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国保税の広報の妨げになるWEB上のトラブルを書いてます。

240401 #izak #介護休暇 #甲27号証 #通院開始 #鈴木雅久裁判官

2016-12-30 22:58:50 | 指導要録
240401 #izak #介護休暇 #甲27号証 #通院開始 #鈴木雅久裁判官
ダミーブログにミスリード 要録偽造隠し

東京地裁の裁判記録から蒸発した証拠説明書。
三木優子 弁護士の証人尋問からも介護休暇については蒸発。
要録偽造についても、証人尋問から蒸発。
#中村良一 副校長の #介護ハラスメント

240401甲8号証 出勤簿(年度単位)
http://imgur.com/Yx3iQ8a
▼母の通院が多くなり、有給がどんどん減っていた。

240401甲26号証 休暇処理簿
http://imgur.com/nM0QdHH
▼有給は通院付添に使うだけだった。

240604 甲27号証 介護を必要とする意見書
http://imgur.com/uiYaLz9
▼5月末頃、長期の介護休暇の相談で企画室に行く。要介護3ならば、短期5日が取れる。越谷市の認定だけで良いと言われた。担当は、中村良一副校長と。

中村良一副校長に相談に行くと、医師の意見書を提出しろと言う。企画室長は必要ないと中村良一副校長に説明するが、出さなければ許可しないと言う。有給休暇を取って、意見書を書いてもらう。5日の介護休暇が欲しかったが、有給を取って意見書。中村良一の介護ハラスメントだ。

240624 甲7号証 三楽通院アンケート
http://imgur.com/AK2f3Uh
▼N母のストーカー行為、クラスの生徒は気付き、N母が壁の外にいると動作で教える。精神神経科は予約しないと診察できない。アンケートを記入し、予約して帰える。

240711のみぐすり袋 予約日に三楽通院
http://imgur.com/MqlPS6p
▼この頃は、有給がなくなったら退職と決めた。自分のことで有給を取ることはなった。N母が原告を辞めさせろと言っている。その通りになるのが辛かった。

240824甲27号証02 介護を必要とする意見書
http://imgur.com/BudfOCq
▼長期の介護休暇申請。ここでも、中村良一副校長は、介護ハラスメントを。

240927甲27号証03 介護休暇申請書
http://imgur.com/7THxBQB
#中村良一 副校長の #介護ハラスメント 企画室長は、添付書類は必要ないと言っていたが、出さなければ許可しないと。

240927甲27号証04 介護休暇申請書添付書類
http://imgur.com/WxwdeZD
▼見ると思い出す。だから、見なくて良いように弁護士に100万円。しかし、背信当たり前の弁護士だった。

7月8月と自分のことで一杯だった。母が夜泣きしても、放置してしまった日もあった。N母が、「辞めさせろ」と連呼しなければ、有給がなくなれば、辞めていた。お前ら、三木優子 弁護士を寝返らせて、勝った裁判だ。まだあきらめてはいない。一休みだ。

甲25号証 中村良一副校長から
http://imgur.com/SW8FTod
▼長期は必要だ。


240401 #izak #介護休暇 #甲27号証 #通院開始 #鈴木雅久裁判官
ダミーブログにミスリード 要録偽造隠し


280927 #izak #本人調書 #葛岡裕 #ベタ打ち版

2016-12-30 16:52:04 | 指導要録
280927 #izak #本人調書 #葛岡裕 #ベタ打ち版
読んでないので真偽不明。録音テープとの比較はさせない。
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

裁判所速記官 #持木みどり
裁判所速記官 #畑岡裕子

*************
裁判所書記官印 (本多香織)

証人調書
(この調書は,第13回口頭弁論調書と一体となるものである。)

事件の表示 平成26年(ワ)第24336号
期日 平成28年9月27日 午後1時30分
氏名 葛岡裕
年齢 58歳
住所 東京都北区十条台一丁目8番41号
   東京都立王子特別支援学校
宣誓その他の状況 裁判長(官)は,宣誓の趣旨を説明し,証人が偽証をした場合の罰を告げ,別紙宣誓書を読み上げさせてその誓いをさせた。
後に尋問されることになっている証人は在廷しない。

陳述の要領

別紙速記録記載のとおり

宣誓★せんせい★

良心★りょうしん★に従★したが★って真実★しんじつ★を述★の★べ,何事★なにごと★も隠★かく★さず,偽★いつわ★りを述★の★べないことを誓★ちか★います。

氏名 葛岡 裕


速記録(平成28年9月27日 第13回口頭弁論)

事件番号 平成26年(ワ)第24336号
証人氏名 葛岡 裕
被告指定代理人(荒井)
乙第25号証を示す
この陳述書は,指定代理人が証人からお聞きした内容を記載して,証人がその内容を確認した上で署名押印したものに間違いありませんか。
はい,間違いありません。
この陳述書の中でどこか訂正するところはありますか。
はい。1ページの大きな2番に「・」が2つあります。その2つ目の2行目に「通学区域内にある」というふうに書いてありますが,ここは正確には「通学区域在住の」というふうになります。
そのほかにはよろしいですか。
はい。
証人は都立葛飾特別支援学校の校長をされていましたか。
はい,しておりました。
それはいつからいつまでですか。
平成24年4月1日から平成27年3月31日までです。
平成24年4月に葛飾特別支援学校に入学したN君及びN君のお母さんを知っていますか。
はい,知っております。
N君のお母さんから,N君の一人通学指導について相談を受けたことがありますか。
はい,あります。
時期は覚えていますか。体育祭の前だったでしょうか,後だったでしょうか。
体育祭の後だったように覚えております。
授業参観との週の関係ではどうだったですか。
おおむね授業参観の週が6月の初めですので,大体一致していると思います。
どのような相談を受けましたか。
自分の息子がいずれ自立するときには,会社ないし作業所に一人で通わなければいけない。そのために高等部でも一人通学の指導をしてほしいが,担任に要望したところ,それを行ってもらえないというようなお困りの相談でした。
保護者の方が校長室に相談に来るということはよくあることなんでしょうか。
めったにありません。
そのときのお母さんはどんな印象でしたか。
非常にお困りだった,内容としてはそうでしたけれども,非常に熱心な親御さんで,お子さんの自立に向けて一生懸命に努力してるという,そういう点では立派な親御さんだなというふうに私は感じました。
口調や態度が威圧的だったようなことはあったでしょうか。
いや,そういうようなことはないです。
お母さんから相談があった後,N君の担任である千葉先生から事情を聞きましたか。
はい,聞きました。
千葉先生は,なぜN君の一人通学指導に消極的だったのでしょうか。
一人通学指導に関して,原告が,まず適切でないというふうに言っておりました。同じ学級の担当として,ある面で歩調を合わせたのではないかというふうに思われました。
N君の一人通学指導をするよう千葉先生を説得しましたか。
はい,私のほうは説得しました。
どのように説得をしましたか。
N君は高等部に上がる前の中学部の学校,別の学校なんですが,中学部の学校で一人通学指導をし,ある程度,電車に乗車をするというところまでの指導が進んでいたと。そういう指導が中学部で行われたならば,高等部で何もできないということはないだろうという考えに私は立っておりました。ということで千葉教諭には,一人通学をする場所が違うということもあるので,できることを計画的に,まず計画書を作って,それでできることを積み重ねていくような段階的な指導をとりなさいというふうに言った記憶があります。
説得した結果はどうでしたか。
千葉教諭のほうは,分かりましたということで,それだったらやってみますという回答だったです。
原告からも事情を聞いたでしょうか。
はい,聞きました。
原告は,なぜN君の一人通学指導に消極的だったのですか。
まだ時期尚早だというような内容だったように記憶しております。具体的には,まだ一人通学をするための能力,例えば左右が分からないんじゃないか。それから,危険を回避できないんじゃないか,突発的な行動があって危ないというような理由で,指導が適切ではないというふうに回答があった記憶があります。
N君の一人通学指導をするように原告を説得しましたか。
説得しました。
どのように説得をしましたか。
これも同じように,とにかく計画を立てるようにということを伝えました。スモールステップ,段階的に指導をするようにと,そういう内容だったように思います。
原告を説得した結果はどうだったでしょうか。
実際には,それは行わないということでした。
行わないことについて原告は何か理由を述べましたか。
・・・休憩時間に入ってしまうと。そうなってしまうと,それがボランティアに,職務じゃなくてボランティアになってしまうと。そうした場合に自分では責任が取れないというようなことを言っていました。
原告は説得に応じなかったということですね。
はい。
原告が説得に応じないままN君の一人通学指導を始めたということでよろしいですか。
はい。千葉教諭が親御さんと協力して行うということで進め始めたというふうに覚えております。
N君の一人通学指導計画は誰が作成したのでしょうか。
主幹教諭,生活指導担当の主幹教諭です。
原告は一人通学指導計画を作成しましたか。
いや,してないはずです。
N君の一人通学指導が千葉教諭を主体として始められたわけですが,N君の一人通学指導が始まってから,お母さんが相談にいらしたということはありましたか。
はい,ありました。
時期は覚えていらっしゃいますか。一人通学指導が始まってどのくらいたった頃だという。
1週間,2週間はたってないんじゃないかと,1週間ぐらい後じゃないかというふうに記憶しております。
一人通学指導が始まったのに,N君のお母さんは,なぜまた相談にいらしたんでしょうか。
1つには,一人通学指導を行ってて車と接触しそうになったことがあったと。そのことに関して親御さんは,危険な点を察知してそれを自分で回避ができたというように肯定的な見解を持ったものに関して,原告は,非常に危険なことがあって,もうこれはとても危なくて続けられないというようなことを言ったことに関して,そういう点では親御さんが肯定的,原告は否定的と,その見解に親御さんのほうは非常に残念に思っていらっしゃったと。そういう点も含めてですけれども,指導の点,そのほかの指導の点にも心配があるというようなことを親御さん,私のほうに話をしておりました。
N君のお母さんがまた相談に来たということについて,原告と話をしましたか。
話をしました。
(以上持木 みどり)
甲第2号証の1を示す
1と書かれているところに「担任から今井をはずせ」というふうな記載がございます。これはN君のお母さんがこのようなことを要望したということでしょうか。
はい。こんな乱暴な言葉だとは思いませんけれども,内容的にはこのようなことです。
N君のお母さんがこのようなことを要望したことに対して,証人はどのように応じましたか。
私は担任を替えることはできないというふうに話をしました。
証人がそのように説明しても,なお,N君のお母さんは原告を担任から外すよう,要望を繰り返すようなことがありましたか。
担任を替えるというようなことに関してはこだわっておりませんでした。原告の指導から離れることができるというようなことを要望していましたので,例えば,N君を別のクラスに入れてほしいというような要望を改めて出したというふうに私は覚えております。
甲第15号証を示す
1枚目の0621と書かれているところの下に,質問1,質問2というのがあります。この質問2について読み上げます。「0621(木)連絡帳の連絡事項に書いて答える。『ご質問にお答えします。『ボラ』『事故』について,休憩時間中に事故が起きたときの責任は誰が取ることになるかということです。担任がボラとしてやっていて,責任を取ることになるのかということです。休憩時間を別にとり,業務であるので,責任は学校にあるということで解決しました。また,『組合としてはそうでしょうが』ということに対して,私は組合員ではありません。」ということが証拠に記載されています。N君の連絡帳に,これと同じことが記載されているのを見たことがありますか。
はい,見たと思います。
原告は,なぜ,このようなことを連絡帳に書いたのでしょうか。
原告は,もしかすると親御さんのほうから訴えられるのではないかということを心配していました。そのためにちゃんとこういうやり取りを,何らかの共有のもので残しておくというような理由からだったと思います。
連絡帳にこのようなことが記載されているのを見て,証人はどのように思いましたか。
私はとてもやっぱり残念でしたし,親御さんは非常に苦しいだろうというふうに思いました。といいますのは,これまで私も教員をしていまして,親御さんにとってこの連絡帳というのが成長の記録というんですか,いいことばかりじゃないかもしれないけれども,子供のそのときそのときの成長の様子が現れる,だから大人になってからそれを見返す楽しみがある,というふうに思っていらっしゃる親御さんが多いので,大人どうしの何らかのトラブルがそこに書かれているということに関しては,非常に嫌っているお母様,お父様が多かったです。そういう点では,非常にお母様はつらかっただろうなというふうに思います。
N君のお母さんが学校に対して,通知表の担任欄から原告の氏名を外すように要望したことがありますか。
あります。
N君の通知表の担任欄から,原告の氏名を外しましたか。
外しました。ただ,通知表といいましても,一般的に学期の終わりに成績が全部載るような通知表とは違いまして,それはそれでまた別にあります。これは公簿でもありませんし,学期ごとに所見のようなA4,1枚程度の紙のところに,一番下のところだったと思うんですけれども,担任名を書き入れる欄があります。そこの名前を主担任のみにしたということになります。
原告の氏名を外したのはどうしてでしょうか。
お母様がこれまで,1学期間ですけれども,入学して期待をしていた内容と大きく違ってしまったと。そのことに対して学校のほうでも努力をしてきたんだけれども,どうしても担任との関係がその段階で修復できないような状況だったと。そういう親御さんの気持ちというものをまず踏まえる必要があるだろうというふうな判断で,私は担任の名前を記さないということを決定しました。
続いて,授業観察について伺います。原告の授業観察を行ったことはありますか。
はい,あります。
授業観察を行ったのはどうしてでしょうか。
授業観察は管理職として必ず行わなければいけない役割です。それは授業力を高めるということもありますけれども,正常な学級運営,学級経営が行われているかどうか,施設の安全確認等も含めて管理職として行わなければいけないことです。ただ,今回は,親御さんのほうから心配な点があるというようなお話もありましたので,そのことを,現場を見ないで何らかの判断をするというわけにもいきませんので,そういう意味では早めに授業観察を行いました。
乙第25号証を示す
5ページ目の5行目の後半に「母親の心配(原告が後戻りの指導をしていること)」とあります。後戻りの指導とはどんなことでしょうか。
子供の成長,発達に関して,環境だとか教育的な計画というものはとても大事です。そういう意味で自立した生活をしていくためには,私たちの支援をできるだけ少なめにする。何をしたらいいかということはきちっと理解させるけれども,具体的な支援をできるだけ少なくしていくということで子供たちは力をつけてまいります。例えば,目的の場所に行くということに関しては,その目的の場所が分かって,自分で行けるんだったから,自分で自立して行けるようにそれを促していけばいいんであって,ただそれを,例えば手を引っ張って連れていってしまうとなると依存になってしまうんですね。今までせっかく自立をする教育を実行して,それが力になったというところが,また次の学習が不適切だったために元に戻ってしまう。できたことができなくなってしまう,そういう意味合いです。
原告がN君の手を引っ張って歩くようなこと,後戻りの指導をしているということは,現認されたのでしょうか。
私は現認してません。
何かそういうことがあったということを聞いたことがありますか。
登下校のときに一緒に行動する方から,最近よく手をつないでほしいというようなそぶりをN君がするということが報告されまして,校内では副校長が,原告がN君に対して手を引っ張って指導をしているという現場を見たということを聞きまして,間違いないだろうということを思いました。
原告代理人(辛嶋)
まず,N君の母親との接点についてお伺いします。N君の母親と最初に直接話をしたのはいつですか。
直接話をした,例えば挨拶などは玄関のところでしますので,何か直接要望等を聞いたというのは6月の初めになります。
5月の中旬頃に,要望等を聞いて話すことはありましたか。
5月の中旬というと,体育祭前なので,多分そのときはまだ何か要望を聞くというようなことはなかったように覚えています。
では,6月以降に,具体的にどのような会話がなされたか記憶していますか。
具体的に対話というか,まず親御さんのほうの要望がありましたので,一人通学の指導をしてほしいけどしてくれないんだというようなことで,どうにかしてほしいという要望を受けています。
あなたはN君の母親とのやり取りについて,手帳やメモなどに記録をつけていましたね。
手帳というのは私は使っておりませんので,1日のスケジュール帳というのを使っておりました。そういうものには何かしら行ったこと等は書いてあるとは思います。
それは毎回,そのスケジュール帳に,N君の母親が話した内容について記載していましたか。
毎回かどうか・・・というのは,必ずその場に置いてあるとは限らなかったものですから,そのまま口頭で聞く場合,それから立ち話のようなものももしかするとあったかもしれません。
この訴訟が始まってから,被告側は,あなたの手帳,恐らくそのスケジュール帳だと思うんですけれども,その開示というのを一貫して拒否しているんですが,あなた自身としてもそうした書類は裁判所に出したくないという意向ですか。
スケジュール帳というか,A4,1枚の紙で1日分なんですね。そういうのはもう年が終われば処分してしまいますので,もう学校も替わっております。
あなたは,黒い表紙の手帳なり,スケジュール帳なのかは分かりませんけれども,ノートみたいなものに,N君の母親とのやり取りを記載していたのではないですか。
覚えがないです。
陳述書に,N君の母親が,原告にモンスターペアレント対策の研修を受けるように勧めてほしいといった旨の記載がありますが,まずこのような研修があるのですか。
私は分かりません。
乙第25号証を示す
4ページ目に「『モンスターペアレント対策』研修を受けるよう勧めて欲しい」とありますね。このような事実はあったということでよろしいですね。
これは何かで読んだことがあります。
N君の母親がこのような要望をした趣旨をどのように理解されましたか。
原告との信頼関係がもうないような状況だというふうに私は考えました。
N君の母親は,自分のことをモンスターペアレントだと認識していたのですか。
自分のことを認識していたんではなくて,そういうような気持ちになっているということじゃないんでしょうか。モンスターペアレントというふうには,私からするとそういうふうには全く思いません。
N君の母親と,モンスターペアレント関係の話を,ほかにも何か行った記憶はありますか。
ないです。
N君の母親は学校に対しても様々な要求を行ってきたと思うのですが,N君の母親の印象というのは率直に言うとどのようなものですか。
様々な要求というよりは,ごく普通の要望だというふうに考えております。ということで,非常に熱心な親御さんで,お父様が亡くなられたということで,自分1人で自立をさせようと非常に熱心に指導をされて勉強もされていた方です。
一人通学指導の開始についてお伺いします。N君の母親が求めていた一人通学指導の内容は,概ねどのようなものだと理解していましたか。
決して一人で自宅から学校までというようなことではありません。ただ,今まで培った力が減っていかないように,とにかく今できることを一歩でも進めたいと,担任との連携をとってそういう指導が前進するようにというような気持ちだったと思います。
あなたがN君の一人通学指導を開始すると決めたのはいつですか。
最初の要望があったときですので,6月の上旬くらいですね。
では,それをN君の母親に伝えたのはいつ頃ですか。
私が伝えたかどうかは分からないんですけれども,その1週間,2週間後くらいにはもう指導が始まっていますので,もう一,二週間後には伝えている。必ずしも私が直接伝えたかどうかは何とも言えませんけれども,親御さんと千葉教諭のほうで進んでいます。
原告にはいつ頃伝えましたか。
同じくらいの時期だと思います。
一人通学指導を開始することを決めた最大の理由は,あなたの言葉で言うと何ですか。
中学部のときにある程度の通学指導ができていたと,本校でもできるところがあるのではないかと,できるところを進めていくことによってまた道は開けるというふうに考えてました。
あなたの陳述書には,千葉教諭へ一人通学指導の開始を説得した際,完全な一人通学でなくてもよいことを伝えたとあるのですが,この完全な一人通学でなくてもよいことというのはどのような意味ですか。
完全なというと,一人で自宅から学校まで登下校をすると。そういうところまでは求めていないよということです。例えば,学校からバス停まで自分で行けるようになるということも,そのお子さんの目標になっていきますし,できることを進めてほしいということです。
N君のお母さんは,作業所への一人通学ができるようになることを目的としていましたね。
はい。
あと,学校の教員の中で,N君の心身の状況を最もよく把握していたのは誰だと思いますか。
担任だと思います。
それは千葉教諭ということですか。
千葉教諭であるし,原告だというふうに思います。
千葉教諭は,N君の一人通学指導の開始に反対していましたね。
はい。
あなたはそれを受けて,一人通学指導は難しいと判断したのではないですか。
いや,そういうふうには判断してません。
一人通学指導の開始を決めたとき,N君が安全認識を獲得しておらず,飛び出し行為があるということは知っていましたか。
私はそういうふうにはつかんでおりませんでした。安全に対して認識がないとか,飛び出し行為があるといっても,飛び出し行為というのはその周りにいる人とか環境によって変わってきますので,十分指導は可能だというふうには思っておりました。
とすると,飛び出し行為があるということは知った上で,それは対策可能だというふうに判断されたということでよろしいですか。
はい,そうです。
N君は当時高校1年生で15歳だったと思いますが,コミュニケーション能力の向上や安全認識の獲得のための学習期間は二,三週間程度で足りると考えていましたか。
コミュニケーション指導に関してはもう小学校のときから積み上げてきたものがあるでしょうから,その引継ぎ等もしていますので,継続した指導をすればいいというふうに考えておりますし,安全指導に関しても,その環境をどう作っていくかということ,本人より周囲がどういうふうに対応するかというのが大事になってきますので,その点だけコミュニケーションが周囲の者ととれればいろんな指導が可能になってくると思います。
N君の一人通学指導を実際に行ったのは,いつからいつまでですか。
6月の中旬頃からその後。
卒業までですか。
卒業までいってると思いますね。
指導が終わったとき,N君は一人で通学ができるようになっていましたか。
一人で通学というのはどういうことでしょうか。
教員が付き添わなくても通学ができるような状況であったかということです。
それは,どこまでかということははっきり覚えてませんが,自分の家まで行くとかっていうことはなかったと思います。後ろから見守りが必要な点はあったと思います。ただ,一人で歩く距離は相当長くなったというふうに私のほうではつかんでおります。
N君の一人通学指導を千葉教諭が6月から開始したとありますが,これは毎日指導は行っていたのですか。
申し訳ない。毎日かどうかっていうのはちょっと私は何とも言えないんですけど。継続して行わないとこれは意味がありませんので,できるだけ毎日に近い形だったというふうに,そういうふうにしたと思います。
N君の進路はNPO法人あおぞら会就労支援センターファンタジアという,作業所と思われるところなんですけれども,N君はここを短期間で退所していまして,その退所の事情等は御存じですか。
いえ,知りません。
一人通学指導を開始することで,一人の教員に負担が掛かるとは思いませんでしたか。
担任の役割というところでは主になってやってもらう必要がありますけれども,必ずしも全て1人で負わなければいけないということではないです。
態勢作りが必要だとは思いませんでしたか。
態勢作りがあってもそれはいいと思います。
あと,連絡帳に関して,原告が親から訴えられるのを恐れているということを知っていましたね。先ほどの話で出てきたのですが。
訴えられるかもしれないということは言っておりましたが,現実問題として,親御さんが担任を訴えるということは実際にまだ経験が私もありませんので,それが本心なのか本心でないのか,私も何とも判断がつかないところです。
では,その点について,原告側の立場に立って考えたことは特にないということですね。
原告側の立場になって考えれば,そういうふうに親御さんが言われたときに,本当に何と思うかですよね。できることならば,それだけ親御さんがつらい思いをしているということを・・・。
乙第27号証を示す
一人通学指導計画ですが,この作成指示を出したのはあなたですか。
最終的には私ですけれども,副校長のほうから指示が出ていたと思います。
誰に作成するように指導されたか御存じですか。
生活指導担当の主幹教諭です。
この内容をあなたが把握されたのはいつですか。
時期は覚えておりません。
原告に一人通学指導の開始を求めましたか。
はい,求めました。
原告は実際に行いましたか。
行っていないと思います。
あなたは,この乙第27号証の内容のとおり,通学指導を開始する予定だったんですか。
計画書ですので,そのとおりにいかないといけないですね。
次に,授業観察や面談についてお伺いします。7月4日の面談で,N君の保護者が教育委員会や外部の機関に相談に行くと言っているが,それは一旦こちらで引き取り,代わりに私があなたの授業観察をして指導していくことになったと原告に説明しましたか。
そのような内容のことは話したと思います。
なぜ,教育委員会等への相談を一旦預かったのですか。
親御さんの要望としては,それを一旦まず管理職が受け止めるということは常識かと思います。
教育委員会へN君の母親が相談に行った場合には,あなたの学校長としての評価に影響があるとは予想していましたか。
そういうことは考えておりません。
授業観察は毎日行っていたということでしたが,1日に1回でしたか,それとも複数回でしたか。
すいません,原告のということですか。
はい。
毎日はできていないと思いますね。
授業観察を行った期間は,7月4日以降,夏休みに入るまでの期間ですね。
ごめんなさい,その時期は覚えておりません。
あなたが学校にいないときは,誰が授業観察をしていたのですか。
必ず毎日するというものではありませんので,大体週に一,二回,それでも多いくらいですので,いないときはいないで済ませていたと思います。
では,ほかの教員が授業観察を行うこともありましたね。
それはありましたね。
それらの教員と情報の共有はしていましたか。
それは,できるときとできないときがありました。
ほかの教員と話したときに,原告に問題があるという指摘はありましたか。
授業観察に関してはなかなか問題というのは出にくいところで,特にその授業観察でどういう問題があったかということに関しては,私のほうでは何か出てきたというふうには覚えておりません。
授業観察を行った目的ですが,N君の母親の要望について事実関係を確認するという理解でよろしいですか。
それだけではないですね。授業力の向上も含めて,親御さんに学校がやはり何か動いてくれているということを示していかなければいけなかった。それに関して,きちっと回答もしていかなければいけないので,現場をきちっと見るようにしていました。
では,N君の母親に対して,学校が動いているということを見せるという目的もあったわけですね。
それはあります。主目的というわけではないですけれども。
目的が幾つかあるとは思うんですが,それらの目的は果たせましたか。
全部果たせたというわけではないですね。
N君の母親に,授業観察で得た情報を伝えていましたか。
得た情報,必要なことは伝えたはずです。
どのような形で伝えていましたか。
どのような形・・・。
例えば,会った際であるとか。
それは会ったときだと思います。特別に校長室に出向いてということではなかったです。
面談は毎週行われていましたね。
毎週行われていたかどうかはちょっと記憶にありません。
一度の面談に掛かる時間はどの程度でしたか。
親御さんとの面談ということですよね。
違います。原告との面談ですね。
原告との面談。じゃあ,いつの面談ですか。
授業観察を開始した後に,原告と毎週面談を行っていたと思うのですが。
授業観察の後に毎週・・・私はそういう記憶はないです。7月の末から夏季休業中に面談をしたのは,週1回やってました。
毎週行う必要性はありましたか。
ありました。
それはどのようなものですか。
やはり適切に親御さんへの信頼回復ということができるように,それはやはり学校が,担任もそうですし,管理職もそうですけど,きちんと示していく必要がありましたので,そのためには具体的に教材作り等でしたけれども,そういうものが確実にできているかどうかというのは管理職が把握する必要があると考えました。
次に,原告がN君と手をつないでいたという話についてお伺いしますけれども,そのことが問題であると原告に直接伝えたことはありますか。
私が伝えたかどうかっていうのはちょっと覚えがありません。
では,ほかの副校長らが伝えたということはありましたか。
誰かは伝えていると思います。
校外学習の際に,N君が興味のある対象に突然走っていってしまうというエピソードがあるんですけれども,手をつながないという指導も絶対的なものではなくて,適切な状況判断が必要になるのではないですか。
適切な状況判断は必要だと思います。飛び出さないように指導するためにはですね。
次に,課題作成についてお伺いします。課題作成は,N君の母親の要望に基づくものではありませんね。
はい。
これは誰の発案ですか。
私又は副校長です。
作った課題について,N君の母親に報告しましたか。
ちょっと報告したかどうかは覚えてないですね。
では,課題はどのように活用したのですか。
課題はちょっと私どもが期待していたものとは違いました。コピー等をしたプリント教材だったというふうに記憶してます。
ここの教材の中には,オリジナルのものが含まれていたということは御存じでしたか。
いや,私は目に留まりませんでした。
N君の母親と原告との信頼関係の破綻は,原告の指導力不足が原因という考え方ですか。
原告の指導力不足,そうではないとは言いませんけれども,生徒や保護者に対しての教育の意欲というふうに私は思っております。
その点について,原告に指摘したことはありましたか。
ありました。
あなたは原告の指導上の問題点について,原告に特段大きな問題があるとは思えないというふうに思っていたのではないですか。
指導上の問題点という点では幾つか指摘されていることが出てきましたので,手つなぎだとか,あと日常生活指導の点でも。それから,机間指導のやり方にしても,やはりベテランでしたらもう一歩,メインのティーチャー,千葉教諭がリードしているところをうまくフォローができるのではないかというふうには思っておりました。
授業観察や課題作成によって,N君の母親の信頼を回復することはできましたか。
課題作成ではできなかったというふうに覚えています。
あなたが長年教育に携わってこられた中で,担任の名前を通知表から外すことはありましたか。
担任の名前を,通知表という言葉を使うかどうかなんですけれども,A4,1枚で学期末に配るものですので,それに関しては今まで抜いたことはありませんでした。
今回は極めて異例な事態だったと言えますか。
初めてのことでしたね。
原告が体調を崩していることはいつ知りましたか。
はっきりした時期は覚えてないです。7月だったと思いますね。
これに対して,何か措置をとりましたか。
本人が休暇を申請するということでしたので,その点に関しては副校長のほうが対応することになっておりました。
あと,葛飾特別支援学校の話ではないのですけれども,
乙第11号証の1,2を示す
これは今まで訴訟が始まってから御覧になったことはありますか。
はい,ありますね。
これが2枚に分かれている事情について,どういう事情で書式変更がなされたのか御存じですか。
これは本校の指導要録ではないので何ともこれは言えませんけれども,ちょうど今まで紙に書いていた指導要録がデータで保存されるということになって,本来だったらこういうふうに分かれる前にこちらに3年のが入るのが適当ではないかと思います。
乙第24号証の1を示す
この事務連絡に基づいて,書式変更がされたということになりますか。
ごめんなさい,これがどういう内容だか,ちょっと・・・。
学校長の立場からすれば,保護者から不満が上がってくる教員というのはどのような存在ですか。
どのような存在というよりも,一緒になって親御さんや子供たちの教育サービスに努めなければいけないので,いい方とか悪い方とかってそういう問題ではないというふうに考えています。
原告代理人(三木)
課題作成について,内容が期待したものとはかなり違ったと今おっしゃいましたけれども,期待と違ったというのは原告に伝えましたか。
いや,それは私からは伝えておりません。
伝えなかったのはなぜでしょうか。
彼自身の健康面だとか精神面だとかそういうことを考えると,もう率直に何でも言えるという状況ではなかったということです。
面談というのは,指導力が不足しているから,学校長らで指導していく必要があるという御説明もありましたね。
はい。
そういった中では,例えば期待と違う内容があったときには,それを指摘して指導するということが目的だったのではないでしょうか。
そういうことも必要だと思いますけれども,そこで何でも頭ごなしに,駄目,駄目というようなことが言えるような状況ではなかったというふうに私は判断しています。
あなたが面談で行っていた内容で,原告の指導力を向上させるための行為というのはどれだったというふうにお考えですか。
課題作成に関しての説明をしてもらいまして,そういう説明が適切にできるかどうかと,そういうのを私のほうで考えていたという記憶があります。
裁判官(川北)
乙第27号証を示す
指導計画ですが,1枚目にステップ1からステップ5でそれぞれ学校の支援というのが書かれていると思うんですけれども,これを今井先生が1人でやると仮定した場合に,物理的にはどれくらいの時間が掛かるんですか。
まずは,1番からですので。
ステップ1をやるとして,そのときには物理的に何分くらいが想定されるんですか。
1ですと5分から10分ですし,仮に4までいったならば15分くらいではないかというふうに思います。
帰宅のほうも,同じだけの時間ということになるんですかね。
そうですね。
一人通学指導をした場合は物理的にはその時間が掛かると思うんですけども,それ以外に追加で何かしなければいけない業務とかそういうものっていうのは,何か想定されるものはありますか。
この一人通学指導でということですか。
そうです。
基本的にはないですけれども,例えば途中で具合が悪くなった生徒が近くにいたらとか,それともその本人が何らかの体調を崩したりとか,忘れ物があったとかっていうのがあれば,そんな突発的なことに関しては何かプラスアルファになることはあるかと思います。
先ほど,一人通学指導をするとしたら,学校として何か支援態勢みたいなものを整備することもあり得るかもしれませんというようなことをおっしゃったと思うんですけれども,例えばどういうものが考えられるんですか。
例えば,基本的にはこれは担任が行うものなんです。ただ,担任ができないのならば,例えば部活動指導があるから担任が毎日はできないよというのであるならば,学年主任ができないところの日にちを補っていくだとか,できないところは組織的にできるように計画を立てるということです。
あなたが認識している限りでいいんですけど,いわゆる登下校そのものの時間帯に,今井先生がこれをしない場合には,何をしているということが想定されるんですか。
これをしない・・・。
つまり,一人通学指導をするとすると,8時30分の間は見守りのために外に出て見守るという作業をすることが想定されますね。
はい。
これを導入する前は,当然そういう業務はしてないということになると思うんですけれども,そうすると,その時期は今井さんは何をしているんですか。
授業の準備になるんじゃないでしょうか。それとも,出勤の時刻ですので,出勤が何時に来るかによって,ぎりぎりに来る場合だとか余裕を持って来る場合とかによって違います。
何か決まった固定的な業務がこの時間帯にあったとか,そういうふうな認識ではないということですね。
そうですね,はい。
裁判官(鈴木)
実際にN君に対する一人通学指導なんですけれども,この後,千葉先生が7月あるいは2学期以降も行ったという話なんですが,ほかの先生というのは千葉先生のバックアップをしたのでしょうか。
ほかの教員に関してするとすると,学年主任と主幹教諭ですね。実際にどういうふうに入ったかというのは私のほうには報告等はありません。
逆に言うと,何曜日は誰で,何曜日は誰みたいな感じに決めているのではなくて,先ほども最後におっしゃったように,基本担任が行うんだという理解でよろしいですか。
基本は担任が行います。ただ,特別な事情があって,もう原則を何らか組織的にやらなければいけない場合には書き入れることになります。
N君の場合はどうでしたか。
担任で行うというような計画だったと思います。
一人通学指導の計画をまず原告に命じたんだと思うんですけれども,その次に,千葉先生にも命じたんですか,命じなかったんですか。
千葉教諭には個人で話すというような形では命じてないですね。
実際に作ったのは主幹教諭という話なんだけれども,なぜ同じ担任でありながら,今井先生には命じて,千葉先生には命じないということだったんですか。
基本的に私たちが指導する場合には,同性介助,同性の指導というのを原則にしています。そういう点では,男性の生徒に関しては男性の教員にこういうことをしなさいということを私のほうでも言っています。
でも,それは排せつとかお着替えの話で,通学指導計画の立案なんて,主幹教諭も恐らく中村先生で女性なんじゃないですか。
はい,主幹ですので。
中村主幹というのは女性だし,千葉教諭も女性だから,そこで性別の話はあんまり問題にならないと思うんですよ。基本,担任がやれっていうんだったら千葉先生に言ってもいいのかなと思うんだけれども,その辺は何か説明できますか。
出てこなかったので,主幹教諭のほうに指示をしておりますので,それはやむを得ない状況ということで,できるだけ早く作る必要があったので中村が作成するように指示しました。
N君のお母さんが校長室に来たりしたことがあったと思うんですけれども,夏休みに入った後もそういうことはあったんですか。
いや,なかったように思います。
2学期以降は。
校長室で話した覚えはありません。
じゃあ,立ち話でもいいんですけれども,先ほどこれほどの強い口調じゃなかったというお話だったと思うんだけれども,担任から外せとか,研修を受けさせろとかいろんな要望があったと思うんです。そういう要望というのは,いつ頃やんだんですか。あるいは,あなたあるいは誰かが何をしたらやんだんですか。それとも,卒業までやまなかったんですか。
いや,やみました。というのは,N君に対して原告が指導をする場面を減らしていく,ないしはそうしないで済むような課程を作っていくということで,別の環境で指導を進めることによってそういう困ったということはなくなりました。
そうすると,ある意味,N君のお母さんと今井先生を引き離したという作戦というか対応をとったんだと思うんだけれども,先ほど一方で,夏休みには,N君のお母さんからの信頼を回復するために,今井先生あるいは学校がという中で毎週の面談であったり教材作成というものがあったんだけれども,離すのであれば,もう少なくとも今井先生の信頼という先生本人のほうは問題にならない気もするんだけれども,その辺の課題作成,あるいは面談の目的,目標は何だったんですか。学校の信頼だけなんですか。
いえ,そうではないです。やっぱり,本人がこれから教員として続けていくために必要な資質というのを高めていかなければいけないわけですから,そういう点では管理職が指導をするのは当たり前のことだというふうに思います。ただ,親御さんを苦しめないようにしなければいけないということは私のほうでも思っていましたので,もう7月の末の辺りでは,一緒にいるような場面を作らないことが本当に一番望ましいというふうに思いました。これ以上悪化させることは大変なことだと思いましたので,そういう点ではできるだけ原告とN君を引き離すような形をとりました。
先ほど,夏の面談では,もう率直な話ができるような状況じゃなかったというふうにおっしゃったと思うんだけれども。
率直な話。
原告との関係で。それはどういうような状況からそう思ったんですか。
例えば,連絡帳でのやり取りだとか,実際にはそれで親御さんのほうからは手紙でというようなお話がありましたので,その手紙のやり取りだとか,それがかみ合ってないのがよく私のほうでは分かりましたので,そういうところから判断してです。
連絡帳のやり取りは6月下旬だったと思うんだけれども,先ほどあなたは,夏休みの原告に対する指導に関しては,もうその時点では率直に何でも言えるような状況ではなかったと,原告のことをそういうふうに言ったんだけれども,それがなんでかなというところなんですよ。N君の母との関係で原告がというのは分かるんだけど,あなたが原告に言うことに対してどういう問題があるのかがいまいち分からなかったんです。
私は管理職ですので,これまで保護者等の要望等もありましたから,教員に関して何らかのフォローをしていかなければいけないことに関しては,引き続き指導していかなければいけない立場です。
さっき,教材で学習3班をやってきたら,それが求めているものと違ったという話だったから,じゃあ学習1班でやれというふうに言えばいい話だし,プリントの切り貼りだったら切り貼りじゃいけないというふうに言えばいいと思うんだけれども,先ほど聞いたように率直に何でも言えるような状況じゃなかったというから,なんでなのかなというところなんです。
それはその場での彼の様子からの判断だったというふうに私は思いますけれども。
どういう様子,怒ってた。
怒ってはいないですけれども,具体的にそれがどういう表情だったかというところまでは覚えてないですけれども,そこのところでは言えるような状況ではなかったと。とにかく一応やってあることが,こちらが求めているものではなかったけれども,やってあるということが重要かなというふうに私は判断しました。
その時点では一応やったから,指示には従って,課題もちゃんとやっているねという話なんですか。
課題をやってくれというか,やっぱり課題をやることがまず第一ですので。
甲第5号証の2,甲第5号証の3を示す
こういった書面で,保護者からの信頼を失った原因は何かとか,何をしなきゃいけないかとかっていうものを求めた記憶はありますか。
ごめんなさい,この書面は何でしょうか。
甲第5号証の1を示す
こういう書面に記憶はありますか。
こういう書面・・・。
記憶になければないでいいです。
ちょっと,今ないですね。
裁判長
千葉教諭は経験年数は何年くらいの方なんですか,当時。
10年以上というふうな記憶があります。10年で研修をするんですね,その研修をやっている時期だったと思うので,お子さんを育てるための育児休業なんかを取っている関係で本当は職歴は10年以上なんですけれども,実際に実務としては10年ですね。
だから,N君の一人通学についてですけれども,中学部でどこまでできてたかというのは,どういうふうに情報をとりましたか。
私は中村副校長から情報をもらいました。中村副校長が以前,N君の学校の教員をしていたということで,情報が入りやすかったようです。それから,一人通学の指導計画がステップ1から5まであるわけですけれども,最終的に卒業時にはステップがどこまでいってたかというのは記憶にありますか。
ないです。
原告代理人(綱取)
授業観察についてですが,その観察した頻度については,大分原告の認識とあなたとでは差があるようなんですが,あなたのほかにも中村副校長,それから女性の中村教諭ですか,それから飯田教諭が授業観察をしていたということは御存じですね。
報告では聞いています。
それはあなたの指示によるものではないんですか。
・・・・・。
自発的にやったんですか。
基本的には私,私ができないときは副校長がやりますので,私と副校長ができないようなことがあれば,主幹教諭,主任教諭というのがやる場合があります。
それはあなたがそのように指導したということですね。
私が指示したかどうかはちょっと覚えてないですけれども。
あなたはしてないの。
それは覚えてないです。
あなたか中村副校長が観察できないときには,中村教諭,それから飯田教諭が授業観察をしなさいというような指示をしたことはないんですか。
ちょっと覚えがないです。
記憶がないと。
はい。
授業観察で観察する内容といいますか,何を観察するんですか。
まず,私たちが一番見るのは授業力を観察するのが基本なんですけれども,教室環境だとか,ペアで組んでいる担任のそのコミュニケーションだとか,適切な言葉の表現をしているかどうか,不適切な何らかの指導がないかどうかというのをもちろん確認します。
それで,あなたが観察した中で,原告について何か指摘できるというか感じたことはありましたか。
厳密に言えば,感じたことがないって言ったらうそになりますけれども,大きな問題点があったというふうには思ってないです。授業観察では。でも,授業観察というのは,なかなかそういう何か大きな問題というものが現れる場では実際はないですね。
それじゃ,中村副校長あるいはほかの教諭の方々から,授業観察についての報告は受けてましたか。
報告は受けてないと思いますね。
受けないんですか,受ける必要がなかったんですか。
どういう点を主幹教諭と主任教諭から聞いたかというのが,ちょっと私のほうでは覚えがないので。
それでは,そのような授業観察が,このN君の母親との信頼回復にどのように役立つと考えていたのですか。
まず,母親が今要望していること,基本的には担任との関係で適切な指導を行ってほしいというようなそういう要望に関して,それができている環境なのか,できてない環境なのかというのをまず確認することによって,その保護者自身がどうにか学校が動いているということを理解できるんじゃないかというふうには思いました。
今言ったような観察の内容が,N君の母親との信頼回復に役立つと思いましたか。
信頼回復に役立つかどうかというのはそれは何とも言えませんけれども,できることをやっぱりやっていかなければいけない,そこで何か指摘する点が見付かったらそれを指摘することによってそれを改善する必要がありますので,そういうことが重なることによって信頼回復はできていくと思います。
校長であるあなたや副校長,それから2人の教諭が,頻度の認識の差はともかく,そういうような観察をある期間続けたということは,学校にとっても相当な負担だったと思うんですが,その辺はどのように受け止めていましたか。
学校にとって負担というよりも,そんなに毎日のようにやるっていうことは実際にはできないんですね。ほかの仕事だってたくさんありますので。そういう点ではもうできる範囲で行ったということで,学校に負担が掛かると言ってしまうと,今度ほかにいろいろまた問題が出てくる可能性がありますので,そういうところまではやっぱりしていません。
それでは,私と三木弁護士が当時,当時といいますか,ちょっと日にちは定かではないんですが,学校のほうにお伺いして,あなたと副校長からお話を聞いたということがありましたね。記憶にありますか。
多分1度いらしたことがあるでしょうね。
校長室ですよね,あそこでお話ししましたね。
はい。
その際に,授業観察の目的として,原告の能力が非常に低いと判断していたと明確におっしゃった記憶はありますか。
そのときはないですね。
それでは,授業観察の内容をN君の母親に報告しましたか。
何らかの報告はしたんじゃないかと思いますけれども。
記憶がない。
何を報告したかというのは覚えてないですね。
そうすると,N君の母親がそれに対してどのような対応をしたかということも記憶にないんですか。
そのときに・・・。
そもそも報告したこと自体の記憶がない。
親御さんにですね。どういう報告をしたかというのはちょっと記憶にないです。
報告したことはあるんですか。
校長室に呼んでとかっていうような記憶はないです。でも,それは私が観察してますから,何らかの報告はしたんだろうとは思いますけれども,そういう改めて校長室に呼んでこうだった,ああだったというようなことをした記憶はないです。
授業観察はN君の母親の要望だったんじゃないんですか。
要望でした。
それにもかかわらず,報告しなくてよかったんですか。
そこはちょっと覚えてないです。
記憶にない。
何らかの形で報告はしたんでしょうけれども,校長室に呼んでというような,そこでどういう話をしたかというのはちょっと記憶にないです。
あなたは,N君の母親のように,ちょっと担当教諭に問題があるから授業観察をしてくれって言われた場合にはするんですか,基本的に。
授業観察は基本的にするものなので,全員にやらなければいけないものなので,授業観察はどういう状況であれします。ただ,それを直接的に何というか,要望があったから早めに持ってくるというようなことはその状況によって決めます。
授業観察というのは大体何分くらいやるんですか。
ちゃんとやるものでしたら指導案をきちんと出してもらって,それで1単位時間やります。
原告のほかに,このような授業観察ということを行ったことは過去にありましたか。
授業観察はあります。
原告のような形でということではいかがですか。
原告のような形でというと・・・。
今言ったような授業計画を出させて観察を行うとかというんじゃなくて。
それも比較的あります。日常的にはあります。
あるんですか。
指導案や何かを出さないで授業観察をするというのはあります。
それはどういう場合ですか。
もちろん親御さんからいろんな要望があるというようなこともありますし,担任間の関係で何か情報が入ってきたときにはそれを確認して必要に応じて指導をするということがあります。
相当期間,継続して行うということもあるんですか。
相当期間継続して,問題を解決するかどうか。
経験上,あったんですか。
経験上,どのくらいのものがあったかということですか。
例えば,1か月とか1か月以上。
を,続けているということですか。1か月続けるというのはそんなにないですね。

(以上畑岡裕子)
東京地方裁判所民事第25部
裁判所速記官 持木みどり
裁判所速記官 畑岡裕子


*************
280927 #izak #本人調書 #葛岡裕 #ベタ打ち版
読んでないので真偽不明。録音テープとの比較はさせない。
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

280922 #izak #原告 陳述書 #ベタ打ち版 

2016-12-29 21:39:43 | 指導要録
280922 #izak #原告 陳述書 #ベタ打ち版 
「原告が教員としての指導力がない」とN母は、訴えた。
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

原告 陳述書

平成28年9月22日

陳述者(原告本人)

1 経歴
 私は、昭和51年9月1日に教員に採用され、それ以来平成25年3月に定年退職するまで教員として勤務してきました。その中で、最後に勤めた東京都立葛飾特別支援学校を除く養護学校での勤務経験は3校に亘り通算21年7ヶ月、普通学校の中学校での勤務経験は3校に亘り通算10年、最後に勤めた東京都立葛飾特別支援学校では5年間勤務したものです。
2 教師としての経験
(1)一般的な教師としての経験等
 中学校3年生の担任の際は、2回ほど番長生徒の担任を行いました。
 2回とも、4月と比べてクラスの偏差値を5以上上昇させ、他のクラスを引き離した経験があります。
(2)障がいのある生徒への指導に関する専門的な経験等
 ・昭和56年度教育研究員「数と言葉」の研究
 ・平成9年度教員海外派遣研修「スモールステップ・インクルーシブ教育システム」
 ・平成12年度スクールカウンセラー研修 実践講座Ⅰ受講
 ・視覚障害者を対象の教員免許の単位を取得
 私は、上記のような専門的な経験を経た上で、前記経歴に記載したとおり、東京都立葛飾特別支援学校での勤務を除いても21年7ヶ月に及ぶ養護学校での勤務経験を有していました。そのため、平成24年当時にN君に接した際には、これらの経験に照らして、教師としての能力や障害のある生徒の指導力については、格別劣るところが無かったと自負しています。
 なお、私は東京都立葛飾特別支援学校に着任時の1年目から4年目に重度・重複学級(生徒は1学級に3名)の担任をしていました。これはN君の担任になる直前の期間であり、この当時に私と生徒や生徒の保護者の間でトラブルが起きたことは一度もありません。
3 葛飾特別支援学校の管理職らとのやりとり
(1)平成24年6月6日頃のこと
 同年5月中(以下、年号は省く)の体育祭の練習の時に、N君の母親が校長室を訪れ、隣の職員室にいた教員にも聞こえるくらいの大声で怒鳴っていたことがあったそうですが、そのときは中村良一副校長が、私が授業をしている教室を訪れ、「Nさんが、校長室に来ている」と私に伝えてきただけで格別の話はありませんでした。
 初めて管理職らに呼ばれたのは、6月6日頃で、N君の母親が再度校長室へ怒鳴り込み、「学校としてできないことは、書くな」と言って来たときです。
 このとき、葛岡裕学校長は、私に対して「N君のお母さんは交通事故にあってもいいからN君の一人通学をさせたいと言っていたが、お母さんがそう言っても、事故は相手もあることだからそうはいかない、と言って説得した。どうだろうか。」と意見を求めたので、「その通りだと思います」と答えました。この頃は、管理職らもN君の母親に一人通学指導を始めることはできないという考えだったのですが、今回の訴訟が始まってから、全く言い方を変え、事実を曲げて、初めから一人通学指導を開始すべきであるという考えであったと主張しており、これは、真実を歪める不正不当な対応です。
(2)6月15日頃のこと
 管理職らからN君の一人通学のための指導計画書を作るよう指示をされたので、私は、事故が起きた場合の責任の所在を確認する書面を作成し、管理職らの押印を求めましたが、中村良一副校長から、葛岡学校長の伝言として「判子は押せない。面談した時間の記載が間違っている。」と言われましたので、私は、「直したものを出します」と言いましたが、拒否されました。私はその時、飛び出しがあり安全確認もできず、事故の可能性が現実に予想されるような生徒を公道に出すという異常な判断をする管理職らを全く信用できないと思うと共に、現実に事故が起きたときには管理職らはその責任を私のせいにして逃げようとしていると強く感じました。
(3)6月21日頃のこと
 葛岡学校長は、「N君の母親は校長室に朝・昼と来て、間に電話も来た」とかなり迷惑そうな様子で言っていました。副校長は「この時期に書面で遣り取りすることはエスカレートする」と言って、私に対し今後はN君の指導をしなくて良いと指示しました。以後私がN君の指導をすることはなく、連絡帳を見ることもありませんでした。
(4)授業観察について
 私は、7月4日に管理職らから「N君の保護者が教育委員会や外部の機関に相談に行くと言っているが、それは一端こちらで引き取り、代わりに私たちがあなたの授業観察をして、指導をしていくことになった」と言われ、その後夏休みに入るまでの間、ほぼ毎日、葛岡学校長、中村副校長、中村(真理)主幹、飯田主任の4名が朝から代わる教室に来て、黙って授業を見続けるという授業観察が行われました。当時私が担当するクラスの教室の広さは普通教室の半分程でしたので、私のみならず生徒達にも、異様な雰囲気での授業となり、私には指導の邪魔でしかありませんでした。
 当時週行われた面談の際にも管理職らから授業観察に基づいて私の能力に問題があるということが指摘されたり、具体的な指導を受けたりしたことは全くありません。かえって、中村副校長からは8月7日の面談で「指導上、大きな欠点があるとは思えない」との発言があり、私はそのことをメモしております。管理職らが毎日のように行っていたこのような行為は、格別私の指導力を把握する上で長期に亘り繰り返される必要は全く無かったものです。
 私は、長年の教師としての経験上、このような異様な授業観察が行われたケースを見聞したことなど一度もありません。
(5)面談について
 管理職との面談については、管理職らからN君の母親の信頼を得るために行っていると聞いていましたが、何度も繰り返される内に、管理職らは私が自主的に「N君の一人通学指導をします」と言うように圧力をかけているだけだということがわかり、途中から面談が拷問としか思えなくなりました。
 管理職らは面談で、N君の母親から「指導力に問題がある」と言われていると言われていたので、私は、私が受け持つ学習3班の授業参観をした保護者から苦情がありましたかと確認したところ、葛岡裕学校長からは「ない」との回答であり、逆に、私は保護者から、「面白かった」、「能力別の指導で良かった」等の感想を聞いていましたので、葛岡裕学校長にそのことを伝えております。
 管理職らは、私の能力が低いというN君の母親の訴えを受けて、私との面談や授業観察、課題作成の業務命令を行っているとの説明でしたが、私の能力のどのような点が低いとか、どのように改善すべきという具体的な話は一切なく、ただ、N君の母親の要望はもっともであるとか、N君の母親の要望に沿うべきであるということを、言葉を変えて示唆するだけでした。
 私は、具体性無く繰り返される「指導」とは、嫌がらせでしかないと感じており、私の指導力に問題があるというN君の母親の主張について、その具体的な内容を明らかにするように中村副校長に強く要望したところ、中村副校長は、8月14日の面談の際に、それらをまとめて記した紙を私に交付しましたが、その内容は、私が一人通学指導を開始しないことの指摘の他、単に言いがかりに過ぎないようなことを並べただけでした。
 このように、管理職らが、N君の母親が私の指導力に問題があるとする具体的な根拠を示さず、私がこれを要求しても明確にしない姿勢から、管理職らは、N君の母親の指摘する内容が認められず、或いは大したものではないので、私を排除することを正当化できる程の理由にはならないと判断していたとしか思えません。
(6)課題作成について
 私は、クラスの生徒のうち2名を除く生徒の朝学習の課題を作成して参りました。
 漢検のドリルをパソコンで作成したほか、学習3班用に、数図かるた及び数学のドリルの作成を行いました。課題の準備は、生徒それぞれのペースに合わせて対応できるよう早く終わった生徒用の次の課題も準備し、作業量としては学校にいる時間内に終わらせるにはかなり厳しいものがありました。
 私は、教員生活の中で、私の創意したオリジナルの教材をいくつか編み出して活用してきており、学習3班程度の生徒向けにはオリジナルのものも含めて、課題を用意していました。
 これらの課題作成で眼の状態が非常に悪くなりました。
 私は、6月頃から眼科に行くようになりましたが、母の通院の付き添いのために有給を使うため、有給が不足して来て眼科にも行けなくなりました。
 7月中旬ころには、有給休暇がなくなったら退職するしかないと思い詰めており、出来るだけの教材を作って後任に渡そうと思っていました。
 パソコンでの課題作成は、目の調子の良い午前中に行い、目の調子が悪くなると他の教材作りを行いました。午後は休暇を取って、母の介護を行っていましたが、夜は、疲れてしまい、母に辛く当たってしまったことがあったことを今も後悔しています。
(7)まとめ
 私は、私のように、頻繁に授業観察がされたという教員の例を聞いたことがありませんし、前に述べましたように、私の経験上からも有り得ないことです。N君の母親の要望の言いなりになり、教育委員会等へ持ち込まれるのを避けるために管理職らが何もしていないわけではないという言い訳の為に行っていたとしか考えられません。
 面談や課題作成も、授業観察と同様に、他の教員で同じような指導をされた人を私は知りません。むしろ、問題行動のある教員を管理職らが不祥事の発覚を防ぐため、適切に指導せず問題を隠蔽しようとする風潮を感じたことすらあります。
 必要性と内容の合理性があれば、管理職らが教員を強く指導をすること自体をやっていけないこととは思いません。しかし、数回授業を見に来るとか、面談でヒアリングをすることで管理職らが事態を把握することは充分可能であり、これほど過剰な負担を強いる指導をする必要があるならば、教育委員会に適切な報告をして、手続きを踏んでからでないとできないことと思います。
 ところが、実際管理職らは、私の負担など全く考慮することなく、N君の母親の言いなりで、私に対する指導といっても何ら具体性も無い空虚なやりとりしかせず、これは管理職らが何もしていないわけではないという状況作りをしていただけであったことが明らかであり、教員に対する管理職としての対応として不当であり、その程度も大きいと思います。
(8)管理職らの能力について
 葛岡学校長は、学校に居る時間が少なく、当初はN君のことをほとんど把握せず、またN君の障害の内容を具体的に知ろうともせず、N君の母親をなだめることに終始していました。一人通学指導もN君が一人通学ができるようになることを目指して行うという具体的な判断では無く、N君の母親をなだめ、学校として一人通学をさせる指導をするという宣伝をしている建前を守るために、N君の障害の内容などろくに考えずに、N君の一人通学の指導をやることにしたとしか思えません。これに振り回されたのが私たち現場の人間でした。
 中村副校長は、前の勤務先の墨田特別支援学校の小学部時代にN君の母親とは面識があったようですが、N君の障害の内容をよく知っていたとまでは思えません。N君の母親からハンカチを噛む癖の指導を求められたときの返答にも、保護者を刺激するようなことを書かないようにという趣旨で私に直接声をかけてきたことがあり、事なかれ主義の姿勢が強い人です。
 管理職らからの面談でも、「お母さんの心情は理解する」とか、「信頼を回復する」にはどうしたらよいかとかそのような言葉の繰り返しで、N君への指導上何が問題だったかを指摘することはありませんでした。葛岡学校長は自分の手帳を見て、N君の保護者が言っていた内容を私に伝え、それを肯定する発言を繰り返し、結局現実にN君に対しどのような指導が適切かという話をしたことは一切ありません。
 管理職らは、対人関係で事を荒立てずうまく立ち回ることは上手いかもしれませんが、実際にN君の母親に対しN君の指導上あるべき指導法を提示できる能力はないし、もっと言えば私に対し指導力に問題があるから指導するとのことでしたが、現実に私を指導する能力も無かったということす。

4 私の体調不良と精神的な苦痛について
(1)体調の悪化
ア 平成24年5月下旬から6月頃
 5月下旬頃から、N君の母親は、頻繁に教室を訪れ、何か気になる点を見つけると校長室に駆け込んで管理職らにクレームを入れはじめました。
 正確な日付はわかりませんが、ある日、朝学活の始まる時に、N君の母親が「失礼します」と挨拶したので帰ったと思ったら、N君の母親は私から見えないところに隠れて教室の様子を窺っており、生徒のSが「まだいるよ」と私に手で教えてくれたこともありました。
 また、生徒のHが廊下で泣いていて、私が朝学活に誘っても教室に入らないことがあったのですが、それを見ていたN君の母親が、ニヤッと笑って校長室に駆け上がり、その直後、葛岡裕学校長が来て、授業観察を始めたことがありました。
 私は、おでこの裏側に、N君の母親の顔が張り付いているようで気味が悪く、5月下旬から下痢をし始めただけでなく、夜の寝付きも悪くなりました。
 このような体調の変化について、N君の母親が一人通学のことで校長室で大声を出していた日に副校長に伝えています(体育祭の練習があった5月頃)。
 6月21日の朝、N君の母親が教室に突然やって来て、「私から先生へのラブレターですの」と言いホホホと笑みを浮かべたときは、何か企んでいると思いました。私はこのとき、N君の母親とのやり取りを連絡帳などに記載して形を残して置かないと、後になって真実が隠され一方的に私がやり込められてしまうのではないかと強い危惧感を持ちました。その後の管理職らとの面談で、N君の母親との接触を避けるように言われた時には、今後益々エスカレートして何をされるかわからないと思っていたので、心底ほっとしました。私はこれで、体調面も回復できるだろうと考えていたのですが、実際はそのようにはなりませんでした。
イ 平成24年7月頃
 6月21日頃以降、N君の母親との接触は減りましたが、代わりに7月4日以降管理職等のほぼ毎日の授業観察、毎週の個別面談と課題作成が始まり、N君の母親による監視が管理職らによる監視にそのまま移ったと感じました。
 7月の中頃になると、下痢がひどく悪化し、朝立ち食いそばを食べると、すぐに下痢になるという状態でした。そのため、休暇を取って家に戻り、残りの有給休暇を数えては、もう退職するしかないのではないかと考えました。
 私は、7月に初めて三楽病院に行きましたが、予約が入っていなかったため診てもらえず、カウンセリングだけを受けて帰りました。
 日を改めて三楽病院に行くと薬を処方されたため、〓入ってから服薬を始めました。私は、生徒によっては、常時注意していなければならない者もいるため、N君の母親に対する不安があっても服薬して仕事中に居眠りをすることが無いよう、服薬も制限しなければならず、勤務時間中の不安が緩和されることはなく、心身ともに疲れました。
ウ 平成24年8月ころ
 8月に入ると、N君の母親と会わないので精神的には楽になりましたが、課題作成を命じられていてパソコン作業が多いこともあり、頭がボーッとし、8月末には目の調子が悪くなりました。管理職との面談も、意味のない時間に感じるようになり、また、拷問だとの思いからストレスとなっていました。結局私は止むなく病休をとることとしました。
(2)病休となった経緯
 訳が分からないまま管理職らの意図で長期休職にされそうになったため、三楽病院の佐藤医師に休職期間を1カ月にして下さいと申し入れ、何とかそのようにしてもらいましたが、学校長と医師と本人(私)の三者で休暇期間等を決めるというシステムが軽視されていたことや、結局私の意に反して夏休を数日潰されたこと等納得のいかない点が残りました。
 私は、8月末に三楽病院で診察を受けたところ、佐藤医師から、葛岡裕学校長の都合を聞くので、外で待つようにと言われました。暫くして診察室に入るように言われて入ったところ、佐藤医師は、葛岡裕学校長に電話をし始め、佐藤医師が「そんなに長くできない」と話しているのが聞こえました。
 その後、佐藤医師から「3カ月の休職」と提案があり、佐藤医師はその場で診断書を出すとのことでしたが、私は、休職期間は1カ月で良いと伝えました。確かにN君の母親への不安はありましたが、1カ月あれば体力も回復し、目の調子も良くなると考えたからです。
 私は、佐藤医師に対し、診断書を出してもらうに当たっては、夏休を申請しているので、夏休終了後から休職をとるようにしたいと説明して念を押したところ、佐藤医師は、夏休は取れると答えました。
 しかし、次に私が学校に出勤すると、すでに休職扱いとなっており、夏休も休職期間扱いとなっていたため、中村良一副校長に抗議したところ、中村副校長は、「診断書が出たときから休職だ」と言いました。佐藤医師の7月段階の説明では、葛岡裕学校長を加えて、3者で休職の可否・時期・期間を話すとのことであり、葛岡裕学校長にもその内容を伝えてありましたが、結局管理職の意向で一方的に決められてしまいました。私は管理職らが私を職場から遠ざけようとしていることが解りました。管理職らは、私がこのまま長期間学校に居ない方が都合が良いと考えていたことは明らかです。
 確かに私にとっても、N君の母親と顔を合わせなければ不安は薄らぎますし、葛岡裕学校長からは教材作成はこれ以上しなくて良いと言われていましたが、私が1ヶ月程度での休職の意思を伝えているのにこれに反して職場から排除しようしたことは、納得がいきませんでした。
 中村良一副校長の休暇を巡る私との対応は、私に対し難癖をつけたりわざと便宜を図らない傾向が見られ、短期介護休暇を取ろうとしたときにも、不必要な書類をわざわざ有給を使って取りに行かされ、パワハラだと思っています。
(3)病休から復職した後のこと
ア 平成24年9月末から10月頃
 9月末から10月頃にかけて、病休が明けるので学校に復職する頃になると、再びN君の母親の顔がおでこの内側に血糊のように付いている感じがして、不安が多くなって来ました。
イ N君の母親の影響はまだ続いていた
 病休から復職した頃、N君の母親とは、挨拶をするだけの関係になりましたが、次のような出来事から、顔を見るとやはり不安になり、三楽病院に通院を続けました。
 私が病休から復帰したところ、復帰1日目の朝、生徒のS子から「ああ戻って来ちゃった。これで、N君の面倒を見る先生がいなくなっちゃった」と言われました。私の代わりで来ていた教員がいなくなることについてのコメントだと思いますが、私はS子とはそれまで関係が良好であったため、非常に不自然さを感じました。その後も、S子はN君のことについて、私に「Nの面倒を見て」等と不自然に言ってくるようになりました。N君の母親がS子に、私に対し言って欲しいことを言わせていたと推測しています。
 また、病休から復帰後にH子の保健室相談に放課後付き添った際にもH子から「私、先生に秘密があるの」と言われました。私が「Nさんに頼まれたことか」と聞くと、内容を言わず「ごめんなさい」と謝るので、私は「いいんだよ、H子は何も悪くないんだよ。」と逆にH子を慰めるしかありませんでした。H子とは、私が退職後に文化祭で会いましたが、以前のとおり私に進路先や、好きな先生ができたこと、1年の時に好きだった生徒が学校に来なくなったこと等を話し続け、2年間会っていなかったブランクは全く感じさせない接し方でした。
 このように、N君の母親が、当時の私の生徒に対して、私に対する悪口を吹き込む等して多くの影響を与えたことは、許しがたい行為だと思います。
ウ 11月から定年退職するまで
 母の病院の付き添いが増えるため、私は三楽病院や学校の事務方に相談のうえ、結局介護休暇を多く利用することにしました。
 復職後、11月半ばまでは、早い時間に帰宅する形での介護休暇を利用していました。11月中ころに、中村副校長からの伝言と思われますが飯田主任より「そのような短時間勤務をするのであれば午前中の空き時間にも職務の予定を詰めるように」と言われました。空き時間を全て詰められ、事務をする時間が無くなってしまうと、私の教員としての生活が破綻するので、私は短時間勤務をやめて、丸ごと休むことに決めました。
 そのときに三楽病院で聞いたことは、次に私が病休をとるとすれば前より長い3ヶ月程度との診断になるとのことでした。私にとって、休職の方が介護休暇よりも給与面では有利でしたが、病休中にあまりに高い頻度で母の通院付き添いをすることには問題があるかもしれないとの事務方の意年もあって、長期の病休ではなく介護休暇を取ることにしました。
 事務方に介護休暇の取得について相談し、介護休暇の変更内容を確認したところ、介護休暇は何回か変更かできるとのことであり、その許可は副校長に任されているとのことでした。
 私は、冬季休業中はとりあえず介護休暇を止め、冬季休業終了後に介護休暇を再開することにし、その旨の申請を中村副校長に行いました。これに対して中村副校長は、「許可が降りるまで1週間かかる」と回答したため、私はその間は有給休暇で対応すると伝えると、副校長は急に前言を取り消し、申請通りの休暇取得を認めました。もし、有給が残って居らず副校長が許可に時間をかけていたらば、母親の介護が難しくなっていたと思われ、いちいちそのような手続き上の嫌がらせをしてくる中村副校長には怒りを禁じ得ません。
 以上のように、病休から職場復職後も私は介護休暇を取得しながら余裕の無い日々を送り、退職まで何とか勤務を継続したものでした。
(4)本件における損害
 まず、N君の母親が、強硬な要望と私に対する監視といったやり方で訴えるようになってから、私にとって学校という職場が楽しい場所では無くなりました。管理職らはこのようなN君の母親のやり方をそのまま受け容れ、学校ぐるみ負担の大きい形で実行して、私に対する身心に亘る負担を与え続けてきました。それ以前は私には学校が楽しい場であり、生徒といることが何より好きだったことから、教員を永年続けて来たのでしたが、退職間際にこのようなみじめな状態で教員生活を終えたことは非常に残念です。
 そして何よりも心残りなことは、毎日過剰なストレスがかかって、自分の状況で手一杯になり、認知症であった母親の介護に手が回らない状況になってしまったことです。母は認知症になってから色々なことを忘れ、夜に不安で泣き出すことがあり、そのようなときは1時間位母の側にいてなだめ、眠れるように対処をしてきましたが、当時は私自身があまりにも辛く、全くこのようなケアができなくなり、自分に余裕が無く、母親につらく当たってしまったこともありました。既に母親が亡くなってしまった今となっては、もう取り返しがつきません。
5 最後に
 私が一番知りたいのは、葛岡裕学校長の手帳とN君の母親の手紙の内容です。それら手帳及び手紙には、N君の母親が、私が教員として指導力がないという主張の根拠が記載され、葛岡学校長がその内容を認めた経緯が記載されているはずです。指導力がないという主張の根拠事実が具体的に確定して、初めてN君の母親の要望の当否、そしてこれを是として管理職等が行った授業観察や面談、課題作成の指示の当否が判断できるのです。
 最後のよりどころだったこの裁判で、「保護者が強く要望していたから」というだけで、学校ぐるみで一人の教員に毎日の授業観察、毎週の面談、課題作成指示を行うことが正当化されるというような判断をされては本当に困ります。保護者の要望の在り方がおかしいのであれば、それを正すのが管理職らの学校運営上の役割ではないでしょうか。また管理職らは労働者として働く教員たちの職場環境を守る義務も負っており、現実に出来ることと出来ないことがあります。保護者の攻撃対象にされた教員を学校が代わりにいじめることで保護者対策をされては、精神的にも肉体的にも持ちません。保護者の要望が合理的なものであるかが、本件で管理職らが私に行った行為が合理的なものであるかとほぼイコールなのです。
 従って、葛岡裕学校長の手帳は、本訴訟の事実認定に最も重要な証拠とすべきであるにも拘わらず、これが今もって開示されていませんことが、私には痛恨の極みです。
 岡崎克彦裁判長は、訴訟資料の閲覧制限の経過からも窺えるように、文書提出命令の却下も含め、私には、東京都の言いなりであると思わざるを得ません。
 事実を正確に把握した上で、裁判所の判断が行われるのであれば、私はその結論はどのような形であっても受け入れるつもりです。しかし、面倒そうな内容には踏み込まず、権力に都合の良い表面的な部分だけをとりあげて、私と管理職らの意見が分かれた具体的内容の判断を避けることで当然のように管理職ら権力側の行為が正当化されるのであれば、裁判など無意味です。
以上



280922 #izak #原告 陳述書 #ベタ打ち版 
「原告が教員としての指導力がない」とN母は、訴えた。
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

280715 #izak #中村良一 陳述書 #ベタ打ち版 

2016-12-29 21:15:56 | 指導要録
280715 #izak #中村良一 陳述書 #ベタ打ち版 
ダミーブログにミスリード 要録偽造隠し
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

乙第26号証 陳述書
平成28年7月15日

東京地方裁判所民事第25部乙2A係 御中

中村 良一
1 経歴等について
・昭和54年4月        東京都公立学校教員に採用
・昭和54年4月~昭和61年3月 都立城北養護学校
・昭和61年4月~平成8年3月  都立高島養護学校
・平成8年4月~平成20年3月  都立墨田特別支援学校小学部
・平成20年4月~平成23年3月 都立小岩特別支援学校 副校長
・平成23年4月~平成27年3月 都立葛飾特別支援学校 副校長
・平成27年3月       定年退職
 なお、現在は、外部専門員(非常勤)として、退職時の葛飾特別支援学校に勤務しております。

2 N君の母親について(N母の要望が妥当なものであること、モンスターペアレントではないこと)
・ 上記のように、私は、葛飾特別支援学校(以下「本校」といいます。)に赴任する前に、墨田特別支援学校の小学部に勤務し、そのときからN君やN君の母親(以下「N母」といいます。)を存じております。
・ N母は、N君が幼い頃に夫と死別し、それ以来N君及びN君の姉を女手一人で育ててきました。そのようなN母の心配事は、他の障害児をもつ保護者同様、自らが死んだ後のN君のことでした。N母は、自分がいなくなっても、障害の重いN君が一人で生きていけるようにと願い、墨田特別支援学校小学部の頃から、少しでも一人でできることを増やすため療育機関に通っていました。その甲斐あって、N君は、重い障害にもかかわらず食事や着替え、排泄など日常生活を送っていくために必要な力が養われてきました。
 そして、高等部卒業後、通所施設に通うにしても「一人通学」ができる力は、必要であるとの思いから、同小学部の頃からスクールバスを利用せずN母が送り迎えを行いながら通学練習を重ね、同中学部より学級担任と連携して「一人通学」の練習を始めました。N母は、N君の自立に向け「一人通学」以外でも、「朝の係活動」や「学習」面でも、なるべく自らの力で自主的に活動できるようになって欲しいと願っていました。そのためには、時間がかかっても、支援は最小限にとどめ、主体的に活動できる環境や指導が大切と考え、「生きる力」を育む本校の教育に期待をしていました。
 しかし、今回、そうしたN母の願いを踏みにじるような原告の対応及び姿勢にN母は、落胆しました。そこで、N母は、本校の教育、つまり学校経営計画及び校長の考えを確認するため、校長室を訪れ、そこでN母は、墨田特別支援学校での指導によりN君が大きく成長したこと、そして本校でもこれまで成長したことを大切にし、更に成長するよう事を期待している、しかし、原告の指導や対応は、これまでのN君の成長を後退させてしまうのではないかと心配し悩んでいると訴えました。このようにN母は、我が子の将来を思い、学校と協力しながら今できることを精一杯頑張っている保護者です。

3 N君の障がいとN母の母親の要望(保護者の要望をNの指導に反映させることが妥当であること、保護者の要望を鵜呑みにしたのではないこと)
 原告は、N君の母親が要求が過大なモンスターペアレントであるなどと主張していますが、全く誤っています。
①「綿密なコミュニケーションの要望」について
 自閉症のN君は、コミュニケーションに著しい障害を有しています。また、学校生活を送っていく上で多くの指導、支援が必要です。N母はこれまで培ってきた力を基に更なる成長を促すためには、これまでの日常生活に関する指導内容やN君の認知に関する実態について学級担任に十分理解してもらう必要がある考え、担任との綿密なコミュニケーションを要望しました。
 このことは、新入生を指導する担任にとっても望ましいことです。

②「砂遊び水遊びに関する要望」について
 N君は、小学部の頃から障害特性として砂や水等に過敏に反応する行動がありました。しかし、これらの行動もよく観察すると、目的意識がある時には、砂や水があっても、活動に集中することができていました。逆に、自由時間や何をするのか分からない時、目の前に砂や水、回転する物があるとそれらに反応してしまうというものでした。従って、学習や活動に関して、目的意識が促されるような指示の出し方や環境の整備が重要となります。そして、N母は、墨田特別支援学校では、これらの配慮がなされてきたので、本校でも指導や環境整備について引き続の配慮を要望しました。
 管理職は、適切な要望と判断しました。

③「ハンカチを噛むことに関する要望」について
 上記②とも関連しますが、N君は、コミュニケーションに障害があるため、自らの要求や気持ちを上手く周囲の人に伝えられないことがありました。そのため時には、ストレスが溜まり、自らの頭を叩く行動やハンカチ噛む等の行動として現れてしまうことがありました。この時、適切な指導が行われないと、自閉症の場合、「こだわる」障害特性があり、早期に適切な対応をしないと問題行動が固定化してしまう恐れがあるので、N母は、そのような兆候が見られたら適切に指導して欲しい要望しました。
 管理職は、当然のものと判断しました。

④「朝の係活動に関する要望」について
 学級内でN君が、出席簿を職員室まで取りに行くといった係を行うことは、キャリア教育の観点からみて、将来の勤労観につながる重要な指導内容です。しかし、原告は「出席簿は公簿であるのでN君には任せられない」とN母に告げました。墨田特別支援学校では、実施されていた指導であり、N君は一人でその係活動ができていたのでN母は、ショックを受けました。
 キャリア教育は、高等部において重要な指導なので、管理職は、N母の要望は適切であると判断しました。

⑤「一人通学についての要望」について
 特別支援教育の目的は、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることにあります。したがって、障害により困難があるとしても、各生徒の障害特性に応じた目標を設定し、一歩一歩、時間をかけてそれに向けた指導を行うことが求められます。一人通学指導においても、このことがまず前提とされなければなりません。すなわち、完全な一人通学の達成が容易でないとして、保護者の求めを拒否し指導しないという姿勢をとるとすれば、特別支援学校の教師としての資質に欠けると言わざるを得ません。
 一人での徒歩や公共交通機関を使って通学することは、様々な力をつけ経験の幅を広げる大きな学習場面となるほか、生徒が保護者から心理的に独立し目的を持って行動する大きな機会となります。さらに、一人通学ができることは卒業後の進路を考える上で選択範囲が広がることにつながります。したがって、一人通学は「自立と社会参加」を目指す上での大きな力となり、その力が本人の「生きる力」へとつながっていくのであって、その指導の意味は決して小さくありません。
 したがって、N母が、「一人通学」の指導を要望する事は、ごく当然なものです。

⑥「連絡帳でのやりとりに関する要望」について
 以上①~⑤の様に、ことごとく要望が受け入れられなかったので、N母は、原告が自分と異なる指導方針や考えをもって指導にあたっていると思ったのでした。そうであれば、そうした指導方針や考えを聞きたいと考え、N母は、原告の考えを知るために自らが共感した本を示しそれについての意見、感想を聞こうとしました。しかし、原告は、時間がない事を理由に本を読まずにN母に返してしまいました。本を突き返されたN母の落胆は大きかった推測されます。
 また、これら不愉快な大人同士のやり取りは、N君の思い出にしたくないとの思いから、N母は、連絡帳でのやり取りではなく別の紙に書いて欲しいと要望しましたが、これも原告から拒否されました。
 こうした原告の指導、対応がN母を感情的にさせたと思われます。管理職は、N母の心情を理解しました。

⑦「『一学期のまとめ』に関する要望」について
 体育館や音楽室等の特別教室へ一人で移動できる力は、今後N君が自立していくためには必要な力です。しかし、正確な日時の記録はありませんが、原告がN君と手をつないで教室移動している姿を見たことがあります。障害の重い生徒の中には、指示された事柄が理解できず大人に頼って行動することがあります。しかし、こうした事が重なると、自ら考えようとせず大人に頼ることで問題を安易に解決する方法を学習してしまいます。誤学習です。
 N君は墨田特別支援学校では、一人で特別教室に移動できていた事を考えると、大人と手をつないでの教室移動は、学習の後退を意味します。そこでN母は、せめてこれまで培ったN君の力が、原告の指導による誤学習によって後退させないために、原告からの指導を拒否するとともに「一学期のまとめ」(乙8)の担任氏名欄は、主担任である千葉教諭のみとするように要望をしました。
 管理職は、N母の心情を理解しました。

4 原告の指導力の不足、指導方針に誤りがあること(一人通学指導に対する認識の誤りがあることなど)

①「一人通学」指導は、「教育課程届」及び「学校要覧」「年間指導計画」「一人通学指導マニュアル」にも明記されている本校の重要な指導内容です。

②「一人通学」指導は、個々の生徒の特性を踏まえた「一人通学計画書」を作成し、付き添い通学から始めて、段階的に完全な一人通学ができるように指導するものです。
 原告は、K君の事例を挙げ「一人通学」指導の際に、必ずしも「一人通学指導計画書」が作成されるわけでないと述べていますが、K君の事例についても「一人通学指導計画書」を作成しなかったこと自体が誤りです。

③ 原告は、「安全意識の獲得は、コミュニケーション能力等の全般的な能力の向上がなければ実現するものではない」及び「N君は校内における指導で安全意識の獲得を目指す段階にあり、通学路で安全意識を獲得するとすれば、それには時間がかかる。」「「発語がないため、『赤で止まる』『青で渡る』等、安全性に関する注意事項について、理解しているか確認できなかった。」と述べていますが誤りです。
 人の記憶は、「意味記憶」と「エピソード記憶」に区別することができます。「意味記憶」とは、「リンゴは果物である」というような言葉での一般的な情報を保持しておく記憶です。「エピソード記憶」とは、特定の時や場所で起こったことの記憶です。自動車の運転や鉄棒の逆上り等、言葉で説明されてもがすぐにはできるようにならないが練習する内にコツがわかりできるようになる、これが「エピソード記憶」です。盲導犬なども訓練により、赤や青等の色についての言葉概念や左右の言葉の概念が理解できなくても信号で止まる事はできるし、歩道を歩くことができます。
 知的障害があり言葉でのコミュニケーションが困難な生徒であっても、練習を重ねる事により、自転車に乗れるようになったり箸が上手に使えるようになったりします。こうした「エピソード記憶」を活用した指導は、実地での指導が不可欠です。色や左右の言葉の概念理解が困難であっても「安全意識の獲得」の指導は可能です。事実、登校途中で、車の手前で止まることができたと連絡帳により報告されています。
 原告は、一人通学指導を実施しない理由として、言葉による「安全意識の獲得」を前提とし、コミュニケーション能力が十分育っていないことをあげていますが、これは原告の障害の理解及び指導力の未熟さの現れです。

5 管理職が原告に対して行った研修や面談は必要なものであること
・ 学校教育は、単に児童生徒と教師との関係でのみ成立するのではなく、保護者の教師・学校に対する信頼の上に初めて成り立つものです。教師は、児童生徒に対してのみ向き合うのではなく、教育公務員として保護者の意見や要望についても十分耳を傾ける必要があります。原告は、N君の母親との日常生活の指導や一人通学指導のやり取りの経過の中で、N母の要望に耳を傾ける等の担任教師としての真摯な対応を怠りました。更に、本来生徒に関する指導や身体・健康その他教育指導上の情報伝達に用いるべき連絡帳に、母親の意向に反して、一人通学に関する母親の質問に対する返事を記入し、母親の心情を踏みにじりました。こうした事実及び原告の特別支援学校教師としての指導力に対する不審が募ったことにより、原告と保護者との信頼関係が破綻したのです。
・ N母との信頼関係の破綻が何に由来するのか、原告の気付きとN保護者との信頼回復のために、原告の専門性の向上が必要と考え、原告に対する授業観察及び面談を実施しました。面談の際には、「問題解決のために」と題したプリントを提示するとともに、保護者との信頼を回復するために教材作成を指示しました。「一人通学」指導を行わなくても、他の学習指導では、専門性の高い指導ができることを示すことにより、N保護者からの理解が得られるのではないかと、管理職は考え教材作成を指示しました。しかし、原告は、面談においても、管理職の発言を記録することに終始し、自ら信頼解決に向けての考えを発言することはありませんでした。また、原告が作成した課題は、市販のワークブックをコピーした様なプリント類が多く、保護者の信頼を回復するにはほど遠いものでした。教材作成を学習3班の指導についての課題としか捉えられなかったというのは、原告の特別支援学校教師としての資質、専門性が決定的に欠如を示しているというほかありません。
・ 以上により管理職が、原告に対して行った研修や面談、授業観察は必要なものであったといえます。



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ダミーブログにミスリード 要録偽造隠し
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

280715 #izak #葛岡裕 陳述書 #ベタ打ち版 要録偽造隠し

2016-12-29 18:48:03 | 指導要録
280715 #izak #葛岡裕 陳述書 #ベタ打ち版 要録偽造隠し
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

乙第25号証

陳述書

平成28年7月15日

東京地方裁判所民事第25部乙2A係 御中

東京都立王子特別支援学校

学校長 葛岡 裕

1 経歴等について
 私は、平成12年4月都立城北養護学校、平成13年4月都立城北養護学校(教頭、のちに副校長)、平成17年4月都立光明養護学校(副校長)、平成20年9月都立府中朝日特別支援学校(校長)、平成24年4月都立葛飾特別支援学校(校長)を経て、平成27年4月より、都立王子特別支援学校長として勤務しております。

2 都立葛飾特別支援学校について
・ 私は、平成24年4月1日に、都立葛飾特別支援学校(以下「本件学校」という。)に校長として着任しました。
・ 本件学校は、高等部単独の知的障害特別支援学校です。入学してくるのは、通学区域内にある知的障害特別支援学校中学部の卒業生、中学校の特別支援学級の卒業生のほか、中学校の通常学級の卒業生もいます。知的障害特別支援学校中学部の卒業生は、比較的障害の重い生徒が多いといえようかと思います(N君も墨田特別支援学校中学部の卒業生です。)。

3 一人通学の指導について
・ 障害程度の軽い生徒は、入学後1カ月もすると一人通学ができるようになりますが、障害程度の重い生徒についても、保護者の付き添いや、スクールバスによらずに、一人で通学できるようになるのが本件学校の目標です。

4 N君のことについて
・ N君のことでいろいろと関わりを持つようになったのは、6月上旬の授業参観週間(6/4~6/8)の頃からだったと記憶しております。その当時、授業参観のためたくさんの保護者や近隣の方が来校されておりました。ある日(6/6ころか)、私が校長室に向かうと扉の前で、N君の保護者の方(母親)がお待ちでした。相談があるというので話を伺うと、N君の学級(1年A組)担任が一人通学指導をやってくれない、息子(N君)は出身校(都立墨田特別支援学校中学部)で1年次から一人通学に取り組み、学校から私鉄の駅までとさらに電車に乗車して乗換駅まで来ることができていたのに、本件学校では、担任は時期尚早として取り合ってくれない、というものでした。そのほかにも、学級担任(男性)が息子の指導をしていることに信頼がおけない、というものでした。そして、母親は、担任の指導・協力がなくても、自分で一人通学の指導を行う旨述べました。
・ N君の母親は、礼儀正しく、自閉症の息子の指導に大変熱心で、またよく勉強されており、とても感心しました。

5 担任に対する指導について
・ 私は、N君の母親の話によればN君は中学時代に既にある程度一人通学ができていたと言う事なので、本校においても指導可能であると考え、N君の担任を呼んで事情を聞くことにしました。
・ 千葉教諭は、N君は未だ危険回避ができず、校外での通学指導は早すぎると考えておりましたが(それは、多分に、原告の意見に引きずられての判断のようでした。)、N君が中学時代に既にある程度一人通学ができていたこと、本件学校でも引き続き一人通学指導をすべきこと、その場合、完全な一人通学まででなくてもよいこと(中学時代の電車通学と違って、本件学校のバス通学は降車のタイミングが難しいこと、本件学校から最寄りのバス停までに踏切と信号機のある交差点があり、中学時代より困難度が高いので、バス停までは難しいこと。段階的に行えばいいこと。)を伝えると、これから一人通学指導に取り組むことに考えが変わりました。
・ ところが、原告は、N君には一人通学は無理である、左右が分からない、飛び出しがある、危険回避ができていない、もしどうしても指導をやれというのであれば、原告だけでなく担任以外の他の教員も分担すべきである、事故のおそれも高いから責任が自分に及ばないようにしてもらわないと指導できない、念書を書いて欲しいなどと述べ、一人通学指導に取り組もうとはしませんでした。
・ 本来、担任が一人通学指導をするもので、原告が中心となって計画を作成するのが筋ですが、原告は指導を行おうとせず、一方、母親は自主的に練習を始めるというので、やむを得ず、同学年の中村真理主幹教諭にN君の一人通学指導の計画を立案するようにもちかけると程なく、中村主幹が計画を作成しました(乙7)。
・ 原告は、一人通学指導の計画の作成に着手していたと主張しているようですが、私は原告が作成したものを見た記憶はございません。

6 原告とN君の母親との確執について
・ 結局、原告は一人通学指導の計画を作成することなく、中村主幹教諭の作成した計画に基づいて結果的に千葉教諭が主体となって、保護者と協力して通学指導が始まりました。そうしたある日(6/14)、N君が朝、登校時に母親より少し先を歩いているときに、交差点を曲がってきた車と衝突しそうになったが、回避できたことがありました。母親は、「回避できた」ことを肯定的に捉えて報告したところ(翌6/15)、原告が「事故に遭いそうになった」と否定的に捉えて母親と対立しました。このとき(6/15頃)、母親は校長室を訪れ、母親の一人通学練習に対する原告の対応を批判するとともに、原告の他の指導にも問題が多いとして、母親が参考図書を貸しても読んでくれない、一人通学指導は責任を取れないので原告はできない、それ以外にもN君ができない事の指導方法をいちいち教えている状態、とてもN君の自立に結びつくような接し方をしていない、自立を促す基本的な姿勢が全く違う、原告には息子(N君)の指導をして欲しくない、原告を息子から引き離して欲しいと述べました。
 さらに、原告が独自の指導観を持っているようだからどのような研究発表をしたり研修を受けたりしているのか知りたい、原告には「モンスターペアレント対策」研修を受けるよう勧めて欲しい、管理職が原告の授業を実際に見るべきだと主張しました。
・ その次の週から、母親は、朝の教室での指導を自分で行うと宣言して開始しました。そうした中、私は原告に対して、再度、一人通学指導を行うよう命じましたが、原告は、自分一人ではできない、事故があった場合に責任が自分に及ばないよう念書を書けと、ガンとして聞き入れませんでした。
 6/21に、原告から「先生方の休憩が15時40分からで、一人通学指導をするのは勤務時間外であり、いわばボランティアで行っているので、そのとき万が一事故が起こったら先生方が責任を問われることになる」といわれて母親が驚いた旨の報告があり、さらに、原告が母親の質問(「40分」「ボランティア」「事故」の意味)の答えを連絡帳に記載するという事態が発生しました。翌6/22、母親は、血相を変えて、連絡帳を副校長に見せたそうです。私も、そのコピーを見ましたが、とてもひどい、親の心情を全く踏みにじるもので、母親が怒るのももっともだと思いました。原告は、母親が裁判に訴えた場合の証拠となるよう記載したというので、これ以上原告にN君の指導をさせることはできないと判断しました。原告を呼んで、連絡帳への記載等について口頭で厳重に注意しました。
・ また、母親は6/28に予定されていた校外授業(上野公園、科学博物館)で原告の引率を拒否してきましたので、その要望を入れ、副校長に付添いをさせることにしました。校外授業の付添いの要望の中で、母親は、自分ができないときにN君の送り迎えを頼んでいるヘルパーさんが、N君がやたらと手をつないで来くるようになったと伝えてきたことを報告してきました。副校長が校内で原告がN君の手をつないでいるのを目撃していることもあり、母親の心配(原告が後戻りの指導をしていること)が事実であると確信しました。
・ 翌週月曜日(6/25)、原告は休暇を取り、三楽病院を受診しました。6/28の校外学習は、副校長が出張のため、学年主任がN君の付添いをしました。
・ このころから、母親は、原告の名前を通知表(学校生活の記録)に入れないで欲しいと要望するようになりました。「訴訟に備えて」連絡帳に回答を書くなどということをする原告に対する親の心情として理解できましたので、母親の要望を入れ、通知表(学校生活の記録)の担任欄から原告の氏名をはずしました。

7 原告に対する授業観察
・ これまでの原告とN君の保護者とのやり取りを踏まえて、実際に原告の授業を見る必要があると判断しました。基本的に、私と副校長が下校前の学級での授業状況を教室内に入って確認しました。私も副校長も都合がつかないときは、中村主幹教諭が行いました。
 もっとも、N君や原告に限らず、生徒や授業等の様子を把握することは当然のことで、校内巡視等は管理職として通常行っていることです。

8 原告に対する課題指導
・ N君の母親からの報告や、原告の授業観察の状況を踏まえて、私と副校長で、夏季休業期間内に課題指導を行うこととしました。
 このことについては、副校長(当時)から述べさせていただきます。

9 本件について
 原告とは、私が以前勤務した城北養護学校でも一緒だったことがあります。当時は、普通の勤務状況だった記憶があります。
 今回、生徒の保護者と軋轢を起こした背景には、原告の障害児教育に対する取り組み方が影響していると考えます。定年直前にこのような結果となり残念であります。


乙第26号証

陳述書

平成28年7月15日

東京地方裁判所民事第25部乙2A係 御中

中村 良一

1 経歴等について
・昭和54年4月        東京都公立学校教員に採用
・昭和54年4月~昭和61年3月 都立城北養護学校
・昭和61年4月~平成8年3月  都立高島養護学校
・平成8年4月~平成20年3月  都立墨田特別支援学校小学部
・平成20年4月~平成23年3月 都立小岩特別支援学校 副校長
・平成23年4月~平成27年3月 都立葛飾特別支援学校 副校長
・平成27年3月       定年退職
 なお、現在は、外部専門員(非常勤)として、退職時の葛飾特別支援学校に勤務しております。

2 N君の母親について(N母の要望が妥当なものであること、モンスターペアレントではないこと)
・ 上記のように、私は、葛飾特別支援学校(以下「本校」といいます。)に赴任する前に、墨田特別支援学校の小学部に勤務し、そのときからN君やN君の母親(以下「N母」といいます。)を存じております。
・ N母は、N君が幼い頃に夫と死別し、それ以来N君及びN君の姉を女手一人で育ててきました。そのようなN母の心配事は、他の障害児をもつ保護者同様、自らが死んだ後のN君のことでした。N母は、自分がいなくなっても、障害の重いN君が一人で生きていけるようにと願い、墨田特別支援学校小学部の頃から、少しでも一人でできることを増やすため療育機関に通っていました。その甲斐あって、N君は、重い障害にもかかわらず食事や着替え、排泄など日常生活を送っていくために必要な力が養われてきました。
 そして、高等部卒業後、通所施設に通うにしても「一人通学」ができる力は、必要であるとの思いから、同小学部の頃からスクールバスを利用せずN母が送り迎えを行いながら通学練習を重ね、同中学部より学級担任と連携して「一人通学」の練習を始めました。N母は、N君の自立に向け「一人通学」以外でも、「朝の係活動」や「学習」面でも、なるべく自らの力で自主的に活動できるようになって欲しいと願っていました。そのためには、時間がかかっても、支援は最小限にとどめ、主体的に活動できる環境や指導が大切と考え、「生きる力」を育む本校の教育に期待をしていました。
 しかし、今回、そうしたN母の願いを踏みにじるような原告の対応及び姿勢にN母は、落胆しました。そこで、N母は、本校の教育、つまり学校経営計画及び校長の考えを確認するため、校長室を訪れ、そこでN母は、墨田特別支援学校での指導によりN君が大きく成長したこと、そして本校でもこれまで成長したことを大切にし、更に成長するよう事を期待している、しかし、原告の指導や対応は、これまでのN君の成長を後退させてしまうのではないかと心配し悩んでいると訴えました。このようにN母は、我が子の将来を思い、学校と協力しながら今できることを精一杯頑張っている保護者です。

3 N君の障がいとN母の母親の要望(保護者の要望をNの指導に反映させることが妥当であること、保護者の要望を鵜呑みにしたのではないこと)
 原告は、N君の母親が要求が過大なモンスターペアレントであるなどと主張していますが、全く誤っています。
①「綿密なコミュニケーションの要望」について
 自閉症のN君は、コミュニケーションに著しい障害を有しています。また、学校生活を送っていく上で多くの指導、支援が必要です。N母はこれまで培ってきた力を基に更なる成長を促すためには、これまでの日常生活に関する指導内容やN君の認知に関する実態について学級担任に十分理解してもらう必要がある考え、担任との綿密なコミュニケーションを要望しました。
 このことは、新入生を指導する担任にとっても望ましいことです。

②「砂遊び水遊びに関する要望」について
 N君は、小学部の頃から障害特性として砂や水等に過敏に反応する行動がありました。しかし、これらの行動もよく観察すると、目的意識がある時には、砂や水があっても、活動に集中することができていました。逆に、自由時間や何をするのか分からない時、目の前に砂や水、回転する物があるとそれらに反応してしまうというものでした。従って、学習や活動に関して、目的意識が促されるような指示の出し方や環境の整備が重要となります。そして、N母は、墨田特別支援学校では、これらの配慮がなされてきたので、本校でも指導や環境整備について引き続の配慮を要望しました。
 管理職は、適切な要望と判断しました。

③「ハンカチを噛むことに関する要望」について
 上記②とも関連しますが、N君は、コミュニケーションに障害があるため、自らの要求や気持ちを上手く周囲の人に伝えられないことがありました。そのため時には、ストレスが溜まり、自らの頭を叩く行動やハンカチ噛む等の行動として現れてしまうことがありました。この時、適切な指導が行われないと、自閉症の場合、「こだわる」障害特性があり、早期に適切な対応をしないと問題行動が固定化してしまう恐れがあるので、N母は、そのような兆候が見られたら適切に指導して欲しい要望しました。
 管理職は、当然のものと判断しました。

④「朝の係活動に関する要望」について
 学級内でN君が、出席簿を職員室まで取りに行くといった係を行うことは、キャリア教育の観点からみて、将来の勤労観につながる重要な指導内容です。しかし、原告は「出席簿は公簿であるのでN君には任せられない」とN母に告げました。墨田特別支援学校では、実施されていた指導であり、N君は一人でその係活動ができていたのでN母は、ショックを受けました。
 キャリア教育は、高等部において重要な指導なので、管理職は、N母の要望は適切であると判断しました。

⑤「一人通学についての要望」について
 特別支援教育の目的は、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることにあります。したがって、障害により困難があるとしても、各生徒の障害特性に応じた目標を設定し、一歩一歩、時間をかけてそれに向けた指導を行うことが求められます。一人通学指導においても、このことがまず前提とされなければなりません。すなわち、完全な一人通学の達成が容易でないとして、保護者の求めを拒否し指導しないという姿勢をとるとすれば、特別支援学校の教師としての資質に欠けると言わざるを得ません。
 一人での徒歩や公共交通機関を使って通学することは、様々な力をつけ経験の幅を広げる大きな学習場面となるほか、生徒が保護者から心理的に独立し目的を持って行動する大きな機会となります。さらに、一人通学ができることは卒業後の進路を考える上で選択範囲が広がることにつながります。したがって、一人通学は「自立と社会参加」を目指す上での大きな力となり、その力が本人の「生きる力」へとつながっていくのであって、その指導の意味は決して小さくありません。
 したがって、N母が、「一人通学」の指導を要望する事は、ごく当然なものです。

⑥「連絡帳でのやりとりに関する要望」について
 以上①~⑤の様に、ことごとく要望が受け入れられなかったので、N母は、原告が自分と異なる指導方針や考えをもって指導にあたっていると思ったのでした。そうであれば、そうした指導方針や考えを聞きたいと考え、N母は、原告の考えを知るために自らが共感した本を示しそれについての意見、感想を聞こうとしました。しかし、原告は、時間がない事を理由に本を読まずにN母に返してしまいました。本を突き返されたN母の落胆は大きかった推測されます。
 また、これら不愉快な大人同士のやり取りは、N君の思い出にしたくないとの思いから、N母は、連絡帳でのやり取りではなく別の紙に書いて欲しいと要望しましたが、これも原告から拒否されました。
 こうした原告の指導、対応がN母を感情的にさせたと思われます。管理職は、N母の心情を理解しました。

⑦「『一学期のまとめ』に関する要望」について
 体育館や音楽室等の特別教室へ一人で移動できる力は、今後N君が自立していくためには必要な力です。しかし、正確な日時の記録はありませんが、原告がN君と手をつないで教室移動している姿を見たことがあります。障害の重い生徒の中には、指示された事柄が理解できず大人に頼って行動することがあります。しかし、こうした事が重なると、自ら考えようとせず大人に頼ることで問題を安易に解決する方法を学習してしまいます。誤学習です。
 N君は墨田特別支援学校では、一人で特別教室に移動できていた事を考えると、大人と手をつないでの教室移動は、学習の後退を意味します。そこでN母は、せめてこれまで培ったN君の力が、原告の指導による誤学習によって後退させないために、原告からの指導を拒否するとともに「一学期のまとめ」(乙8)の担任氏名欄は、主担任である千葉教諭のみとするように要望をしました。
 管理職は、N母の心情を理解しました。

4 原告の指導力の不足、指導方針に誤りがあること(一人通学指導に対する認識の誤りがあることなど)

①「一人通学」指導は、「教育課程届」及び「学校要覧」「年間指導計画」「一人通学指導マニュアル」にも明記されている本校の重要な指導内容です。

②「一人通学」指導は、個々の生徒の特性を踏まえた「一人通学計画書」を作成し、付き添い通学から始めて、段階的に完全な一人通学ができるように指導するものです。
 原告は、K君の事例を挙げ「一人通学」指導の際に、必ずしも「一人通学指導計画書」が作成されるわけでないと述べていますが、K君の事例についても「一人通学指導計画書」を作成しなかったこと自体が誤りです。

③ 原告は、「安全意識の獲得は、コミュニケーション能力等の全般的な能力の向上がなければ実現するものではない」及び「N君は校内における指導で安全意識の獲得を目指す段階にあり、通学路で安全意識を獲得するとすれば、それには時間がかかる。」「「発語がないため、『赤で止まる』『青で渡る』等、安全性に関する注意事項について、理解しているか確認できなかった。」と述べていますが誤りです。
 人の記憶は、「意味記憶」と「エピソード記憶」に区別することができます。「意味記憶」とは、「リンゴは果物である」というような言葉での一般的な情報を保持しておく記憶です。「エピソード記憶」とは、特定の時や場所で起こったことの記憶です。自動車の運転や鉄棒の逆上り等、言葉で説明されてもがすぐにはできるようにならないが練習する内にコツがわかりできるようになる、これが「エピソード記憶」です。盲導犬なども訓練により、赤や青等の色についての言葉概念や左右の言葉の概念が理解できなくても信号で止まる事はできるし、歩道を歩くことができます。
 知的障害があり言葉でのコミュニケーションが困難な生徒であっても、練習を重ねる事により、自転車に乗れるようになったり箸が上手に使えるようになったりします。こうした「エピソード記憶」を活用した指導は、実地での指導が不可欠です。色や左右の言葉の概念理解が困難であっても「安全意識の獲得」の指導は可能です。事実、登校途中で、車の手前で止まることができたと連絡帳により報告されています。
 原告は、一人通学指導を実施しない理由として、言葉による「安全意識の獲得」を前提とし、コミュニケーション能力が十分育っていないことをあげていますが、これは原告の障害の理解及び指導力の未熟さの現れです。

5 管理職が原告に対して行った研修や面談は必要なものであること
・ 学校教育は、単に児童生徒と教師との関係でのみ成立するのではなく、保護者の教師・学校に対する信頼の上に初めて成り立つものです。教師は、児童生徒に対してのみ向き合うのではなく、教育公務員として保護者の意見や要望についても十分耳を傾ける必要があります。原告は、N君の母親との日常生活の指導や一人通学指導のやり取りの経過の中で、N母の要望に耳を傾ける等の担任教師としての真摯な対応を怠りました。更に、本来生徒に関する指導や身体・健康その他教育指導上の情報伝達に用いるべき連絡帳に、母親の意向に反して、一人通学に関する母親の質問に対する返事を記入し、母親の心情を踏みにじりました。こうした事実及び原告の特別支援学校教師としての指導力に対する不審が募ったことにより、原告と保護者との信頼関係が破綻したのです。
・ N母との信頼関係の破綻が何に由来するのか、原告の気付きとN保護者との信頼回復のために、原告の専門性の向上が必要と考え、原告に対する授業観察及び面談を実施しました。面談の際には、「問題解決のために」と題したプリントを提示するとともに、保護者との信頼を回復するために教材作成を指示しました。「一人通学」指導を行わなくても、他の学習指導では、専門性の高い指導ができることを示すことにより、N保護者からの理解が得られるのではないかと、管理職は考え教材作成を指示しました。しかし、原告は、面談においても、管理職の発言を記録することに終始し、自ら信頼解決に向けての考えを発言することはありませんでした。また、原告が作成した課題は、市販のワークブックをコピーした様なプリント類が多く、保護者の信頼を回復するにはほど遠いものでした。教材作成を学習3班の指導についての課題としか捉えられなかったというのは、原告の特別支援学校教師としての資質、専門性が決定的に欠如を示しているというほかありません。
・ 以上により管理職が、原告に対して行った研修や面談、授業観察は必要なものであったといえます。


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