今日、日本語のボランティアと活動が終わってからじっくりと話。地域のにほんごは補償教育なのか、それとも生涯学習なのか。交流活動なのか学習活動なのか。最初に活動の目的があるべきか、学習者のニーズをしっかりと聞くべきなのか...などなど。で、結局、最後に出た結論は地域のにほんごでは多様な要素が混在していて、一つの切り口では整理しきれないということ。
ただ、それが一つの現実なんだけど、予算や研究、業界としての位置づけなどが入ってくると、どこかにすみ分けさせられてしまう。で、最初は便宜的に位置づけていたものが、いつの間にか本当に一つの機能しか果たさなくなる。その過程って発展しているようで、実はいろんな可能性をなくすんやろうなって思った。
酔っぱらいなので、話の書き方が乱暴だけど、そんなことを感じました。
ただ、それが一つの現実なんだけど、予算や研究、業界としての位置づけなどが入ってくると、どこかにすみ分けさせられてしまう。で、最初は便宜的に位置づけていたものが、いつの間にか本当に一つの機能しか果たさなくなる。その過程って発展しているようで、実はいろんな可能性をなくすんやろうなって思った。
酔っぱらいなので、話の書き方が乱暴だけど、そんなことを感じました。