ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

不適切

2024年07月18日 23時15分05秒 | 当事者
何回管理職として、経営者として不適切だと言われたことか。多分、そう思われたことなんて数えたことないけど、とんでもない回数になると思う。

でも、それでも、根拠もまったくないけど、うまくいくと思えるかどうかが大事なんだと思う。思えないと時間も労力もかけてろうなんて思えないし、いろんなことがうまく回り始めない。回らない、はまらないと思ったら絶対にいつまでもハマらないし回らない。

あとは批判などをしっかりと受け止めることは大事やけど、それに一喜一憂しないことかな。

まだまだやれることがあるはず。
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正しく潰す

2024年07月18日 22時50分38秒 | 当事者
ショックは受ける。現実から始めるしかないと分かっていても、ショックは受ける。

みんな、隣の人のこと、嫌いなんや、縁とかではなく、だれのポリシーがええか、そんなことで戦うんか…と。

でも、そうつくってきてしまったということか…。それに凹む。

少なくとも、また人を潰さないように、「正しく潰す」ことが行われないように、またやれることをやっていくしかないわな

葛藤は必ずついてくるし、葛藤のないところには交流もないのかもしれない。心地よい、すっきりとする、歯切れのよい多文化共生は多文化共生というよりも、どこかの立場で語るものでしかなく、それは否定はされるべきではないけど、多文化共生ではないんやろうな。

さすがに疲れてぐったりする。眠い。

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きれいごとではない多文化共生

2024年07月18日 22時41分51秒 | 当事者
多文化共生はきれいごとで語られることが多いけど。考えや生活習慣や言葉や宗教が違う人との共生は本当に難しい。ともにあるぐらいしかできないこともある。

だって、そういうことを推進しようとしている職場でさえ、あの人の考えは…とか、あの考え方はおかしい、古いなんて話が普通に出る。

多様性や多文化共生の考え方について、どれが正しいかなんて議論が普通に行われる。いや、行われるときはまだましかもしれない。分断や抑圧がいたるところに多様性とセットで存在している。

許す、流す、受け入れる、目をつぶる、違うことを受け入れる…なんてことがないと、すぐ隣の人とも争いなく過ごすことはできない。争いがなければ、それで良しかもしれない。多文化共生は…その程度にしてこそなのかもしれない。


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