Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「無名兵士の言葉」(2)

2005年08月17日 | 一般
加藤先生の「無名兵士の言葉」ですが、全体的に文章も短く簡潔なので、4章をダイジェストでご紹介しようと思い立ちました。4章は「無名兵士の言葉」の第4節、

世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった

…をテーマにして、70歳に手が届こうとする、加藤先生のお考えを展開されておられます。ご自身「神経症」の青春時代を過ごされ、心理学の研究を通して、人間というものへの洞察を話されておられます。

みなさんは、現役だった時代の自分にいま会えるとしたら、かつてのその自分にどんなことを言いたいですか。どんなふうに慰めてあげたいですか。どんなふうに勇気づけてあげたいですか。いつも会衆に認められよう、長老や巡回監督に認められようと背伸びばかりしていた自分。あるいは逆に、会衆や長老に非難されないように慎重に、慎重に振る舞おうとしていた自分。もうすでにマイナスのレッテルを貼りつけられていて、いつも心を痛めていた自分。集会の日には、深いため息をつきながら王国会館に向かっていた自分。せめて笑わないようにして、わたしはあなたたちのやり方、考えかたに同意できません、という抗議のサインを示していた自分。それなのに組織は、「快活になれないのは不満を表している、不満を表すのはコラのような反逆的な霊のサインである」と「助言」する、自分の心の中で怒りと悔しさが燃え上がり、ストレスにさいなまれていた自分。家へ帰ってひとりで何時間も涙を流していた自分…。

わたしはあのときのそんな自分に、励ましと、勇気づけと、いたわりのことばをかけるつもりで、この本の引用を行います。加藤先生の意図を損なわないよう、原文に忠実であることにします(いつもそうですが)。ところが原文は、今の日本へのアドバイスとなっています。ですから、読んでくださるみなさんは、ご自分でエホバの証人だった自分にあてはまるように、頭の中で言い換えてくださいね。

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【欲望の肥大化という不幸】


アメリカと日本がまったく違った国だということを理解しないで、「これからは成果主義だ」という。アメリカ人と日本人がまったく違った人間だということを理解しないで、日本経済はグローバル化に追いついていかなければいけないという。日本も勝ち組と負け組に分かれるという。世界に誇れる日本文化を壊してアメリカ式のビジネスをすることが、まるで先進国であるかのようなことがいわれている。

名馬にイノシシの生きかたを力ずくで強いて、名馬を殺そうとしている今の日本。そうしたなかでは、当然一方に無気力が広がり、他方で力や富や成功への願望が肥大化する。勝ち組も負け組も不幸になる。

肥大化というのは触れ合いがなくて欲だけがあるときの状態。欲望以外のことが欠落しているのが欲望の肥大化である。欲望の満足の中に人生のすべてを求めた。それが欲望の肥大化である。そうして、こう生きたら人が立派だと思ってくれるだろうという生きかたになってしまう。

どんなに「成功」しても、だれかと心がふれあっていなければ人は幸せにはなれない。心のふれあいが人生の価値であり意味であり、人に充足をもたらす。(ヴィクター・)フランクルが「成功と絶望」は矛盾しないと言っているのは、成功したけれども人との心のふれあいを失っているという意味であろう。

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上記のなかで、「名馬」と書かれているのは、大胆で勇猛ではないけれど、決して世界にひけをとらない日本の文化を例えています。「イノシシ」は、大胆不敵で、雄大で勇猛で強靭であることに憧れて、日本が模倣しようとしている外国文化を例えています。馬が良いかイノシシが良いかということではありません。「名馬」とあえて書かれているのは、「イノシシ」を悪く言おうとしているのではありません。国民性としての日本の性質・個性を全否定することはない、とてもいい面もあるのだ、ということを言いたいからです。

日本には日本の伝統的な文化があって、考えかたや行動を決める枠となっています。善いことか善くないことかという問題ではありません。日本に生まれてきて、日本の社会で育ってくればおのずと身につける国民性、大きく括(くく)った場合に見られる、独自の特性というものがあります。そんな日本人には、それに合ったライフ・スタイルがある、というのが加藤先生のご意見です。加藤先生のご意見は心理学者の視点に立っているものです。アメリカに追いつけ追い越せ、という考え方で西洋文明を盲目的に輸入し、日本的なものをあたかも時代遅れでもあるかのように見なして、低く評価する…。

アメリカの巨大な物質文明とその富を得られれば、世界から「一流の国民」と見られる、そういう観点で経済発展を追及するのだとしたら、アメリカ国民と日本国民の違いを無視しているので、自分に無理を強いることになる。馬を駆る騎手を相手に、早足自慢の日本人の飛脚が競走しようとしているようなものだ、というワケです。このへんの説明は、加藤先生の別の著書、「日本型うつ病社会の構造」に詳しいです。

無理して日本に合わない方法で西洋型の富と財産を追求しなければならない、だから人間の自然な必要を棄てて遮二無二働く。そうやって経済大国に成長して、日本は所期の評価を得られたのでしょうか。欧米諸国に肩を並べれる「一流」と見られているでしょうか。わたしにはそうは思えません。一時はエコノミック・アニマルと揶揄されたこともありました。中国や韓国からは、怒鳴れば何かを引き出せる国と見られています。東南アジア諸国からもアジアのリーダーとして揺るぎない評価を得られているかといえば、とてもそうは思えない。今の日本はたしかに、中学校のいじめられっ子のような観を呈しているように見えます。いじめられっ子は自分というものを見失っているので、みんなに迎合しようとします。でも尊敬されません。それどころか軽く見られるのです。自分に自信がないのでビクビクしていて、大声で怒鳴る子や乱暴な子の機嫌をうかがってばかりいます。

いかに人から立派に見られているか、という視点で成功を目指しても自分に自信はつかない、というのが加藤先生をはじめ、眼の黒いカウンセラーや心理セラピストの見解です。自分の内にあって、人と違っていても取り残されたようには思わない「自信」というのは財力とか勲章とか学歴とか熟練とかの、「ソフトウェア」で得られるものではありません。それは人と気持ちを共有できること、自分の弱みを見せても見下されたりしない、それどころかそれでも認め合えれる人間関係から来ます。その人から、学歴や地位や財産、熟練を全部取り去ったあとに残る人間そのものを認められる気持ち、人間という「ハードウェア」そのものを貴重に思える気持ち、それが「自信」である、とおっしゃっておられます。

馬にできることとイノシシにできることは違います。馬にできることをイノシシに要求しても、馬ほど上手にはできないのです。だからといってイノシシは馬よりも価値が低いのでしょうか。馬は馬にできることを行えばいいのです。イノシシはイノシシにできることを精いっぱいにやればいいのです。アメリカ人はアメリカ人に合うライフスタイルでいいし、日本人は日本人に合うライフスタイルでいいのです。馬にしかできないことをイノシシが行おうとすると、自分の無力さを思い知って自信を失います。これはとんでもない勘違いです。自信を得られないからってますます、馬のようになろうって頑張ります。でも自信は得られません。自分に合うスタイルが分かっていないからです。だから「一方では無気力が広がり、他方で力や富や成功への願望が肥大化する」…。経済的に成功を重ねても重ねても、自分に自信が持てない。「成功と絶望」が正比例する不思議。それこそが、財産や名声や地位や学歴や能力といった「ソフトウェア」を多くインストールするだけでは自信は身につかない、ということの証拠なのです。

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【心に傷があるから脅迫的に名声を追求する】


脅迫的に名声を追及する人は、傷ついた孤独な人である。いつになっても人を好きになれない。傷つくのが怖くて、人を好きになれない。孤独と虚しさは同じコインの表と裏である。

脅迫的に名声を追及する人は、皆といっしょにラーメンを食べるのではイヤ。彼は有名料亭で料理が出たら、払うことを考えないで食べてしまうような人である。心のふれあいを知らない人は、有名料亭で料理を食べているときは癒される。名誉とか権力という「薬」を心の傷口に塗って欲しいのである。心の傷が痛むから、そうせざるを得ないのである。

脅迫的に名声を追求する行動は、心の傷が発する「痛みを止めてくれ」という叫びから出た行動である。脅迫的に名声を追求する行動は、自分の車で信号を無視して行くようなものである。そこで事故が起きる。つまり現実の世界での挫折である。

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「ソフトウェア」をより多くインストールしようと意固地になる人は、はだかの自分ではだれも認めてくれない、と思っています。自分という「ハードウェア」はみすぼらしいと信じ込んでいます。人間なんてはだかではみんな同じようなものなのに。人間ははだかの自分でも十分尊敬され、愛されるに値するのに、それが信じられない。「組織のいいつけを守らない子なんてキライ」、そういって折檻する。こういう「条件つきの愛」でしつけられると、ありのままの存在である自分、自分という「ハードウェア」では認められないという、ことば以前の信条としてその人の幼心に思い込んでしまうそうです。これも「心の傷」、あとあとまで影響を残してしまう「トラウマ」となりかねないものなのだそうです。もちろん要因はほかにもたくさんあります。

いずれにせよ、ハードウェアがみすぼらしくて誰にも認められないという誤った信念から、ソフトウェアで他の人より差をつけなければならないという脅迫的行動が生じやすいのです。名声を脅迫的に追及する人は「心が傷ついている」。名声を得るために他人を出し抜こうとします。他人への配慮もしません。加藤先生が、「信号を無視して行こうとするようなもの」と書かれたのは、こういう意味でしょうか。当然、他人との協調ができない。人と心を通わせるということもできない。だからいっそう孤独になる。孤独だから人から認められたいという渇望を抑えられない。ますます名声というソフトウェアを追求する。孤独を癒すのはだれかの温かい心遣いなのに、力でねじふせて自分を顕示しようとするからだれからも愛されない。

愛されようとして努力しますがますます孤独になってゆきます。間違った努力をしているからです。やがて自分より強く大きい車、トラックなんかと衝突する。そして挫折…。

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【ポストにしがみついてノイローゼになる人】


人はほんとうの自信をつけることができないから、脅迫的に力を求め、富を求める。そしていったん得たポストにしがみつく。そのポストでストレスからノイローゼになる人がいる。それでもポストを放さない。

ある女性の文化人である。「あなたは何を求めているのか?」と聞きたくなるくらいに「上に、上に」と脅迫的に名声を追求する。そして自分が今している勉強が好きではないようである。彼女は一時的には華やかである。しかし華やかさの中で自分を見失う。華やかさに捕まっている人は、いずれ華やかさがなくなる。テレビのワイドショーを降りる。そのときに一気に老いが来る。今までの人生のツケが来る。つまり自分は何をしてきたのか、何がしたいのか、どうやって生きていっていいか分からない。

エリートコースを歩む人、華やかさを求める人は、たとえば「どうしても」ほしいポストや賞がある。しかし、その「どうしても」欲しいポストや賞にしがみつかないことが大切なのである。それが心の自由である。人は「どうしても」欲しいものを手に入れられなくても生きていけるし、逆にかけがえのないものと思っているものを失っても、やがてそれなしででも生きていける。

その悲しみや絶望を乗り越えて人間の幅ができる。ただ、人と心でふれあえない人は、それを乗り越えることができない。

人と親しくなれないということに、人間のほとんどの重要な心理的問題が隠されていると言っても過言ではないからである。アメリカの離婚原因を調べてみると、女性も男性も第一原因としてあげるのはコミュニケーション問題である。

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加藤先生のこのご意見は、かつてエホバの証人だった自分にあてはめられるでしょうか。はい、というのがわたしの場合です。みなさんはいかがでしょうか。




「わたしはすべての骨折りと業におけるあらゆる熟練とを見た。
 それが互いに対する対抗心を意味するのを。
 これもまた、虚しく風を追うようなものである(伝道の書 4:4)」

「遠からず、君はあらゆるものを忘れ
 遠からず、あらゆるものは君を忘れてしまうだろう。
 (「自省録」/マルクス・アウレリウス)」

「全世界を自分のものにして、その周囲に柵を巡らせたとしても
 あなたは一日に三回しか食事をしないし
 寝るときにはベッドがひとつあれば足りるのだ。
 (デール・カーネギー)」

「野菜の料理とそこに愛があれば、
 肥やし飼いにされた牛とそれに憎しみが伴うのに勝る(箴言15:17)」


生きているときに、友、友人、よきパートナーである配偶者とひと時を分かちあえること、これだけで人間ってしあわせだと、つくづく思います…
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2 コメント

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全然関係ないけど・・・ (あゆ)
2005-08-18 16:29:25
私、ルナさんのこと大好きです

お会いしたことはないけれど・・・。

ルナさんのブログは

とっても熟考されて書かれてるからすごく参考になります。

それに、とっても気楽に思っていることを書いちゃってるのに

(わたしだけ・・・?)

ルナさんはいつも「気にしないで・・・」

と優しく言ってくれるし

このブログは居心地がよいです



・・・と思っているのは私だけだったりして・・・



ルナさん、迷惑なことがあったら

遠慮なく言ってくださいね
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あゆさん… (ルナ)
2005-08-18 18:05:56
こんばんは、あゆさん。



たいへんに持ち上げてくださって、面映いです…。現物に会ったら震え上がりますよ(^^)



ルナは会社では強面(こわもて)№1です。クレーム処理ではよく駆り出されます。新人の若い子たちもわたしには敬語を使います。要するにウルサイおばさんです。だから想像だけにしておいたほうがいいですよ(^^)。



いつもいつもカタクルシイ内容でごめんね。でもこういうことを言いたくてこのブログを立ち上げました。それでも応援してくださる方々がおられて、すごくうれしいです。



迷惑だなんて、とんでもない!

いつもコメントしてくれるので、ほんとうにうれしいです。ありがとう。





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