タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

ちゃぶ台を囲んだ家族団らんは「欧米化」だった!

2016年07月04日 | Weblog
「ちゃぶ台を囲んだ家族団らんの姿こそ、日本のすばらしい伝統である。」という声をここ10年ほどよく耳にします。しかし論文「食卓を囲んだ家族団らんの歴史」(京都女子大学教授(当時)表真美先生著。「Vesta」2009年No.75掲載、p14~19。)によると、食卓を囲んで会話を楽しむ家族団らんの姿は第二次世界大戦後に一般化した物であり、しかも、そのような家族団らん思想は明治時代に欧米から移入され、キリスト教思想に基づく近代的家庭論の中で膨らみ、学校教育に取り入れられた結果広まったのだそうです。

 明治時代に移入されて、文部省が盛んに薦めたものの、実際に日本人の暮らしに定着したのは第二次世界大戦後ということですから、食卓を囲んだ家族団らんとはきわめて歴史の浅い物だったということになります。

 表先生によると、詳しくはこういう流れになります。もともと日本では銘々膳や箱膳で食事をしており、食事中の会話は禁止されていました。例えば明治25(1892)年の修身教科書(現在の道徳の教科書。)では、家族がお膳で食事をし傍らで女中が控える挿絵が掲載されましたが、父親の表情や絵全体からは、皆が黙りこくっている様子が伝わってきます。明治34(1901)年になると、膳がちゃぶ台に変わってますが、やはり押し黙った様子の図です。
それが明治38(1905)年になると様子は一転し、ちゃぶ台を囲んだ長男の話に父親らが耳を傾けて、他の家族も楽しそうな表情をしているのです。
実は、家事科(家庭科の前身。)の教育においては、明治23年からすでに、食卓を囲んで団らんすることが薦められるようになっていたのでした。そして、そのような文部省の指導に影響を与えたのが、熱心なキリスト教徒であり女子教育家として活躍した巖本善治氏と考えられるのです。
例えば、明治20(1887)年の「通信子学講義録」に巖本氏が書いた文章が、日本における初の「食卓を囲んだ家族団らん」に関する文章と言われており、そこには、食事の間に会話を楽しむ欧米の食卓を見習うべきだ、と記されているのです。翌年にも氏は「女学雑誌」第99号において、団らんする西洋人の食卓を見習うべきと主張しているのです。

私たちが「日本の心であり伝統である」と思いがちな、食卓で家族団らんする姿は、明治時代に欧米にあこがれた教育者や官僚が日本に移入した、新しい文化であり、その背景にはキリスト教が関与していたのです。

純粋な日本の文化として信じられがちだが実際には海外の文化が影響していたものとして、前々回に「かまど」を紹介しましたが、食卓での家族団らんもそうだったのです。他にも例えば、和食の鍋や漬け物に欠かせない白菜も、実は明治時代に中国から伝わった新顔の野菜です。「和の文化と伝統の純粋を守るために〇〇〇を継承すべきだ。」という言葉をよく耳にする昨今ですが、そんな時にこそ立ち止まって、深く、その背景を考える必要がありそうです。
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