Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

幸福はものごとの味にある

2007年07月05日 | Weblog
幸福はものごとの味にあって、ものごとそのものにあるのではない。

 幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、
  他人がよいと思うものを持っているからではない。


(「箴言集」/ ラ・ロシュフコー・著)

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エホバの証人が「特権」をとらえようと一生懸命になるのは、
「他人がよいと思うもの」を得ようと自分をこき使っていることだとわたしは思う。これは想像ではなく、エホバの証人の中で20年弱過ごしたなかでの観察にもとづいている。

でもエホバの証人などに欺かれなかった一般の人たちは決してエホバの証人を笑えない。とくに日本人とアメリカ人はエホバの証人と同じような生きかたをしているからだ。他人からの賞賛を得ようとして、他人の望むもの、他人がよいと思っているものに上達しようとしているから。

たとえ百億の長者になろうと、一千一万の家来を従える名声と影響力を持つようになっても、他人の土俵で踊っているのなら、その人は単なる操り人形でしかない。老衰して目が衰えてようやく、自分の頭の中にたくさんのピアノ線があったのを知るようになるのだ。そしてその人は憤ったまま死んでゆく。

トロフィーも勲章も名声も地位も、それ自体が人生を充足させるのではない、断じて。自分の興味を追求している間にそれが他の人からも評価され、感謝されたとき、ふつう以上の喜びと光栄を覚えることになる。

ただ単にメダルが欲しいだけなら、人は薬物を投与したり、審査員を買収したり、人々に迎合したりすることを臆面もなくやってのける。だがそれは自分の内にある「実力」にとってはだぶだぶの服、自分の「身の丈」に合わない服のようなもので、人々は表面的には喝采を送るが、内心では滑稽さに嘲笑するようになるのだ。

「これもまた空しい」(伝道の書のあちこち)。