Luna's “Tomorrow is another day”

生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ!

塀の中に閉じ込められた「秘密」の闇/文・保坂展人

2014年03月27日 | スクラップ

 

 

 

 

 


 衆議院で特定秘密保護法案の審議が大詰めを迎えている中、現在の社会の中でどのような情報が隠され、また取捨選択されているのかを考えさせるニュースがあります。

 

 獄中で無実・冤罪(えんざい)を訴える元プロボクサー袴田巌さんの新証拠が明らかになりました。1966年6月に静岡県のみそ工場の専務宅に侵入し家族4人を殺害した後で放火した事件の容疑者として逮捕され、静岡地裁で死刑判決を受け、高裁をへて、最高裁で死刑が確定しています。現在、第2次再審請求のやりとりの中で検察側が開示した当時の捜査記録の中には次のような記載がありました。

 

<同僚が事件当時、「(現場近くの)寮から消火活動に向かったところ、袴田(死刑囚)が後ろからついてきた」と証言していたことがわかった。確定判決は、事件直後に袴田死刑囚を見た者はいないとしていた。静岡地検が今年7月に開示した証拠130点の中に含まれていた>

 

 この同僚の証言は、「出火当時は寮で寝ていて、火事を知って消化活動に向かった」という事件当初の袴田さんの供述と一致します。これまでの確定判決では、「当日夜から鎮火まで袴田さんの姿を見た者はいない」としてきました。


 袴田さんは、逮捕されてから47年間、多くの時間を極限の緊張を強いられる確定死刑囚として東京拘置所で過ごしてきました。私は、1990年代後半に国会議員として法務委員会に所属していたことから、袴田さんの存在を知りました。そして、東京拘置所にいるはずの袴田さんを姉の秀子さんが訪ねても、面会できない状態が3年半も続いていることを知りました。法務省に袴田さんの状況を尋ねると、刑務官が面会者の来訪を告げても、「袴田巌はいない」と言って面会室に出ていかないことが続いていたといいます。


 当時、何度も法務省矯正局とやりとりをしました。「精神状態が悪いということも聞いている。一度、どうにかして袴田さんと会わせてもらえないか」と要望し、異例のことですが、2003年3月10日に東京拘置所で面会が実現しました。その日は袴田巌さんの67歳の誕生日でした。


 姉の秀子さんと弁護士と一緒に面会室で待っていると、ふっと扉が開いて、袴田さんらしき人が入ってきました。がっしりした体格で、元プロボクサーの面影がありました。ただ、眼光は時に鋭く、警戒も解いていないようです。私はこう話しかけました。

 

 保坂「元気ですか」
 袴田「元気ですよ」
 保坂「今日はあなたの誕生日ですが、分かります? 67歳ですね」
 袴田「そんなことを言われても困るんだよ。もういないんだから、ムゲンサイサイネンゲツ(無限歳歳年月?)歳はない。地球がないときに生まれてきた。地球を作った人……(意味不明)」
 保坂「ご両親についてお話したい」 
 袴田「困るんだなー。全てに勝利したんだから。」
 「無罪で勝利した。袴田巌の名において……」
 「神の国の儀式があって、袴田巌は勝った。日本国家に対して5億円の損害賠償を取って……」
 保坂「5億円はどうしたんですか」 
 袴田「神の国で使っている」
 保坂「袴田巌さんはどこに行ったのですか?」
 袴田「袴田巌は、智恵の一つ。私が中心になった。昨年儀式があった」


 (※詳細な記録は以下に転載)

 

 私は袴田さんの「妄想」の世界に向き合っていました。深い孤独と絶望によって、袴田さんは、「袴田巌死刑囚は全能の神に統合され地上から姿を消した。従って、もう死刑執行の心配はない。袴田巌はそうして日本国家に勝ち、5億円の損害賠償請求をしている」という物語の中にいました。そう考えてみるというのではなく、そのように思い込んで面会にも出てこないのだと感じました。強い拘禁症状のあらわれで、すぐにでも治療が必要な状態でした。


 10年間、袴田さんへの治療は行なわれませんでした。2007年2月には、死刑判決を出した静岡地裁の裁判官だった熊本典道元裁判官が、「捜査手法に疑問を持ち、無罪の心証を持ちながら先輩裁判官の合議で死刑判決へ押し切られてしまい申し訳ない」と異例の告白をする出来事もありました。ボクシング界にも支援の声が広がり、世界中に「袴田巌死刑囚」の名は知られるようになりました。

 

 私が袴田さんと面会した10年前、受刑者が塀の向こう側でどういう状態になっているのかが国会で問題となりました。刑務所内では、受刑者の「変死」が多く、医療的なケアが十分でないと聞き、私は何度か法務委員会で指摘したこともありました。


 当初、法務省は「各行刑施設で誰がいつ亡くなったかという一括した記録はなく、受刑者の記録を綴(と)じ込んである身分帳を刑務所の倉庫に行って、端から端までハタキとホコリを払いながら調べなければならない。数カ月はかかる作業で、すぐには困難です」と答えていました。


 ところが、大正時代の刑務所には、受刑中に死亡した受刑者の記録を「死亡帳」として綴じ込んだ記録があると記述されているのを見つけ、担当者に聞いてみると「現在も使用しています」との返答が返ってきたのです。


 衆議院法務委員会理事会でこの事実があらわになると、自民党の筆頭理事が激怒して、「あれは嘘(うそ)だったのか。全部記録を出してこい」と命令しました。国政調査権の事実上の発動で、私の事務所には刑務所内の受刑者の死亡にいたる一切の記録が段ボール10箱近く運ばれてきました。


 受刑者の死亡情報とは、故人の尊厳にも関わるセンシティブな情報だけに、個人名などは黒くマスキングされていました。


 それでも、その分厚いデータを精査すると、多くの受刑者が病院に移送されると24時間以内に死亡していることや、精神障害を抱える受刑者に対して治療的なアプローチができずに「懲罰房」の常連となっていることなどが分かってきました。


 この時、衆議院法務委員会では「刑務所・行刑施設問題」を集中討議し、明治時代の監獄法の運用を根底から改める論点を示しました。その結果、監獄法は廃止されて新しい法律(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律)ができました。


 明治以来続いてきた監獄法の密室の世界を国会が検証し、改善を求めたひとつの事例です。行政の判断だけで、すべてを隠してしまい、国会議員から尋ねられても平然と事実を語らず表層のみを伝える手法を続けていたのでは、百年経過しても何の変化も進歩もないことになります。


 「何が秘密なのか。それが秘密なのだ」とする官僚の判断のもとに、開示を求めても法的根拠をもって拒否できるという社会は、秘密保護という名の誤謬(ごびゅう)保護社会にならないでしょうか。特定秘密保護法の制定過程自体も「秘密」とされる今、自分がどのような「秘密事項」に抵触するとして刑事罰を受けるのか、捜査はもとより公判過程でも見ることができないという懸念もあります。憲法に連綿と記されている「被告人の防御権」の例外はありえないはずです。


 袴田巌さんの無実につながる新事実が、捜査機関の恣意的判断で半世紀あまり伏せられる社会に私たちは生きています。そのことを踏まえた国会での徹底した検証と議論が必要です。

 

 

 

 

 

 

朝日新聞 デジタル 2013年11月19日

 

 


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保坂展人 ‏@hosakanobuto ツイート

 

 

 
袴田巌死刑囚が生きた釈放された意味は大きい。「死人に口なし」を無言で期待していたのが法務・検察だ。過ちを認めず、精神を病んでいても、刑の執行停止も認めない。死刑執行は出来ないが放置する。そして拘留中に亡くなれば、社会的に忘れられる。袴田さんが生還したことの意味は大きい。

 

 

 

保坂展人 ‏@hosakanobuto ツイート 

 

 


さきほど袴田巌さんの釈放を伝えるTBSのニュースを見ていたら、10年前の東京高裁で再審請求が棄却された時、姉の秀子さんや弁護人と一緒に裁判所前を歩く10年前の私の映像が出てきた。たとえDNA型の不一致が出なくても、あの段階で再審を開始出来る十分な理由があったことを強調したい。

 

 

 


2014-03-28-fri.

 

 


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(※面会の詳細)





12年ぶり!! 弁護団と保坂衆議院議員と袴田さんとの面会が実現しました。
2003年3月15日号外(面会実現特別号) 

 

 

 

 

少しずつ重い扉が開きだした  保坂展人(社民党 衆院議員)

 

 今回、『次世代政治家活用法』という本を出しました。国会議員を6年やって、しんどいことも苦労もありますが、「議員でよかった」と思う瞬間が年に4~5回はあります。わけても、昨日は心底から「物事の本質」をこの目と耳で確かめるという体験をしました。東京拘置所に袴田巌さんという確定死刑囚を訪ねたのです。


   袴田さんは、元プロボクサーでした。一家を惨殺して放火したという容疑で逮捕されましたが、証拠もずさんで早い時期から冤罪事件であると救援運動が起きていました。死刑判決が降りてから、東京拘置所で確定死刑囚として無罪を訴えてきました。現在は、東京高裁に再審請求中であり決定を待つ身だが、彼の精神状態は異常だと言われてきました。なぜなら、弁護士とは12年間面会していない、実の姉ともこの7年で2度ほど、しかも数分間しか会っていないという異常さ、です。


   3年がかりで、弁護団や袴田さんのお姉さん秀子さんの訴えを受けた私は、法務省と交渉し、昨日ついに袴田巌さんに30分面会をしてきました。弁護士3人と秀子さんと共に会いました。袴田さんは「私は、全能の神である。袴田巌は、私に吸収されて消えた。彼は、世の中を汚染するバイ菌に死刑判決を出し、日本国と争って勝利した。死刑執行は彼が消えたことで出来なくなった」という妄想の世界を、一方的に語り続けました。


   なぜ、彼が「弁護士とも姉とも会わなかったのか」が、短い時間の中でよく分かりました。冤罪の身であるのに、司法は死刑判決を変えようとしない。いつ、やってくるかもしれない死刑執行の恐怖と戦っているうちに、自分の精神を変調させて妄想の世界の住人となったのでしょう。「東京拘置所は廃止して東京国家調査所と変わった。自分はその所長である」と袴田さんは語り続けています。


   逮捕から37年、袴田さんは拘禁され続けています。東京拘置所にも30年以上、寝起きしていて、昨日は67歳の誕生日でした。「今日、お誕生日ですよ」と声をかけると、「私は年齢、歳月は超越している」と答えました。姉を見て、「こんな顔の人は知らないな。どこのババアだ」と語る袴田さんが国家から奪われた精神の自由と恐怖の集積を思う時に、一日も早い再審の決定が待たれます。


   死刑執行などが出来る精神状態ではないかことは、誰が見ても明らかです。国会議員として確定死刑囚と面会できたのは、ひょっとしたら数十年ぶりのことではないでしょうか。昨日、土井党首に報告したら30年前に福岡事件の確定死刑囚と面会したことがあるそうです。


   死刑廃止推進議員連盟の活動を重ねてきて、少しずつ重い扉が開きだしたように感じました。

 

 

 

●面会記録●

 

 


日時:
 2003年3月10日 午後2時58分~25分
場所:
 東京拘置所 第11号面会室
面会者:
 保坂展人衆議院議員、袴田秀子さん、秋山賢三弁護士、岡島順治弁護士、小川央弁護士

 

 

 

 

   
 袴田さんはティッシュで鼻をかみながら入ってきた。袴田さんがストンと座ると、5人とも一斉に袴田さんをみたが、袴田さんはびっくりもせずにいた。

巌 「すごい風だなあ・・・・」

 秀子「今日は誕生日だね」

 巌 「・・・・・・」(きこえなかったようす)

 秀子「今日は3月10日で誕生日だね」

 巌 「(秀子さんを指さし)あんたの顔は知らない。知らない人だよ、この間も面会にきてたようだけど」
   (保坂さんに向かっても「知らない人だよ」といったらしい)

 秀子「(構わずに)ああそうだよ。この人は保坂さんといって国会議員、この人は秋山さん、弁護士さん。この人は岡島さん、弁護士さん。この人は小川さん、弁護士さん・・・」(といって全員を紹介)

   (巌さんはうんうんとかいっていた)

 保坂「元気ですか」

 巌 「元気ですよ」

 保坂「今日はあなたの誕生日ですが、分かります?67歳ですね」
   (以降、主に保坂さんの顔をみながら話していた。保坂さんに何かをきかれて、自分が答えるのがうれしそうだった)

 巌 「そんなことを言われても困るんだよ。もういないんだから、ムゲンサイサイネンゲツ(無限歳歳年月?)歳はない。地球がないときに生まれてきた。地球を作った人・・・(意味不明)」

 保坂「ご両親についてお話したい」

 巌 「困るんだなー。全てに勝利したんだから。」
    「無罪で勝利した。袴田巌の名において。・・・・」
    「神の国の儀式があって、袴田巌は勝った。日本国家に対して5億円の損害賠償を取って・・・」

 保坂「5億円はどうしたんですか」

 巌 「神の国で使っている」

 保坂「袴田巌さんはどこに行ったのですか?」

 巌 「袴田巌は、智恵の一つ。私が中心になった。昨年儀式があった」

 保坂「儀式?」

 巌 「儀式だ・・・宇宙・・・。全世界のばい菌と戦っている。(ばい菌に)死刑判決を下している。昨年1月8日まで袴田巌はいた、もういなくなった。1月8日に全能の神である自分が吸収した。中に入っていった。私の智恵の一つ。なくなっちゃう」」
   「ばい菌をころさんやいかん。ネズミが伝染病を持ってくる。人に入ってくる。ばい菌の菌のもと。」


保坂「今日はどうしていましたか?」

 巌 「今日は、やることはない。儀式の問題。今日は畳を替えると言われた。」
    (このあたりで巌さんの表情はだいぶほぐれてきていた・・・保坂さん談)

 保坂「袴田さんのお姉さんですよ。」

 巌 「分からない。女の人をボンボン機械で写す。」

 保坂「こちらお姉さんですよ。」

 巌 「袴田秀子(の顔)だということは分かっている。機械で写された。機械がうつしこんでつくった偽物だ。メキシコのババア。儀式の意思決定なので仕方がない。」
 (保坂さんと秀子さんは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。巌さんはまじめな顔をしていて、話の間まったく笑わなかった)

 保坂「機械じゃなくて本物ですよ。本物のお姉さんですよ」(大きな声で)」

 巌 「本物ではない。機械に書いてある。」「宇宙の機械。そういうことは宇宙の儀式で決まった。儀式でばい菌を殺すためだ。話はするが儀式だ。世の中あーだこーだ言っても儀式だから仕方ない。」


保坂「本や新聞は読みますか?」

 巌 「本や新聞は読まない。電波が飛んでくる。」

 岡島「娯楽は何ですか?」

 巌 「娯楽はない」

 岡島「テレビなんかは見てますか?」 

 巌 「テレビも1年くらい見ていない。時間がなくて忙しいのでみていない」

 保坂「ここはどこですか?」

 巌 「面会場、アキヤサン(アキバサン?)の面会場。富士山の下の御殿場にあったが、こっちに移転してきた。・・・・・・・」(保坂さんには「あきやさん」と聞こえ、秀子さんは「秋葉山(あきばさん)」と聞こえたという。ちなみに、秋葉山は火の神)

 保坂「なんでここにいるのかわかりますか?」

 巌 「神の儀式で決まった。死刑囚はしょうがない。死刑も廃止した。東京拘置所は廃止された。監獄は廃止した。東京国家調査所、オレは所長一番偉い。私は世界一の男だ。ばい菌が一つになった・・・1月8日死刑執行は拒否、いなくなった。袴田巌はいなくなった」

 保坂「あなたの名前は」

 巌「イジョウドウブン(イカドウブン?(以下同文)全能の神。)

 保坂「こちらにおられるのが、あなたの再審の弁護をしている弁護士の秋山さん。秋山さん聞きたいことがありますか?」

 秋山「再審請求は、もうすぐ高裁決定ですよ」

 巌 「そんなことはない。いやもうもう。もう完全に勝ったから、完全に統合しましたので、そんな話はしないでくれ。(袴田巌は)私の体の中に入って・・・」

 保坂「出してくれませんか」

 巌 「もういいんです。関係ないんです。」

 保坂「僕は国会議員で、袴田巌さんという人のことを国会でいろいろ質問したりしているんですよ」
 (巌さんはほーっといっていた)

 保坂「こちらは秋山先生という弁護士さんですよ。袴田さんの再審請求についてのお話があるんですよ。弁護団に言いたいことは何かありませんか」

 巌「そんな必要はない。監獄はなくなった。廃止された。東京拘置所はなくなった。東京国家調査所、所長・・・。死刑執行をできないようにした」
 「最大のタカがみんな食っちゃう。死刑執行はできないんだ。・・・・・」
  「一昨年まで袴田巌はいたが、神の国に帰っただけのこと。生きるものとしての闘い。ばい菌との闘い・・・・」
   「自分を殺すことは、自分ではできねー。」
   「監獄を廃止した。今は清算をしている。」
 
保坂「お金はどうですか」  

 巌 「お金をだせばシャバで使える。」

 保坂「誰が入れてくれるのですか?」

 巌 「家族が入れてくれる。」
 (秀子さんを指さして)
 「この人は別だ。このババアー。」

 保坂「食べたいものはありますか?」

 巌 「食べたいものはない。」

 保坂「運動はしてますか?」

 巌 「運動は歩いている。歩きながら、ばい菌がどうなっているか考える。」

 保坂「弁護士に言いたいことはありませんか?」

 巌 「せっかく来てくれたのに申し訳ない。」

 岡島「お母さんのことは覚えていますか?」

 巌 「袴田だという記憶がない。」

 保坂「医者はきますか」

 巌 「あーそういえばそんなような服装をしたのが時々くるけど、それももう廃止された。くそをくそにしてしまう。全能の神だから・・・」

 岡島「看守さんとは仲良くやっていますか」

 巌 「看守もない。俺が一番えらい・・・」


最後に(保坂さんが一同にもういいですね、と確認をして発言)

保坂「今日は、忙しいところどうもありがとうございました。また一緒にお話をきかせていただけますか」

 巌「どうかなー。おれも忙しいんだよ。」
 (袴田さんは自分で立ってさっさっとでていった。秀子さんがのぞきこんでみると、スリッパを履いているようだった)


最後に、書記役の職員がわざわざ秀子さんを呼び止めて(面会室の真ん中のアクリル版のところ、穴があいたところまできて)
 「今日はずいぶんたくさん話しましたね(よかったですね)」と声をかけてくれた。



巌さんの様子
   少し小太り、見た目は、50才後半から60才前半に見え、とても67才とは思えないほど若々しい。
 服装:上はブルゾン、下はズボンでこざっぱりした服装。
 髪型:白髪もほとんどなく、きちんと刈りあげてあっていた(五分刈り)。額はM字型にそり込みのようになっていた。
 手:赤ぼったい手、ふっくらしていた。
 顔:顔色は血色がよく、ほおもふっくらしていた。唇も普通の色で、血色もよかった(12月の方が赤かった)
 目:目はくぼんでいなく(秀子さんは自分をさして自分のようにくぼんでいなかったという)、落ち着いて人の顔をみていた。
 足:たったったっと歩いていた。
 表情):大まじめでにこりともしなかった。
 会話:何かいえばすぐに返答がかえってくる。声は大きな声、面会室ではこもっていたが、前回よりはききとりやすかった(秀子さん)
巌さんは身振り手振りをまじえて一生懸命話をしていた。

 

 

 


(袴田ネット通信 2003年3月15日号より引用)

転載はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

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