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★中村粲先生を批判する藤岡信勝元教授

昭和史研究所代表で獨協大学名誉教授の中村粲先生(日本教育再生機構代表委員、教科書改善の会賛同者)が6月23日、肺がんのため逝去されました。偉大なる業績と人格に深く敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
中村粲先生は「新しい歴史教科書をつくる会」ができるずっと前から教科書改善運動をリードされてきました。
 
★渡部昇一、小堀桂一郎、中村粲…教科書改善の先達を大事にしましょう←クリック
 
「つくる会」会長の藤岡信勝氏(元拓殖大学教授)は中村粲先生や渡部昇一先生(日本教育再生機構顧問、教科書改善の会世話人)を“彼らは大東亜戦争肯定史観だ。私は自由主義史観だ。司馬史観なんだ。健康なナショナリズムだ”と批判してきました。
 
藤岡信勝元教授の著書の記述を資料として掲載します。中村粲先生の名著『大東亜戦争への道』について“東京裁判史観と同じ善玉・悪玉史観だ”と指摘しています。
 
特にコメントは付しません。保守を自任する方々は、これを読んで、ご自分が「つくる会」・藤岡元教授の「自由主義史観」(≒司馬史観)に立つのか、中村粲先生・渡部昇一先生の史観に立つのか判断してください。
藤岡信勝著『近現代史教育の改革―善玉・悪玉史観を超えて』(『自由主義史観とは何か』のタイトルで文庫本化)より抜粋。

三 善玉・悪玉史観としての共通性
 中村粲『大東亜戦争への道』の内容は、全編にわたってほぽ百パーセントの日本弁護論である。日本は悪くなかった、ということがいたるところで「証明」される結果になっている。日本がかかわった戦争の責任は常に、侵略的な欧米・ロシアや、守旧にこりかたまり堕落した朝鮮や中国の王朝の側にある。時代が下れぱ中国の排日・侮日の運動であり、コミンテルンの陰謀である。
 この図柄はどこかで見たものである。然り、戦前の日本の歴史教科書がこういう書き方だったのだ。たとえば『初等科国史』(一九四三年版)の「満州事変」の記述は次の通りである。
(略)
 中村の『大東亜戦争への道』は、この戦前の国定教科書と全く同じ論理で書かれている。個々の文章の引用よりも、「第十章 満州事変」の最初の二つの節の小見出しだけを掲出してみよう。
 「第一節 満州緊迫、柳条溝事件ヘ――幣原外交と田中外交/「革命外交」の登場/支那の関税自主権を承認/満州赤化と排日暴動/革命外交で排日激成/「打倒日本」を怒号する支那/事件の勃発/満州事変は結果である」
 「第二節 四半世紀の累積因――満鉄包囲鉄道の完成/商租権の侵害/排日教育の徹底/日支懸案、実に三百件/実力行使を誘発した中村大尉殺害事件」
 『初等科国史』の記述を裏付ける事実がふんだんに書き込まれている。そして、それだけである。悪いのはすべ「海外の諸国」であり、日本だけは少しも悪くないというのである。
 「東京裁判史観」ではどうであったか。悪いのは日本だけである。他の諸国は少しも悪くなかったか、または日本の侵略の被害者であった。この見方は一面的であり公正さを欠く。拒否すべきだ。しかし、だからといって日本だけが正しかったというのもこれまた空想的である。英、米、中、ソがそれぞれの国家意志をもち、彼らの国家行動に悪の要素が含まれていたことを認めることはいい。その中にあって日本だけは悪の要素を含んだ国家意志を少しももたなかったのだろうか。日本だけがあたかも「平和の天使」の如き存在だったのだろうか。そんなことは考えられない。
 結局、中村の歴史観は、「東京裁判史観」の裏返し、ちょうどその図柄のネガ・ポジを反転させたものになっているのである。
 
四  「大東亜戦争肯定史観」の墓本的性格
 歴史家・秦郁彦は、アメリカが対日石油禁輸という強硬策をとったことについて、「そうなるのを知りつつ、日本が南仏印へ進駐して禁輸の口実を与えたのは、正義、不正義の次元で論ずべきではなく、賢か愚かで判定すべきものであろう」と言う。
 ①正義―不正義
 ②賢―愚
 この二つの次元を区別して歴史を見ることは極めて重要である。日本の大陸における行動も、当時の国際社会の行動規範にてらして、それほどはなはだしい不正義を意味するものではなかったことが証明されるかもしれない。日本だけが専ら悪者にされてよいはずがない。中村の著書の主要な目的は悪者にされた日本の名誉回復である。それはそれでいい。すでにのべた通り逆の単純化があるとしても、日本になすりつけられた不当な非難をとり除くことは必要である。
 しかし、もっと重要なのは②の観点に立った歴史の評価である。かりに日本の行動が当時の水準からみてそれほど正義にもとるものではなかったとしても、満州事変は愚かな行動であった。なぜそういう愚かな行動に走ってしまったのか。②の次元を設定することによって探究はその方向に進む。愚行を再びくり返さないための教訓が引き出せる。ところが、中村の論述は、この方向には向かわない。たとえば満州事変について中村は次のように書く。
 「日支関係の悪化の原因は、ひとり幣原あるいは田中の政策に帰すべきものにはあらずして、支那と云ふ統制なき隣国をもった日本の不運と云ふべきであらう」。
 これでは何の教訓も得られない。一種の宿命論である。この部分に中村の論の性格がよくあらわれている。中村は②の次元にそっての、より賢いふるまい方、政治家の結果責任に対応するよりすぐれた政策の探究という課題にはそもそも関心がない。中村の論理においては、支那の不当と日本の正当が証明され傷ついた自我をいやすことさえできればそれで満足なのである。そのことは終章の次の要約部分によくあらわれている。
 「支那事変は特殊な例であり、国防とも生存とも関係なかった。それは挑発されて起した軍事行動であり、挑発した支那側の膺懲が目的であって、我が国家民族の安全と生存といふ切実な要請から発した対外行動ではなかった。さうなればこそ、我国はこの無意味なる事変を速かに終息せしめんと百方努力したのであるが、逆にABCD包囲陣に我国の生存事態が脅威されるに至ったため、已むなく自存の道を求めて南方に進出し、遂には包囲陣を打破して自存自衛を全うせんがため、対米英蘭開戦に踏切ったのであった」。
 「国防とも生存とも関係な」い「無意味」なことなら、挑発されてそういう行動に踏み込むのは、まさに愚の骨頂ということになるはずである。売られたケンカを買うために一家の財産を全部犠牲にしたようなものである。このケンカは「売られたものである」(支那の挑発、コミンテルンの工作)ということを論証すれば小さな範囲で正義は弁じうるかもしれないが、そんなことのために一家の財産をスッてしまう愚かさを帳消しにすることはできないのである。
 中村のものに限らず、「大東亜戦争肯定史観」の本質的性格は、傷ついた魂の慰めという後向きの(だが不必要とはいいきれない)機能にこそある。一見したところ誤解されやすいのだが、それが真の国益や、生存のためのリアリズムとは本来的なかかわりをもたない歴史観であるところに、この歴史観の最大の問題が伏在しているのである。
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