ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き ~自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える

2018年08月05日 15時23分23秒 | 
社会の課題を個々人が解決しないといけないような状況に陥っている。そもそも個々人がもつ資源というのは限られるし、人によって大きく異なるといった内容に深くうなずく。そもそも無理やん、おかしいやんって状況に追い込まれている外国人はたくさんいる。別に本人、何か決定的に間違ったわけでもなくって、ほかの人もふつうにするようなミスとか選択間違いはあったりするけど。そんなんだれでもある話。

社会全体が労働力を求めていたり、消費する人を求めているにも関わらず、その人たちの生活は個々人の責任になる。施策は社会全体をどうするかということで動くが、生活は個々人の責任において行うことが求められるし、それが当たり前だと思うような教育が行われているということだろうな。

それを、そこに押し付けたら…考えようによったら、そりゃ楽やんなって話。

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権力者が暮らしやすい生活を実現する義務を免れ、人間が抱える存在の不確実性の処理が個人に託されるなか、そうした問題に取り組む責任は完全にまた直接、か弱い個人が背負うことになり、その一方で、存在にかかわる苦痛と苦難に対処することは、それを被るものが自力で行うDIYの作業とされている。社会が個人生活における偶発的な事態を集団的に保障するという約束を取り下げてしまったために、社会が生み出した諸問題に対策を講じ、解決策を求めるのは今は個人の仕事になっている。そうした状況に置かれた個人は非常に不十分な自らの資源に頼らざるを得ないか、そうなる危険に直面している。
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ジグムンド・バウマン「自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える」青土社



個人化、自己責任が強い中でどんなセーフティネットを作るかということを考えないといけない。
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