Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

エホバの証人ってどんな人なの?

2005年03月27日 | 一般
エホバの証人ってどういう人たちかを説明するのにもっとも端的な回答は、絶対論者であるというものになるでしょう。エホバの証人は、世界はエホバと言う造物主によって造られた、エホバの意思によって存在するようになった、したがって世界とそこに住む人間にとってエホバは絶対者である、またエホバが世界にこめた意図は絶対的な法となる、という信条にそって生きています。人間が生きているのはエホバが創造したからであり、エホバが人間を創造によって存在させたのには理由、あるいは目的がある。その目的こそ人間が生きる意味であり、生きる目的と見なせる唯一のものである。存在しているものすべてにとってエホバの意図は唯一絶対の使命であり、その意味でエホバの意図が絶対的真理である。したがってエホバを認めず、エホバの意図を意に介しない生き方、考え方は絶対的真理に反している。それを悪と定義する…。エホバの証人の考え方の基本はこういう信条です。

エホバが万物の創造者であるので、エホバは創造された世界と人間に対して正当に主権を主張できる唯一の支配者である、とエホバの証人は信じます。世の中に悪や不幸があるのは人間が絶対者エホバの支配を受け入れないからだと言います。エホバは人間たちへの正当な支配を実際に回復する。エホバを認めない国家をすべて退けて、エホバの王国をこの地球上に樹立させる強い意図を持っている。そしてわたしたちが生きているこの時代にその交代は行われるだろう。その時にはエホバに従おうとしない人間たちは一人残らず除去されることになる。だから今聖書を学び、エホバに従う生き方をしなさい、そうすれば新しいエホバ政権での世界に生き残れるとエホバの証人は信じているのです。ですから働き盛りの男性でも、フリーターのような形態で就労し、時間を布教活動のために割きます。今の世の中は自分たちが生きている時代に滅ぼされるという前提に立って暮らしています。

エホバの証人は絶対主義者なので、従うべき信条を絶対視します。エホバの証人の定められている信条に従わなければ、教団内できちんと評価されず、冷や飯食いの待遇に甘んじなければなりません。「そんなに周囲の評価など気にせずに、自分の信じたとおりに生きればいいじゃない」というのはわたしたち一般の考え方です。わたしたちの生活環境だからこそ通用する考え方なのです。エホバの証人の社会では自己・個性を確立して生きていくというのは「かたくなな態度=従順じゃない態度=信仰の弱い態度」とみなされ、何かにつけ自尊感情を傷つけられるのです。ですから、エホバの証人は輸血を拒否すること、柔剣道の授業をボイコットすること、地域の祭りや宗教的な行事に参加しないことetc...に躍起になるのです。ひごろ穏やかな表情の人が、何かの行事に参加できないと言い出すとき、彼らの表情は能面のようにこわばっているはずです。心理的に瀬戸際に立っているからです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1979年 | トップ | 「絶対観」は原始的な思考で... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一般」カテゴリの最新記事