Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

日記

2007年09月24日 | 一般
頭痛がひどくて、
でもバファリンが切れていて、
ドラッグストアに急いで買いに行った帰りのこと。

暗い夜道に光る目があったんですね。
ネコか、と思いきや、タヌキでした。

3匹いたんですよ。
でも一匹はぐったり横たわっていて、
ああ、かわいそうに、轢かれちゃったのかと思って、
でも邪魔だからパッシングしたんですけれど、
動かない。

残る二匹が、死んだ一匹を動かそうとするんです。
わたしは泣き虫なので、一気にまぶたに熱いものがこみ上げてきて…

とうとう一匹が、死んだ一匹の尻尾をくわえて、
道路のはしっこへ動かしたのです。
もう一匹は、それを見届けるかのような動きをしたあと、
道路のはしへ、死んだ一匹が安置された方へ
さっと走っていったのです。

親子だったのでしょうか。
哺乳類は愛情豊かな子育てをするのが特徴です。

「これに比べて人間は…」
というような野暮なことは申しません。
わたし、いちおう、心理学オタクですから。

人間が荒れるのは、
自分を受入れてくれない人々や世の中、
自分を理解しようとしない人々や世の中への
悲痛な叫びなのだといいたい。

人間をして、
親子の愛情を廃れさせるのは
決して「終わりの日のしるし」などではなく
効率ばかりを追い求める社会のありかた、
人間の自然な感情や欲求を抑えこむしきたりとか
過酷な競争とか
そういうものだろうことは、
みな頭ではわかっている。
でも身体はそんなしきたりや競争に従属し続けるのです。

毛のふさふさした動物たちの必死の行動は
そんなわたしたちの程度の低さ、
見栄の愚かさをまざまざと見せつけてくれる。

ドラッグストアでお水をいただいて飲んだバファリンが効いてきたのでしょうけれど、
もう頭痛のことは忘れていました。

生き抜いてね、
残された二匹たち…!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「国際貢献と正しい戦争」 | トップ | トリビア 10 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一般」カテゴリの最新記事