生ひ立ちの歌
Ⅰ
幼年期
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
少年期
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました
17-19(歳)
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました
20-22(歳)
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた
23(歳)
私の上に降る雪は
ひどい吹雪と見えました
24(歳)
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのやうに降ってきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黒む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかに(=優美に、上品に)なつかしく
手を差し伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(き)したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
「中原中也詩集」より
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若いときの苦労は買ってでもしろ、と言われます。
強い心を持つことができたなら、
意思を強く持って生きのびたなら、
荒れた環境に対処し、あるいは順応することを学ぶでしょう。
時が経てば
それらの時代のことは
うつくしく、
なつかしく、
優美で、
心を熱くするものであるのを実感できる…のでしょうか。
何度もくじけながら、
それでもあきらめずに生きてきたあと、
神に感謝できるっていうのは
感慨深いものがある。
なぜって、それは逃避ではなく
あきらめずに生きて来れたことへの
勝利の凱歌だから。
心を支えることができたことへの感謝の気持ちは。
あきらめないで生きて来れたこと
くじけたり倒れたりしても
決してあきらめなかったこと、
いのちに対して潔白であったこと。
中也はそれを「貞潔」と呼んだのだろうか…。
いまのところ、
わたしはこの詩をこう読んでいるのです。