絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part7

2012年11月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦


「諸君!
 2週間の特別休暇を与える」

今回はお休みでっす。


不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館

















イギリス艦英雄列伝

駆逐艦コサック…といっても、日本人には
ピンとこない。しかし、イギリス人には
捕虜救出作戦の立役者として、忘れられない
存在となっている。そして、日本もちょっぴり
関係してくる…となれば、少し脱線するのも
無駄ではないような気がしてくる(自己弁護)。

その捕虜救出作戦は、一般にはアルトマルク号事件と
呼ばれている。

1940年2月、ドイツ海軍の補給艦アルトマルクは
ドイッチュラント級装甲艦(ポケット戦艦といった方がなじみがあるが)
アドミラル・グラーフ・シュぺーが拿捕・撃沈したイギリス商船の船員
約300名を乗せ、祖国ドイツへ向かっていた。


アルトマルク

アルトマルクは第二次世界大戦が始まると、
グラーフ・シュぺーの通商破壊作戦を支援する任務に
就くこととなった。グラーフ・シュぺーは沈めた商船の
船員を救助すると、アルトマルクに移乗させ
彼らの面倒をみるようにさせていた。
しかし、肝心のグラーフ・シュぺーがイギリス艦隊の
攻撃で損害を受け、逃げ込んだ先の南米ウルグアイの
モンテビデオ港で自沈すると、アルトマルクは捕らえた
イギリス船員とともにドイツに帰還することになった。

イギリスの北から中立国ノルウェー沿岸を通り、ドイツへ戻る
ルートであったが、ノルウェーの沖合を航行中にイギリス
哨戒機に発見されてしまった。
イギリス海軍は、これまで収集した情報からアルトマルクに
多数のイギリス船員が拘束されていることを把握しており、
駆逐艦コサックにその奪還を命じたのだった。
コサックはただちに追跡を開始し、アルトマルクを捕捉した。
危険を感じたアルトマルクは、全速力でノルウェー領内の
フィヨルドに逃げ込んだのだが…


駆逐艦コサック Wikipedia

翌日(2月16日)の夜、執拗な追跡を行う駆逐艦コサックは
アルトマルクに急接近し、強行接舷を敢行する。
22時20分、イギリス水兵はアルトマルクに突入し、
白兵戦を展開、ドイツ水兵の抵抗を排除しイギリス船員の
解放に成功した。

ドイツ側の損害が戦死4・負傷5であったのに対し、イギリス側は
負傷1の完勝だった。
※死傷者数については、資料によって相違がある。

領海侵犯をされたうえ勝手にドンパチされたノルウェーは、
イギリスに抗議しただけで対抗措置はとらなかった。
いかに中立国とはいえ、老大国イギリスに手は出せなかった
のだろう。

Wikipedia
事件後、ドイツ人戦死者を埋葬するための葬列。
後方に艦名を入れたアルトマルクの姿が見える。

駆逐艦コサックの快挙に、イギリス国内は
わきたった。
ドイツの快進撃に比べて、華々しい戦果の
ないイギリスにとって、この事件は国民の士気を
鼓舞するのにはうってつけだったのだ。

一方、ヒトラーは強い危機感をもった。
イギリスは中立国ノルウェーに軍事侵攻を
するのではないか、もしそれが実施されれば
スウエーデンの鉄鉱石に依存するドイツは、
輸送ルートを完全に遮断される…と。

この事件は、ヒトラーにデンマークとノルウェーの
軍事侵攻を決意させる要因となったといわれている。

一隻の駆逐艦が歴史を動かした…壮大だ。

その後のコサックは、どうなったのだろうか。
1940年4月ドイツのノルウェー侵攻に対し、
ナルヴィク周辺海域でコサックを含むイギリス艦隊と
ドイツ駆逐艦隊とが交戦、ドイツ側は全滅した。
しかし、コサックも被弾・大破し、海岸に乗り上げて
なんとか沈没を防いだ。
ビスマルク追撃戦では、数度にわたり
魚雷攻撃を敢行している。
命中こそなかったが、ドイツ側を疲労させ
翌日のイギリス艦隊の攻撃を容易にした。

1941年10月23日、ジブラルタルからイギリス本土へ
向かう輸送船団を護衛中、Uボートの雷撃を受け損傷、
27日曳航作業中に沈没した。

一方のアルトマルクは…というと、事件後半年ほどで
ウッカーマルクと艦名を変更している。

1942年9月、日本に向けて出航し11月24日に
横浜港に到着したが、30日同港において整備
作業中に突如大爆発を起こした。
ウッカーマルクの周囲には、ドイツ海軍の仮装
巡洋艦トールやオーストラリア客船(拿捕船)、
日本海軍の徴用船が停泊していたが、すべて
破壊された。
そのうえ横浜港の港湾施設にも甚大な被害を
与え、犠牲者もドイツ人乗組員を含め102名に
なってしまった。
現在であればこのような大事件は新聞一面トップの
ニュースになるのだろうが、戦時中であったため
軍部によって極秘扱いとされ、マスコミによって
報道されることはなかった。

爆発の原因は、ウッカーマルクの油槽内にたまった
ガスが、付近で行われていた修理の際に使われた道具の
火花によって引火したとも、また作業員の喫煙によるもの
ともいわれているが、詳細は不明のままとなっている。


書籍中央に当時の惨状を記録した写真がある。
写真中央で黒煙を吹き出しているのがウッカーマルク
(アルトマルク)で、ほとんど原形をとどめていない。
奥左に(ちょっとわかりにくいが)ドイツの仮装巡洋艦トール、
傾いたマストの手前の船は、日本海軍の徴用船で
その破壊状況のすさまじさが伝わってくる。

なお、生き残ったドイツ人乗組員は箱根の旅館に宿泊し、
戦後祖国へ帰還した。


ボックスアートの右側に見えるのが
おそらくアルトマルクだろう。

ナルヴィクにおけるイギリス艦隊の戦闘映像。
http://www.youtube.com/watch?v=5d_S1IFyb9M

イギリス艦英雄列伝パート2



相当レトロなスタイルにもかかわらず、
サン・ナゼール港に対する襲撃作戦の立役者として記憶されている
駆逐艦キャンベルタウン。

もともとは、1919年に造られたアメリカの駆逐艦ブキャナンで、
第二次世界大戦が始まるとイギリスに貸与されて、
駆逐艦キャンベルタウンとなった。

参考資料

アメリカ海軍時代の駆逐艦ブキャナン。
直立した4本煙突がレトロさを感じさせる。






サン・ナゼール港での戦闘の様子が、うまく
イメージされている。
後方のクレーン、樹立する水柱、交差する
サーチライトなど、襲撃作戦の事実を知らなくても
港湾での戦闘だということが一目瞭然だ。
老兵が英雄になった瞬間をとらえた
すばらしい作品といえる。

サン・ナゼール襲撃作戦とは‥
Wikipedia
赤丸部分がサン・ナゼール

フランスの港湾都市サン・ナゼールには、
戦前に巨大な乾ドックが造られていた。
これはフランスが国威をかけて建造した
超大型の8万トン級豪華客船ノルマンディーの
ためのもので、当時西ヨーロッパ最大の
乾ドックでもあった。

Wikipedia
フランスの豪華客船ノルマンディーと
サン・ナゼール港の乾ドック。

ドイツのフランス侵攻で、フランスが
敗北するとサン・ナゼールは
ドイツ海軍の重要な基地となった。
しかもこの地の乾ドックは、ドイツ
海軍最大のビスマルク級戦艦の
収容も可能であった。
大型戦艦の母港ともなれば、
大西洋海域ににらみをきかせる
ことができるわけだ。

1942年3月、イギリス軍はサン・ナゼール襲撃作戦を
開始した。ドイツの大型戦艦ビスマルクは、すでに撃沈
されていたが、姉妹艦のテルピッツは健在であり、イギリスは
同艦の大西洋進出に神経をとがらせていた。
サン・ナゼール港の大型乾ドックを破壊すれば、テルピッツの
母港化を防ぐことができる。
このとき、閉塞船として選ばれたのが旧式駆逐艦キャンベルタウンで
あったのだ。

コマンド部隊を乗せた艦隊は、ドイツ軍艦旗を掲げ堂々と港内に侵入
したが、これを見破ったドイツの海岸砲台から激しい砲火が加えられた。


Wikipedia

キャンベルタウンは上図左側港湾から進入し、赤丸部分の乾ドック扉に
突っ込んだ。扉は損傷したものの崩壊はしなかったので、ドックの
使用は可能であった。しかし、キャンベルタウンにはとんでもない
仕掛けがしてあったのだ。

艦内に時限爆弾がセットされており、乗組員が退避し戦闘が
一段落したあと突然爆発したのだ。
これで乾ドック扉は破壊され、ドックは使用不能になってしまった。
しかも、キャンベルタウンという戦利品を調査中の多くのドイツ兵も
道連れにして…

Wikipedia
サン・ナゼール港の乾ドック扉部分に乗り上げた
キャンベルタウン。のちに艦内の時限爆弾が
爆発し、乾ドックは使用不能となった。


Wikipedia

上は、襲撃作戦の数ヶ月後に撮影された乾ドックの航空写真。
ドック左側扉部分は土砂で埋め立てられ、ドイツ側の
応急措置の様子がわかる。
ドック内中央部分には、キャンベルタウンらしき残骸が見える。
ドック扉が爆破された結果、流入した海水によって運ばれたのだろう。
この残骸をよく見ると、艦首部分がなくなっているので、
ここに爆薬をセットしていたようだ。
艦を自爆させようとは、ドイツ側もまったく予想して
いなかっただろう。

最後に、かつてこの乾ドックの主だった豪華客船ノルマンディーは
どうなったのであろうか。
第二次世界大戦の勃発で、ニューヨーク港に係留されたまま
になっていたが、アメリカの参戦により兵員輸送船に改造されることに
なった。その工事中に火災が発生し、ついに船全体を覆う大火災へと
拡大した。当然のことながら消火活動が展開されたが、放水された
水が船内に流入しバランスを崩して、とうとう転覆してしまったのだ
(8万トンの巨船が転覆するなんて、どれだけ放水したのか!)。

その後、引き揚げて空母に改造する案もあったが、その巨体ゆえコストも
バカにならず結局放置され、戦後まもなくスクラップになってしまったという。

イギリス軍のサン・ナゼール襲撃の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=bbC-OwVwCQg










キング・ジョージ5世と同型艦が
プリンス・オブ・ウェールズだ。


太平洋戦争開戦時には旧式化していたとはいえ、
日本海軍には脅威となっていたレパルス。

上記2艦といえば…マレー沖海戦が連想される。


Wikipedia
沈没直前のプリンス・オブ・ウェールズ。
現場の緊迫した状態がジカに伝わってくる。


Wikipedia
このポスターの搭乗員は、俳優の藤田進ではないかと思う(?)。
テレビの『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』に
長官役で時々登場していた。
脇役ながら存在感があって、軍服がよく似合う人だった。
映画『トラ・トラ・トラ!』では、闘将山口多聞司令官役がよかった。


Wikipedia

「眞珠湾撃滅!」
勇ましい言葉が躍る当時のポスター。
特殊技術・圓谷(円谷)英二の名前も…
東宝映画特撮の原点が、ここにある。

映画『ハワイ・マレー沖海戦』より
大日本帝国海軍航空隊による
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス攻撃シーン。
ホンモノの陸攻が多数登場するところは、さすが海軍省
後援の賜物。
http://www.youtube.com/watch?v=vE6_s1Tg0Ps



当時のニュース映画より、プリンツオイゲンの勇姿(音声なし)。
http://www.youtube.com/watch?v=pPmkOtSveXY



1960年公開の映画『ビスマルク号を撃沈せよ』から、
ビスマルク、プリンツ・オイゲンvsプリンス・オブ・ウェールズ、フッドとの
砲撃戦シーン。
結果は、フッド轟沈、プリンス・オブ・ウェールズ被弾大破でドイツ側の
勝利となった。
http://www.youtube.com/watch?v=9vRRNkfj-mM





オマケ


下は、中央公論社で復刊したときのもの。

Uボート艦長の多くが戦死しているので、
艦長自らの著作というのは、きわめて
貴重な存在だ。
連合国側の対潜能力が向上すると、
Uボートの損害は急上昇する。
一度沈没すれば、乗組員の生還は
期待できない。
まさに「鉄の棺」だ。





元ドイツ海軍報道班員で
Uボート搭乗取材をしていた
人物の作品





映画『Uボート』のポスター。
荒れ狂う波に翻弄されるUボートの
雰囲気がエエなあ。

映画『Uボート』より Wikipedia

一見ゲバラ的風貌のオジサンたちは、
過酷な海中勤務(?)を黙々と遂行する
勇敢なUボート乗組員たち。

従来のハリウッド映画などで描かれていた
Uボートとはまったく別次元の作品で、
その完成度の高さが評価される。
しかもドイツ人俳優の出演で、よりいっそうの
リアルさが体感できる(ただ、ドイツ兵の会話が
英語だとシラケてしまう)。

また、映画では「音」が効果的に使われていた。
駆逐艦から発せられるソナー音、スクリューの
水切り音、爆雷が炸裂する音、水圧で艦内が
ギシギシ締め付けられる音、これら恐怖の音が
狭い艦内にあふれかえる。
乗組員はこの恐怖から逃れる術をしらない。
ひたすら耐えるだけだ。

ほんの少しの幸運に、すべてを賭けるのみ。
まさに生と死は紙一重の世界だ。
水圧の影響で艦内のボルトが
はじけ飛ぶシーンなど、この地獄から
生還した者の体験談がなければ、とても
想像がつかない。

映画『Uボート』全編を見たい人は、こちら…
http://www.youtube.com/watch?v=2iMWb8nEOG4&feature=fvwrel

ドイツ週間ニュースより、アメリカ合衆国沿岸で
活躍するUボートの映像。
http://www.youtube.com/watch?v=puGBBrYzFtY&feature=related


ところで、日本製プラモでけっこう
いい感じのUボートがあった。
ニチモのこれがそうだ。
高荷先生の腕が冴えるのう。



こちらは格納式レーダーを装備しており、
ハイテク艦の風味がしたナ。

一方、日本の潜水艦ものとして…

遣独潜水艦作戦をテーマと
したもの。

第二次世界大戦中、日独間の
輸送作戦に潜水艦が使われた。

当初ドイツ側は日本占領下の
東南アジアに貨物船を送り、
生ゴム・ボーキサイトなどの
戦略物資を輸送していたが、
連合国の哨戒が厳しくなり
輸送が困難になっていた。

一方の日本もドイツのハイテク
兵器・電子機器などの情報を
手に入れたいと考えており、
潜水艦による輸送作戦を
実施することになった。
これを遣独潜水艦作戦といい、
5回実施された。
1および2回目は往復に成功したが、
それ以外はすべて撃沈されてしまった。
また、1回目の輸送作戦も日本への
帰路の途中に立ち寄ったシンガポール港で
味方の機雷に触れ沈没、積んでいた新型
レーダーの実物と図面等が使用不能状態に
なるなどの事故も発生している。

参考資料

昭和45年11月増刊号


唯一の完全成功例が、第二次遣独艦の
伊号第八潜水艦で、昭和18年8月31日
フランス・ブレスト港に入港した。

上記左側が、日本海軍将兵のパリ市内観光時の写真。
当時ドイツ占領下のパリでは、日本がヨーロッパに
増援部隊を送り込んできたというウワサが飛び交ったらしい。

遣独潜水艦作戦に関する余談だが、習慣の違いから
宿泊先のホテルでとんだ騒ぎも発生している。
それは入浴に関することで、欧米では浴槽の湯につかりながら
身体を洗う(したがって、浴室の床は水が流せるようになっていない)
のだが、そんなことを知らない将兵の多くが日本流のやり方で入浴
したため、浴室の床を水浸しにしドイツ側の世話人をあわてさせたとか。

ドイツ週間ニュースより、
日本海軍潜水艦(第四次遣独艦伊号第二九潜水艦
と思われる)のフランス・ロリアン到着および日独将兵の
交歓会の様子など、貴重な映像。
この伊二九潜水艦は、Me163・Me262に関する秘密資料を
積み込んで日本に向かったが、バシー海峡でアメリカ潜水艦の
雷撃で沈没、事前に持ち出された一部資料(バシー海峡通過前に
シンガポールに寄港しており、その際資料の一部を日本へ空輸
している)を除き、すべて失われてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=AB29w7swVdY

東宝の怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』では、
オープニングで不死身の兵士を作るため、ドイツから日本へ
潜水艦でフランケンの心臓を輸送するというシーンがある。
謎めいた部分の多い遣独潜水艦作戦なので、こんな話もアリ
なのかと思う。

映画『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』より。
この映画の前半部分は、不気味な雰囲気のシーンが多い。
いまでは別にどうってことのないものだが、公開当時小学生
だった私は、映画館の大画面によって増幅された気味の悪さが
頭にこびりつき、長期間フランケンの悪夢に苦しめられた。

本編(前)
https://vimeo.com/59320371

本編(後)
https://vimeo.com/59538523


チョッとミステリーじみた話だが…

伊号第三三潜水艦は、数字の
「3」に絡んだ事故が多く発生した。
昭和17年9月、トラック島周辺の
珊瑚礁に衝突し艦首部分を
損傷するという事故が発生した。
工作船に横付けし海上で修理を
開始したが、艦の安定を失い
艦尾ハッチより大量の海水が
流れ込み沈没した。
艦は33m下の海底に横たわり、
33名の犠牲者がでた。

その後サルベージ作業が成功し、
広島県呉の海軍工廠で修理を受けた。

昭和19年6月13日、瀬戸内海の伊予灘で
急速潜航の訓練中に機関室に浸水し、60m下の
海底に沈んでしまった。
原因は、機関室につながる給気管の弁に木片が
はさまったまま潜行したため、そこから大量の海水が
流入し沈没したと推定されている。

艦長は非常手段としてハッチを開けさせ、乗組員を
脱出させようとした。2名が生還し、艦長を含む102名が
死亡した。

昭和28年7月、サルベージ作業により潜水艦は海上に
姿を現した。作業中に同艦が不安定な動きをするため、
艦首部分に浸水していない部屋があるのではないかと
予測されていた。
遺骨の収容が期待されていたため、マスコミも注目する
なかでの引き揚げだった。

調査の結果、前部魚雷発射管室は浸水していなかった。
艦内の排水作業が終了すると、この部屋につながっている
ハッチが開けられた。
ひとりの記者が、その室内に向けてカメラのフラッシュをたいた。
「アッ!」
戦慄が走った。
そこには、ひとりの人物が立っていたのだ!

‥いや、立っていたのではなかった。
首吊り自殺をした乗組員の遺体だった。
おそらく戦友たちが次々と死んで、最後に
ひとり残された彼は、絶望のあまり自殺したのだろう。

前部魚雷発射管室には、13体の遺体が
発見された。どれもが腐敗せずに死亡した
当時の姿で残っていた。

その後、この潜水艦は造船所で解体される
のだが、その作業中に前部魚雷発射管室に
立ち入った元海軍技術士官3名が、有毒ガスの
発生で死亡するという事件があった。
偶然の一致なのだろうが、「3」にまつわる
なんとも不思議な話ではある。

遣独潜水艦作戦のところでご紹介した
文藝春秋臨時増刊号に、この潜水艦の
引き揚げ記事も掲載されていた。






前部魚雷発射管室で発見された遺体。
腐敗はしておらず、死亡したときのままの
状態で残っていたという。
潜水艦沈没時に艦内から脱出し、助かった元乗組員の
ひとりがこの場に立ち会ったのだが、この信じられない
光景に動転したらしく、「おい、総員起こしだ」と叫んでは
起きろ、起きろと戦友たちの体を叩いていたそうだ。
吉村昭氏の著作の題名も、この元乗組員の言動に由来している。







これもなつかしいニチモ・イ19のボックスアート。


アラッ!なつかしい

レベル製品のコピーながら、輝かしき国産プラモ第一号とされているのが
この潜水艦。マルサンの原潜ノーチラスだ。
昭和33年リリースというから、もう50年以上前の出来事なのだ。

…オットット…脱線してしまった…




ドイツ海軍の高速魚雷艇Sボート。
連合国側の呼称であるEボートの表示に、
イギリスの頑固さを感じる。
アングロサクソン系の国々での販売を
考えると、Sボートという表示よりもEボートの方が
メジャーでなじみがあるということか。


MPC版Sボート。

対空戦闘中のSボート。
http://www.youtube.com/watch?v=l5pekB2uQOA&feature=related

戦ふSボート(音声なし)。
http://www.youtube.com/watch?v=sJqIJMhwq3k

これは珍しいSボートカラー映像。
http://www.youtube.com/watch?v=Yosme-SzeGY&NR=1

ドイツの軍艦マーチ『艦隊行進曲』。
重厚であり、かつ洗練された曲の雰囲気がエエぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=A72mML2Ss6E&feature=related

もうひとつのドイツ海軍代表的マーチ『我らの海軍』。
http://www.youtube.com/watch?v=uwaSLYIO7f8








1940年に就航した当時、世界最大の客船として
その威容を誇った。
乗客約2200名、スタッフ約1000名という定員数を
生かして、第二次世界大戦中は兵員輸送船として
活躍した。


豪華客船クイーン・エリザベスの2代目。
旅客機にお客を奪われたため、先代より
小型化して経済性を狙った。
フォークランド紛争では、イギリスの
兵員輸送船として活躍したことが知られている。







1907年に就航したイギリスの豪華客船モーリタニア。
第一次世界大戦中は、その人員輸送力を生かして
病院船や兵員輸送船として使用された。


1961年就航のイギリス客船キャンベラ。
フォークランド紛争では、クイーン・エリザベスⅡと
同様に兵員輸送船として使用された。








フリゲート艦アマゾン…といっても日本では知られていないが、
同型艦のアーデントやアンテロープといえば、1982年の
フォークランド紛争で沈没したイギリス艦艇として知られている。

フォークランド紛争におけるアマゾン級フリゲート艦アーデントの
被害映像。アルゼンチン機の爆撃により被弾炎上、のちに沈没した。
http://www.youtube.com/watch?v=XVS1YoGO058&feature=related

アルゼンチン軍機によるイギリス艦隊への攻撃と、アンテロープの爆発映像。
同艦は被弾後、不発弾の処理作業中爆発し大破、沈没した。
http://www.youtube.com/watch?v=fd-G896UMm8&feature=related


フォークランド紛争で出撃したイギリス艦艇のプラモ。
手前からフリゲート艦のリアンダー、アマゾン、右奥は
駆逐艦デヴォンシャー。

こちらはホンモノ
Wikipedia
リアンダー級フリゲート艦アポロ

Wikipedia
アマゾン級フリゲート艦アヴェンジャー

Wikipedia
デヴォンシャーと同型艦のカウンティ級駆逐艦ノーフォーク































現在「カティサーク」といえば、スコッチウイスキーを
連想してしまうが、こちらは19世紀に建造された
紅茶輸送用の快速帆船だ。
中国から輸出されたその年の一番茶は、イギリスでは
高額で取引されたため、船舶業者は輸送期間短縮を
競い合った。ただ、いくら「快速」とはいっても、
アフリカ喜望峰コースで約4ヶ月かかったらしい。
当時、スエズ運河は完成していたが、無風状態の
多い地域であったため、自走能力のない帆船は
航行できず、やがて台頭してきた蒸気船に紅茶輸送の
座を奪われてしまう。


チョー旧式な船だが、蒸気機関で自走できるところが
画期的。風任せの帆船が衰退するのが、ヨーわかる。


次回から、ヒコーキシリーズを
やりまんねん。






映画『頭上の敵機』をイメージさせるボックスアートだ。

次回の更新は、12月15日夜の予定。



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