Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

悔いのないよう生きること、それがまっとうな生きかたです 

2007年01月07日 | Weblog
For all sad words of tongue or pen,
The saddest are these : “It might have been!”

“Maud Muller”/ J.G. Whittier

(訳)口上にしろ、書きものにしろ、
  悲しい言葉のうちでいちばん悲しいのは、
  「…だったかもしれないのに!」という言葉だ。

「モード・マラー」/ J.G.ホイッティアー

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この言葉は、アメリカ19世紀の詩人ホイッティアーの物語詩(Ballad :バラッド、バラードともいう)、「モード・マラー」(1856)にあるものだ。

ヒロインは貧しい農家の娘だが、健康な美しさに満ちていた。ある夏の日、町の金持ちの息子が馬で通りかかり、井戸端にいる娘から一杯の水をもらう。彼は娘の健康的な美しさに深く心を惹かれ、娘は、町の洗練された青年の姿にうっとりする。しかしふたりはそのまま別れる。

幾年も過ぎて、青年は同じ階層の青ざめた弱々しい妻を迎え、娘は荒々しくてがさつな農夫を夫にする。そして互いに、ふと思い出すことがある。

-もし、あのとき、ぼくがあの農家の娘にプロポーズしていたら、こんな不健康な町暮らしとは、ずいぶん違った生活になったかもしれない…。

娘もまた、
-もし、あのとき、あの青年がわたしを迎えてくれていたら、わたしは今みたいな惨めな暮らしではなくて、町で(人間らしく扱われることで)しあわせに過ごしていたかもしれないのに…。



わたしは(著者は)「後悔のくりごと」を、この世のもっとも悲しい言葉として自戒する姿勢が好きだ。



(「英語名言集」/ 加島祥造・著)

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わたしはエホバの証人時代に、好きになった人がいました。でもその人は、わたしが組織からにらまれ、村八分扱いされるようになると、組織側について去ってゆきました。長老の弟と同じ会衆にいた兄弟だったのですが、弟が、「姉は要注意人物だ」みたいな進言をしたらしいのです。だからわたしは今でも弟を憎んでいます。

上記引用文の中に、「同じ階層の青ざめた弱々しい妻」とありますが、「弱々しさ」「青ざめた」様子というのは、自分の感情、自分の考えをい持たずに、しきたりや格式、掟に盲従する姿勢を言うのではないでしょうか。レールの上を決められたとおりに進んでゆく、自発性のない生きかたが保障するものはただひとつ、「安全」だけです。しかし、その「安全」はある人々にとっては、人間性というものを捨て去ってでも得なければならないもののようです。

傷つくことが怖いのか、世間の評判を怖れるのか。そこにあるのは、他人に評価されることで自分に価値が生まれる、という考え方であるのはまちがいありません。また、他人の評価を怖れるのは、ある集団の結束からはじき出されることを怖れなければならない社会の構造があるのでしょう。ほんのちょっと見方を変えれば、そんなものは怖くともなんともないし、傷つくことや失敗することには、人間を賢くし、人格を向上させる貴重な機会であるのに。

わたしは、女性にアタックできない男性が恨めしいです。その男性はそうやって自分を傷つくことから守っているんでしょうけれども、でも自分がアタックしなかった女性を傷つけていることには気づきません。ひょっとしたらその男性が、その女性を幸せにできる唯一の男性であるかもしれないのに。女性にアタックできないのは弱さではなく、卑怯さであり、自己中心主義だとわたしは思うのです…。