Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

自尊心を建て直す(3)

2005年05月20日 | 一般
こんにちわ! 暑いですね。今日はこれから同僚と食事に行きます。がぜん元気が出てきました。

さて、「自尊心を建て直す」の第三弾がようやく書き終わりました。今回は実際に役立つものです。またまた長いですが、ぜひ見てくださいね。



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楽観主義(プラス思考)



1.
楽観的であるということは「ノー天気、極楽トンボ」ということと同じではありません。楽観主義はむしろ、あらゆる困難に立ち向かう力です。

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楽観主義者は、あらゆる困難に勇敢に立ち向かい、それらを難しいこととは受けとらない。彼らは自信を持っており、人生を切り拓いてゆく意欲を容易に生み出せる。彼らは過度の欲求を持たない。なぜなら彼らは良い自己評価を持っており、無視されているとか疎外感を感じるというようなことはないからである。それゆえ彼らは、人生の諸困難に耐えるのが他の人々よりもたやすい。
(「人間知の心理学」から)

*****

悲観主義者は、悪い事態は長く続くものだし、自分は何をやってもうまくいかないし、それは自分が悪いからだと思い込むのに対し、楽観主義者は同じような不運に見舞われても正反対の見方をし、敗北は一時的なものだし、その原因も現在の事態を引き起こしたものひとつであり、決して自分の人生に一般的について回るものではないと考えています。


2.
楽観的でいられるかどうかは、未来志向、目的思考であるかどうかの違いでもあります。

人間の行動を解明しようとする視点として、
(1)過去の原因から見て、「人間の行動には原因がある」とアプローチする方法、原因論と、
(2)未来に向けての目標から見て、「人間の行動には目的がある」と迫る方法、目的論があります。

フロイトの精神分析は「原因論」の立場に立ちます。デカルト、ニュートン以来の科学的思考法をそのまま人間精神にもあてはめて、クライエントの症状や行動を解明する際、過去の親子関係などの生育暦に問題の焦点を当てようとします。自分という人間を見つめるとかいう面ですると、それはそれなりに価値はあるかもしれませんが、生きてゆく上でまず大切なのは、今現在の局面にどう対処するかということです。

アドラー派の主張はフロイト=原因論の対極に位置する、目的論の理論です。アプローチの仕方を対比してみると次のようになります。

(1)原因論では、人間は原因によっていわば後ろから押されて生きている、つまり過去の何かの原因が致命的な影響を与える、と見るのに対して目的論では、人間は過去にどんなことがあったにしても、未来の目標に向けて現在の境遇に積極的な意味を見出せる、自ら目標を設定してそれを主体的に(自分主人公的に)追求して生きてゆくことができると考えます。

(2)この原因がこういう結果を生みだす、という思考法は自然現象を科学的に評価するときには有効かもしれませんが、人間の行動は単に化学・物理法則に動かされているのではなくその人固有の意志が存在します。目的論では、人間の行動を意志による営みと捉えます。同じ境遇の下に在っても、それぞれの意志の違いは、その後の人生を異なったものにします。人間の行動を説明するときに極端に原因論に偏って、本人の意思や主体性をないがしろにすると、不適切な判断や行動の責任回避に陥ってしまうかもしれません。

(3)原因論では、不幸な環境や否定的な要因があるので、今現在うまくいかないことが多いとみなして、当人を被害者、犠牲者と見なしがちです。それに対して目的論では、自らを当事者とみなす発想法です。創造的、建設的に「自分は運命の主人公」と受けとめ、状況に対して能動的に対応してゆく生き方です。

目的論的思考と原因論的思考とのちがいは、日常におけるシチュエーションで見るとあきらかです。
原因論思考を反映した言い方で、人間関係を悪くしがちなものに、「なぜ」に類する言葉があります。ここでひとつ、ある恋人同士の待ち合わせのケースを見てみましょう。

*****
良美さんは邦彦さんと6時半に待ち合わせた新宿駅の東口でずっと邦彦さんを待っています。良美さんは運悪く携帯を会社に置き忘れていました。6時40分になっても彼は来ません。「残業があって遅れているのかな、気にしないでおこう」と思いましたが、念のため、彼の携帯に公衆電話からかけてみました。

話し中です。

「もしかしたら、遅れてごめんって、わたしの携帯にかけているのかな」と思い、悠長に構えていると、邦彦さんが怒った表情で近づいてきました。

そして第一声。
「オマエ、なんでこっちにいるんだ?」
「だって、東口交番って言わなかったっけ?」
「東口じゃなく、西口って言ったじゃないか!」
「ふつうなら確認するんだけれど、今日、携帯、会社に置いてきちゃったのよ」
「なんで置いてきたんだよ。何回も電話したんだぞ。
よりによってなんで東口だって思い込んでいたんだ?」
「前に東口で待ち合わせていたこともあったじゃない」
「前のことと、今回のこととなんで関係あるんだ?」
「そう思い込んでいたのよ」
「オマエってやつは、なんでそんなに思い込みが激しいんだ?」
「そこまで言うことないでしょ! あなたってどうして人のことばかり責めるの!
もういい! 帰る!」
*****

このケースでは邦彦さんが良美さんに対して何回も「なぜ」と追及しています。あまりにも訊問調なので、最後には良美さんも「どうして」と反発し、喧嘩別れになってしまいました。

わたしたちは結構、「なぜ」「どうして」と質問します。自分がこのように訊かれてみるとわかりますが、かなり答えにくい質問です。そんなふうに訊かれると、なんだか糾弾されているような気分になりますし、人格を否定されていると感じます。(事実、人格を否定する話しかたです) だからそのような話しかたはお互いの関係を悪くする作用があります。

それに、「なぜ」という問いに対しては、半分以上正しい答が出てこないものです。「なぜ」と問い詰めるのは、相手に弁明を求めているのではなく、非難し、責めたてている話しかたであるのです。

科学的思考法に慣れた人たちは、「なぜ」を連発して質問する癖があります。これは自然現象や出来事のような人間の意志を伴わないものごとを対象にした場合には、有効なアプローチですが、人間の意志を伴う行動にとっては、非建設的です。なぜなら、科学の対象となる事象はたしかに原因-結果という「因果関係」で成立していますが、人間の創造的な意志を伴う行動はキッカケはあっても因果関係ではなく、目的-手段(目的を果たそうとする手段)の関係で成り立っているからです。何かの目的を持ったことに対して、人間は手段として行動に移すものだからです。そしてその手段というのは人によってさまざまに異なっていて多様なので、この場合にはこの手段のみ、というような画一的に決まってはいないのです。人それぞれ、個性に沿った仕方で行動するものなのです。だから、目的は同じでも人によってアプローチのしかたはいろいろで、ある人があのようにし、かの人はかのようにしたからといって、どちらが「真」で、どちらが「偽」かという問題ではないのです。

さて、ここでもう一度、良美さんと邦彦さんにご登場してもらいましょう。同じ状況でありながら、今度は喧嘩別れしないですむ方法でやり直しです。

*****
「あれ、やっぱりこっちにいたんだ。僕は西口交番のつもりだったんだけれどね」
「私ったら東口だとばかり思っていたわ。西口だったんだっけ?」
「たしかそう約束したと思ったよ。それに電話したけれど出ないんで、よけい心配になっちゃったよ」
「ゴメン、会社に忘れてきちゃった」
「それがわかって安心したよ。さ、行こう」
*****

人間関係を円滑にしたいと思うなら、「なぜ」と言わないですむような相互関係に満ちた関係を築くことが先決です。まとめておきましょう。



* Why(なぜ、どうして)という訊きかたの問題点 *
1.つじつま合わせの回答をい引き出すため、半分以上ウソが混じりがちである。
2.賛成できないときや不快感を表明するために、使われることが多い。
3.訊かれた人に言外に強い否定のメッセージを伝えてしまう。
4.相手に防衛的、逃避的にさせがちで、怒りを引き起こさせ攻撃的にさせる。
5.お互いの距離感を作り、信頼関係を傷つける。

* Whyと訊きたいときの別の方法 *
1.人間の行動、言動については極力使わない。
2.使うときでも軽く言う。また連発しない。非難しようとしなければ使わずにすむ。
3.原因を聞くよりも、目的を聞くよう心がける。
  Whyは原因についての問い、For Whatは「何のために」、目的についての問い。
4.過去のことがらを否定的に、かつあれもこれもと話を拡大して指摘しない。
5.代わりに、特定のことがらに限定して、How(どうやって)を使って、目的達成指向、解決指向でアプローチする。



(「勇気づけの心理学」/岩井俊憲・著)
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いかがでした?
今回はかなり実践的だったでしょ? 他人に共感する、他人を理解するっていうのは純然とした「スキル」の問題です。エホバの証人時代は互いが互いを牽制し、監視しあうギスギスした人間関係だったので、非難し、責めたてるコミュニケーションでした。以前にこのブログで紹介した、ゴードンさんの本からの引用とともに(「わたしをヘルプしてくれた本」参照)と共に、参考にしていただけたら、と願います。活字を読むのが苦痛じゃない人は、これらの本を一度ご自分でお読みになってください。
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