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★岡崎久彦に屈した西尾幹二-初版本に戻るんじゃなかったの?


「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社から検定申請していた中学歴史教科書が516カ所もの欠陥が指摘されて不合格になった後、やっと合格しました。その記述は「細かな文章表現まで扶桑社版とほぼ同じ内容になっている」(朝日新聞 4月9日付夕刊)のだそうです。
 
いやそんなことはないだろう、あれだけ勇ましいことを言っていたんだから、と思いましたが、やっぱりほとんど扶桑社版のコピーだそうです。「しんぶん赤旗」に対照表←クリックが掲載されていますが、主要部分の違いはこの程度です(どうして日本共産党は自由社版の白表紙本を持っているのでしょう? まさか「つくる会」中枢にスパイがいるということはないでしょうね)。
 
毎日新聞 4月9日付夕刊によると、検定では第二次世界大戦に関する「日本軍も(略)侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待を防ぎきれなかった」との記述が「理解し難い表現」と指摘され、自由社は「(略)不当な殺害や虐待をおこなって多大な惨禍をのこしている」と修正したのだそうです。
 
この部分の扶桑社版の表現は「不当な殺害や虐待を行った」(p214)ですから、自由社版は「多大な惨禍をのこしている」を追加したことになります。「多大な惨禍」…村山談話にある「多大の損害と苦痛」のことですね。自由社版は扶桑社版より悪くなったのです。
 
というわけで、前のエントリーで書いたことは私たちの買いかぶりでした。「つくる会」は「南京事件の犠牲者はゼロ」も「慰安婦強制連行はなかった」も書かなかったのです。検定で削除されたのではなく、最初から。
 
そもそも「つくる会」は今回、初版本(平成13年春に検定を合格した最初の「新しい歴史教科書」)に戻すのではなかったのですか?
 
退会したと何度も表明しながら影響力を行使しまくっている初代会長、西尾幹二氏は自分のブログの「小さな意見の違いは決定的違い」という文章で、現行版(平成17年春に検定を合格した「改訂版 新しい歴史教科書」)は岡崎久彦さんがリライトしたからけしからんと、次のように書いています。
 
二つの教科書は他のあらゆるページを比べればすでに完全に内容を異とする別個の教科書である。初版本の精神を活かしてリライトするという話だったが、そんなことは到底いえない本になっている。
「つくる会」の会員諸氏もページごとに丁寧に両者を比較しているわけではないであろう。リライトされ良い教科書になった、と何となく思いこまされているだけだろう。

 
この文章を収録した『国家と謝罪』(徳間書店)という本には「初版本の精神を抹殺した第二版本」 という小見出しが付いています。
 
ブログのコメント欄には西尾幹二氏の支持者が「今後『つくる会』は、少なくとも旧版の歴史教科書のように、日本の立場から見た歴史を内容とする教科書を復活させなければ、会を続けていく意味がありません」「『つくる会』創立当初の理念を明らかにし、初版本の精神に立ち返り、いや、初版本そのものを復活すればよいのである」などと威勢のいい賛同のコメントを書き込んでいます。
 
しかし、結局は初版本に戻るどころか、現行版を微修正しただけでした(もちろんこれは扶桑社の著作権を侵害しています)。西尾幹二氏は岡崎久彦さんに膝を屈したのです。岡崎久彦さんは扶桑社版の監修者として巻末に名前が出ていますが、もしかしたら自由社版にも出ているのでしょうか? そして、扶桑社版の執筆者になっている西尾幹二氏は…自由社版の執筆者に残るという屈辱に耐えるのですね。
 
<資料>リライトをめぐる岡崎久彦さんの文章
■Voice平成17年5月号「『新しい歴史教科書』は90点」
 ただ厳しいことをいいますと、これまでの『新しい歴史教科書』にも問題がありました。それは「この前の戦争はすべてアメリカが意図的に仕掛けたものである」という筋書きが背後にあったことです。これは幕末のペリー来航のところから一貫していて、たとえば不平等条約をペリーが砲艦外交で無理やり押しつけて日本人が反発したかのように書いています。
 しかしそれは事実と反します。日米条約ができたとき、これを「不平等条約」だと思った日本人はほとんどいなかったでしょう。ただ「夷狄が勝手に日本を歩くのはいやだ」と感じただけのことです。不平等条約に対し、幕末の国民が怒って抵抗したなどという、バカな話はありません。
 また、第一次世界大戦が終わって大正から昭和に入るあたりに「オレンジ計画」に関する記述が出てきますが、これもおかしい。「オレンジ計画」はアメリカの日本に対する作戦計画ですが、当時のアメリカは、イギリスに対する計画は「赤計画」、メキシコに対する計画は「緑計画」などと、さまざまな計画を立てています。参謀本部たるもの、あらゆる状況を仮定して作戦を立てておくのは当然です。そのころからアメリカは日本との戦争をしようと思っていた、というふうに書くのは間違いです。
 「白船事件」という項に至っては、そもそも「白船事件」という言葉自体、私は聞いたことがありません。この教科書がつくった言葉でしょう。1908年にアメリカ艦隊が日本にやって来たことを指していますが、あれは白船「訪問」で、「事件」ではありません。日本側のあとの受け入れは大成功でした。アメリカ側も素行の悪い水兵はいっさい上陸させず、日本との友好を大事に考えています。それを、パリの新聞あたりを引用したり、日本人は「心の底からアメリカをおそれていた」などと書いている。
 しかも、1908年の出来事ならば、日露戦争の直後に記述すべきなのに、ロシア革命の説明が終わったころ、オレンジ計画と並べて第二次世界大戦前後の時期にもってきている。つくり手の意図を感じます。
 さらに韓国併合の項で、「イギリス、アメリカ、ロシアの3国は、朝鮮半島に影響力を拡大することをたがいに警戒しあっていた」とありますが、これは「白表紙」のウソが残っています。イギリス、ロシアはともかく、アメリカは関係ありません。それなのに無理やりアメリカを入れている。ペリー来航以来、アメリカが日本にどんどん圧力をかけ、計画的に戦争に持ち込んだという話にもっていこうとしているのです。
 まあ、いままでのひどい教科書の独占を打ち破るには、蛮勇に近いエネルギーが要ったことはわかりますが、こんなところでエネルギーを出す必要はありません。
 最近若者のあいだに、反米意識をもつ者が増えています。これは『新しい歴史教科書』の影響ではないか、と思うほどです。
 
■中央公論平成17年6月号「教科書問題に火をつけた日本国内の人々を非難する」
 これまでの改訂前の『新しい歴史教科書』には、私が正面から議論するに足る問題点があったということである。
 私が問題だと思ったのは、その底に反米思想が流れていたからである。
 第一次大戦も終わって、次の大戦までの戦間期の記述の中に、「日米関係の推移」という章があった。そこでは、米国の対日人種差別の記述の中ほどに、対日作戦、オレンジ計画の記述があった。
 米参謀本部は世界中のあらゆる強国に対する作戦計画を常時持っていた。イギリスに対しては、レッド計画、メキシコに対してはグリーン計画であり、それは参謀本部としては当たり前の話である。それをわざわざ日本に対する計画だけ取り上げて、米国はその時から日本と戦争する気があったような印象を与えている。
 その意図は、その直後に「白船事件」という項目が置かれているところからもわかる。そもそも私は白船(ホワイト・フリート)「事件」なる表現は寡聞にして聞いたことがない。それは白船「訪問」である。実態は、マハンの海上覇権理論に共鳴したセオドア・ローズベルトが大建艦計画を実行し、出来上がった艦隊を世界に誇示するため世界一周を計画したものであり、フランスの新聞あたりが、日米戦争必至などと書いたことはあったらしい。
 しかし小村寿太郎外相は、これを日本に招請し、ローズベルトは喜んでこれを受け、訪日した艦隊は強烈なる歓迎を受けて日米友好ムードは大いに盛り上がっている。これは友好的訪問の成功であり、だれも「事件」だなどといっていない。しかしこの歴史教科書は日本側の歓迎ぶりについて、「日本人のみせたこの対応は、心の底からアメリカをおそれていたことを物語っている」と、極めて主観的、一方的な解説をつけている。
 大東亜戦争直前の日米交渉についても、「日本はアメリカとの戦争をさけるため、この交渉に大きな期待を寄せたが、アメリカは日本側の秘密電報を傍受・解読し、日本の手の内をつかんだ上で、日本との交渉を自国の有利になるように誘導した」とある。
 そもそも、日米交渉のどの局面で暗号解読されたことが日米関係の帰趨に関係あったのか具体的に書いていないし、これを聞かれてもおそらく返答に窮するであろう。 
 日本側の方に平和的解決の意図があったという前提で書かれている文章らしいが、それなら手の内をつかまれても交渉の妥結に悪影響があったとも思われない。アメリカ側が、なんとしても戦争に持ち込もうという一貫した意図があったという前提でないと理解できない文章である。
 国際政治を学ぶ者として、フランクリン・ローズベルトが、1937年の隔離演説以来、米国民をドイツ、日本との戦争に誘導しようとしたことは真実であると思っている。しかしアメリカの政治は大統領一人で動くものではない。1941年半ば頃の時点で、ローズベルトの意図と暗号の解読を結び付けるのは無理である。
 今度の改訂後の『新しい歴史教科書』ではこのような反米的な記述は全部削除されている。
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 実は「つくる会」という名称のアイデアを出したのは私だったように記憶するが、立ち上げの集まりにおいて、これから大衆運動をするというので、当時私は近代政治外交史5巻本の執筆にとりかかっていたこともあり、大衆運動には加わらないという私の原則的な考えもあって、「つくる会」の活動にはその後参加しなかった経緯がある。
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 ここで私が今回この問題に関与した経緯を若干ご説明しなければならない。
 去年の初め頃だったように思うが出版社から短い手紙が届いた。趣旨は、近く『新しい歴史教科書』の改訂版を出すのでお気づきの意見があればご連絡いただきたい、ということで、たしか、週の半ばに手紙が着いて、回答は週末までというようなことだった。一種儀礼的な挨拶状であり、意見といってもその本旨はせいぜいミスプリントの指摘ぐらいを期待している文章だった。
 私はちょっと気になって、藤岡先生に電話して、「本当に直す気があるのなら、私には若干意見はあります」と申し上げた。そうしたらば、藤岡先生と出版社の人が直ちに見えてそれから2日間私の意見を聞いて下さった。
 それは私にとっては感動的だった。「つくる会」発足以来私は何の協力もしていない。外から見れば、その活動を白眼視していると思われても弁解の余地もない。そんな私の意見を2日間にわたって聞いて、それを教科書に反映させて下さった度量の広さ、良い教科書を作ろうというひたむきな姿勢には心を打たれた。
 そのうちに私を監修者の名に加えてもよいかとのお話があり、監修者となると中立性の問題があり、これを支持する言論が制限されるのを危ぶんだが、その心配はないということなのでお引き受けした。
 
■産経新聞平成18年8月24日「正論」欄「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」
 過去4年間使われた扶桑社の新しい教科書の初版は、日露戦争以来アメリカは一貫して東アジアにおける競争者・日本の破滅をたくらんでいたという思想が背後に流れている。そして文部省は、その検定に際して、中国、韓国に対する記述には、時として不必要なまでに神経質に書き直しを命じたが、反米の部分は不問に付した。
 私は初版の執筆には全く関与しなかったが、たまたま機会があって、現在使用されている第2版から、反米的な叙述は全部削除した。
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