ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜戦後日本語教育額とナショナリズム〜

2018年05月05日 00時39分50秒 | 
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…イも駒込と同じく、植民地においては、「国語=日本」という図式を根拠に、「国語」教育によって日本への同化が図られたと述べている。植民地では、「日本語=日本精神」という図式に基づいて日本語を普及し、文化的時限での非日本人の日本人化がめざされた。他方そうした日本語普及には、法制度的次元での差別を隠ぺいするという役割も課されていたと言える。また、安田と駒込は傀儡国家や占領地においても、「日本語=日本精神論」が根拠となり日本語普及が推進されたことも指摘している。ただし駒込によれば、傀儡国家や占領地での日本語普及に求められていたのは、統治理念の欠如を埋め合わせることだったという。日本語を教えることがすなわち日本精神を教えることになるならば、日本精神というものの中身の空虚さを問わずにすむからだ。

…たとえば植民地において、公の学校規則ではこの理念が打ち出され、実際の教育制度も日本語を強制し現地語を禁止するものであったが、帝国主義の統治体制すべてを見据える立場にあった台湾総督府の後藤新平は理念の実現は困難だと考えていた。植民地の人びとに対し、あたかも日本人と平等になれるかのような幻想を抱かせ、法制度的差別から目をそらさせるという期待しかもっていなかったのである。
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「戦後日本語教育学とナショナリズム」牲川波都季、くろしお出版

すべての指示を出した人、命令をした人ってのはいないし、実際問題やってみたら思ってたように進まないこともあったのだろうと思う。でも、どういった形であれば、実施したことが一人ひとりにどういった影響を与えたのか、人びとにどういった影響を与えたのか、そこから何が学べるのかということを考えないといけないのだろうな。

そして、それは何かに振り切れたり、何かを見ないことによってではなく、トータルで見ていく中でぼわっと浮かび上がってくることなんだろうなと思う。
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