、文全体の解釈が少しばかり変わることになります。

今まで見てきた制限用法は、どういうものかというと、その名の通り「先行詞を制限するもの」でした。
つまり、「あいまいな名詞を、より詳しく説明して、何のことを話しているのかを聞き手に伝わりやすくする」ということです。
そのため、制限用法における先行詞は、常に一般名詞です。

一方、非制限用法の働きは、「先行詞について説明を付け加える」というものです。
先ほどの制限用法の「制限する」という働きを、「指定外のものを排除する」ものだとするならば、非制限用法ではこれをしません。
代わりに、「だからどうした」という情報を付け加えるのです。

たとえば、
“Hanako gave Taro a muffler, which he wore every day.”
「花子は太郎にマフラーを贈り、彼は毎日それを着用した。」
というようになります。
この訳を、
「花子は太郎に、彼が毎日着用しているマフラーを贈った。」
とすると、意味がおかしくなりますよね?

イメージとしては、分詞構文の「付帯状況」と同じように考えればいいと思います。
「~して、それでどうした」という風に、追加の説明として、まずは理解する。
その後、実際どのような解釈をすればいいかを考えていく。

非制限用法の意味には、「連結」「理由」「反対・譲歩」「挿入」の四つがあります。
「連結」とは、今挙げた例の場合です。
“and”で置き換えることができます。
その場合、
“Hanako gave Taro a muffler, and he wore it every day.”
となります。
(関係代名詞を外して”and”に置き換えているので、後ろの節の先行詞だったもの”it”=“the muffler”が復活しています。)

「理由」は、たとえば、
“Taro liked the muffler, which was beautifully knitted by Hanako.”
「太郎はそのマフラーが好きだった。花子によって美しく編まれていたのだ。」
という風になります。

「反対・譲歩」の例は、
“Taro liked the muffler, which was not very fashionable.”
「太郎はそのマフラーが好きだった。あまり格好良くはなかったが。」
などのようになります。

「挿入」は、たとえば、
“My father, who is a dentist, lives far away.”
「私の父は歯科医ですが、遠くに住んでいます。」
などのようになります。
これを、「歯科医の私の父は~」としてしまうと、歯科医でない父がいることになり、不自然になってしまいます。

そして、「先行詞を制限するのではなく、情報を付け加える」という非制限用法の特性上、先行詞は必ずしも一般名詞である必要はありません。
つまり、固有名詞でもいいのです。
たとえば、
“Taro, who received a muffler from Hanako, didn’t want her to be his girlfriend.”
「太郎は花子からマフラーを受け取ったが、彼女をガールフレンドにしたくなかった。」
という風になります。
制限用法で「花子からマフラーを受け取った太郎は、彼女をガールフレンドにしたくなかった。」と訳すこともできなくはないですが、そうすると前後の節の関係が分かりにくくなってしまいます。

このように、関係代名詞句が文中に挿入的に置かれている場合、どこからどこまでが関係代名詞句なのかを明確にするために前後にカンマが置かれます。
この場合は、制限用法なのか非制限用法なのかを文脈から判断するしかありません。
和訳問題などの場合は、気をつけましょう。

――

ここからは、関係副詞について見ていきます。
関係副詞には”when”, “where”, “why”, “how”の四つがあります。

関係副詞は、接続詞と副詞の働きを併せ持つものです。
ん?
でも、関係詞って「名詞を軸にして、ふたつの文をつなげるもの」でしたよね?
先行詞は名詞だし、副詞は名詞を修飾しないし・・・副詞はどう絡むんでしょう?

関係副詞の基本的な働きや構造は、関係代名詞と同じです。
違いは、関係代名詞では、くっつけられるほうの文の先行詞を代名詞として処理してくっつける先の先行詞を修飾するのに対し、関係副詞ではくっつけられるほうの文の先行詞を代名詞ではなく副詞として処理して修飾するという点です。
つまり、「関係(接続)の仕方」が違うのです。

最初の例文を考えてみましょう。
1) “I jogged in the park.”「公園でジョギングした。」
2) “The park is very big.”「その公園はとても大きい。」
→”I jogged in the park that is very big.”
この文において、”that”以下を抜き出してみると、
“that is very big”=「それはとても大きい」
となりますね?
“that”=「それ」は代名詞に他なりません。
学校や塾でシステマチックに関係代名詞を習うと、あまり意識されることはありませんが、関係代名詞の本質は、名前の通り「代名詞」なのです。

では、関係副詞はどうなのか?
はじめの”when”を例にとって見てみましょう。
“when”の先行詞は「時」を表す名詞に限られます。

たとえば、
1) “There are times.” 「時(瞬間・タイミング)がある。」
2) “During the times, you cannot think of anything.” 「その(最中)時には何も考えることができない。」

この”during the times”の部分は、文法的にいうと何でしょう?
答えは、副詞句です。
主節である”you cannot think of anything”という全体、つまり文全体を修飾する副詞句になります。
この副詞句の構造を生かしたまま、ふたつの文を合体しようとすると、ある工夫が必要になります。

すなわち、
“There are times during which you cannot think of anything.”
となります。
前置詞と関係代名詞の用法を思い出して下さいね。

この前置詞”during”はどういうことを表しているかというと、「時というは、その中に身を置くものである」ということです。
時というのは「連続性」ですから、その中に身を置いたり(“during”, “in”など)、ある時点を切り取ったり(“at”, “on”など)しなければ語ることのできないものです。
ですから、これらの前置詞を外しては意味をなさないものなのです。

(例外として、「時間」そのものを物として扱う場合があります。
このときは、
“Time is something which you cannot touch.”「時とは触れることのできないものだ。」

1) “Time is something.”
2) “You cannot touch time.”
というようになります。)

この前置詞+関係代名詞の意味合いを残したまま、つまり副詞句の形のまま、別の単語に置き換えたのが関係副詞”when”なのです。
すなわち、関係副詞で先の例文を表すと、
“There are times when you cannot think of anything.”
となります。

関係詞において重要な要素は、「ひとつの完成された文に、もうひとつ文がくっつけれられている」ということがあります。
「もうひとつの文」は、関係代名詞の場合は形容詞句として、関係副詞の場合は副詞句として
、くっつけられることになるのです。
つまり、関係詞句は「飾り」。
この「飾り」が、形容詞として働いているか、副詞として働いているかの違いがあるだけです。

“where”の先行詞は「場所」を表すものに限られます。
「時」と同じように、「場所」も、その中(”in”)や、そのどこかに(”on”, “at”, “under”など)身を置くものですよね。
しかし”where”の場合は少し分かりやすく、一語で「場所」を表す副詞が存在します。
それは”there”です。

たとえば、
1) “That is the house.”
2) “I lived there long ago.”
→”That is the house where I lived long ago.”「あれが私が昔住んでいた家だ。」
というようになります。

これを、前置詞+関係代名詞で表すと、
1) “That is the house.”
2) “I lived in the house long ago.”
→”That is the house in which I lived long ago.”
→”That is the house where I lived long ago.”
となります。

「一方の文に、もう一方の文が副詞句としてくっつけられる」ということのイメージが、段々できてきたでしょうか?

お次は、「理由」を表す”why”です。
「理由」といえば、真っ先に思い浮かべるのは”because”ではないでしょうか?
“because”は文法的にいうと何でしたっけ?
そう、副詞節を導く従属接続詞です。

1) “Please explain the reason.”
2) “You were late because of the reason.”
→”Please explain the reason because of which you were late.”
→”Please explain the reason why you were late.”

このように、”because”というと接続詞のイメージが強いですが、前置詞の”because”もあります。
関係詞は名詞を軸にするので、副詞句を導く前置詞と関わりが強いのです。
覚えていますか?
前置詞は名詞(あるいは名詞相当句)の前にしか付かないんでしたね。

「理由」に相当するものは「原因」しかない、1対1の関係ですので、先行詞”the reason”はしばしば省略されます。
ご注意下さいね!

最後に、「方法」を表す”how”です。
「方法」にあたる名詞というと何を思い浮かべますか?
“way”ですね。

1) “I want to know the way.”
2) “She escaped from the ropes by the way.”
→”I want to know the way by which she escaped the ropes.”
→”I want to know the way how she escaped the ropes.”

“why”のときと同様、先行詞の”the way”は省略される傾向にあります。
というか、ほとんどの場合省略されます。
なぜなら、”the way”=「方法」と”how”=「どのように」が同じ意味であり、重複になるからです。

以上のように、関係副詞とは前置詞と非常に関わりの深いものです。
「前置詞+関係代名詞」の形に出会ったときは、関係副詞に置き換え可能かどうか検討してみてください。
先行詞が「時」「場所」「理由」「方法」のいずれかならば、置き換えの可能性が高いです。

「いちいち分解して考えたり、置き換えたりするのが面倒くさい!」と思うかもしれませんが、関係副詞は文をシンプルにするためにあるものです。
慣れてくれば、前置詞+関係代名詞よりも、関係副詞のほうが分かりやすいと感じるようになりますよ。

(番外編) 読み書きのためのコレだけ!英文法8

2015-03-04 | これだけ英文法
<法>
「態」や「時制」と同じように、表現手段のひとつとして、「法」というものがあります。
法は、大きく「直接法」・「命令法」と「仮定法」のふたつに分かれます。

命令法は、いわゆる「命令文」を作るあれです。

直説法とは、普段使われる文章の形式です。
既に起こったことを事実として、あるいは実現可能性の高い未來のことや、その起こりえる条件を、そのままの形で表現する形式のことです。

一方、仮定法は、「事実に反すること」あるいは「起こりそうもないこと」を表現するのに使われます。
仮定法の例としてよく耳にする「もし私が鳥だったなら」などが典型的ですね。
我々がある日突然鳥になることはないのです。

なぜ仮定法がことさら強調されるのか?
それは、「冠詞」や時制の「完了形」などと同じように、日本語には存在しないものだからです。
「もし私が猫だったら、一日中寝ています。」
「もし私が明日暇だったら、手伝ってあげます。」
このふたつの文において、前者が仮定法、後者は直説法にあたりますが、表現方法に大きな差は認められませんよね?
教科書の中では、「もし私が猫だったら、一日中寝ていられるのになぁ。」というように、願望を含んだ分かりやすい文に訳してありますが、現実にはこんなものです。
だから、仮定法というものがいまいちピンときにくいのだろうと思います。

では、英語において仮定法はどういう扱いなのかというと、「現実とは明確に区別されるべきもの」でしょう。
それは、英語がよく言われるように論理的な言語だからであり、主語が省略されることが少なかったり、時制にやたらうるさかったりするのと同じことなのだと思います。
「現実に反すること」を述べるときには、「もちろん絶対ありえないよ。分かってるけど、想像してみるとね・・・」というニュアンスが文表現の中に現れるのです。

そういうわけで、別に仮定法というものが「分詞構文」みたいに隔離された存在であるというわけではありません。
直説法と同一直線上にあるのです。そう、「態」や「時制」と同じように。
同じ構造の中で、ある条件の下では現在形を使い、別の条件下では過去形を使う、というのと同様に、「事実やいかにも起こりそうなこと」を述べるときには直説法を使い、「事実に反すること」を述べるときには仮定法を使うというだけの話です。

前置きが長くなってしまいました。
それでは、仮定法の具体的な使い方について説明していきましょう。

仮定法では、文が「条件節」と「帰結節」に分かれます。
条件節とは「条件を仮定している部分」のことで、帰結節とは「条件を満たした場合どうなるか」を表す部分のことです。
基本的な形は、副詞節を導く接続詞の”if”と同じだと考えて下さい。
つまり、主節=帰結節、副詞節=条件節です。

ひとことでいうと、仮定法の現れ方は、「条件節の時制が本来のものからひとつ古くなり、それに応じて帰結節の時制も本来のものとは異なる形をとる」です。
注目すべき点は、仮定法においては「条件節ありき」だということです。
「ありえないこと」は現在・未來・過去のどの時点のことなのか?という前提があって初めて、帰結節の時制が決定されます。
どうして帰結節の時制まで変わるのか?
それは、条件節の内容が非現実なのに伴い、帰結節の内容も可変のものになるからです。

しかし、条件節も副詞節なので、必ずしも条件節が文頭に置かれるわけではありません。
これは特有の文法によって、「あるそうもないことを仮定している」という前提を、話し手と聞き手が共有しているからこそ起こることなのです。

異なる点は、時制です。
仮定法の時制のルールは、以下のようになります。
●現在や未来の起こりそうもないこと・・・条件節:原形ーーー帰結節:”will/shall”+原形動詞
●現在の事実に反すること・・・条件節:過去形ーーー帰結節:過去形助動詞+原形動詞
●過去の事実に反すること・・・条件節:過去完了形ーーー帰結節:過去形助動詞+現在完了形動詞
上の三つにはそれぞれ「仮定法現在」「仮定法過去」「仮定法過去完了」と名前がついていますが、文法書をスラスラ読めるようになることを目指しているのでない限り、覚える必要はありません。
「この話は本当のことなのか、空想のことなのか」を見分けられればいいだけです。

具体例はこの先に書きますが、帰結節で使われる助動詞は”be”, ”will”, “can”, “shall”, “have to”など、動作を表し過去形を有しているものがほとんどであることを覚えておいて下さい。

さて、まずは「現在や未来の起こりそうもないこと」とはどういうことなのかを見ていきましょう。
たとえば、
“If the priest be guilty, I shall give all my money to charity.”
「もしその聖職者が罪を犯したのならば、私は全財産を慈善団体に寄付する。」
というような場合です。
「聖職者が犯罪を犯す」ということは「起こりそうもないこと」です。
直接法を使うなら、
“If priest is guilty, I will give all my money to charity.”
となります。
「罪を犯したのがその聖職者なのか否か?」が問題ですが、仮定法を使っていることで、話し手は「その聖職者」が犯人ではないと信じていることが表現されています。

「現在や未来の起こりそうもないこと」は、元々ある動詞を原形にすることで表現されますが、それ以外の方法もあります。
それは、”were to”や”should”を使う方法です。
この場合、帰結節は「過去形助動詞+原形動詞」になります。
たとえば、
“If my husband were to hit me, my father would hit him a hundred times more.”
「もし夫が私を殴ったら、私の父は彼をその百倍殴るでしょう。」
という風になります。

“should”を使う場合には、
“If my husband should hit me, my father would hit him a hundred times more.”
となります。

両者の違いは、”were to”よりも”should”のほうが、実現可能性の低いことにも用いるという点です。
たとえば、
“If your computer should break, I could fix it for you.”
「もしあなたのコンピューターが壊れたら、私はそれを直すことができます。」
というような場合です。

つまり、最初の例でいうならば、”were to”を使っている文のほうが、話し手が「夫に殴られる可能性が低い」と考えていることになります。
“If the ocean were to dry up, I will change my opinion.”
「もし海が干上がったら、私は意見を曲げます。」
というような場合には、”should”は使いません。
「海が干上がること」の実現可能性が限りなく低いからです。

次に、「現在の事実に反すること」はどういうことでしょう?
たとえば、
“If the tobacco tax was lower, I would be smoking.”
「たばこ税がもっと安ければ、たばこを吸っているでしょう。」
というような場合です。
現在のたばこ税の水準は決まっており、現時点でそれよりも安いことは「事実に反する」ので仮定法が使われます。

では、「過去の事実に反すること」について見てみましょう。
たとえば、
“If World War II had ended a year later, I would have not been born.”
「第二次世界大戦が一年遅く終結していたら、私は生まれていなかったでしょう。」
というような場合です。
過去の事実が違っていたら、他の過去の事実も変わっていただろうということです。

では、過去の事実が違っていたら、現在の事実が変わっていただろうという場合にはどうするのでしょう?
答えは、「条件節が仮定法過去完了で、帰結節が仮定法過去」です。
たとえば、
“If he had not caught a cold yesterday, he could go on the field trip with us today.”
「昨日彼が風邪をひいていなかったら、今日私たちと一緒に遠足に行けたのに。」
という風になります。
条件節は「過去完了形」、帰結節は「過去形助動詞+原形動詞」ですね。

最後に、仮定法の”if”は省略されることがあります。
省略された場合は、条件節の”if”を除いた部分が疑問文の形になります。
今までの例文を例にとってみましょう。
“Were my husband to hit me, my father would hit him a hundred times more.”
“Should your computer break, I could fix it.”
“Had World War II ended a year later, I would not be born.”
“Had he not caught a cold yesterday, he could go on the field trip with us today.”
全て、助動詞を使った疑問文の形、つまり「助動詞+S+V」になっているのがお分かりいただけたでしょうか?

以上のように、仮定法の特徴は「時制のズレ」です。
文章を読んでいて、唐突な”be”, “would”, “could”, “should”, “were to”に遭遇したり、時制に関して「おや?」と思ったら、仮定法を疑って見て下さいね。