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ハンマースホイ展

2008年10月31日 | Art

F log





上野動物園 へと向かう数時間前、上野駅公園口に降り立った。
改札左側の総合券売所でチケットを購入。
ひとりで国立西洋美術館に歩いてゆく。
東京文化会館の横を通る。そういえば最近バレエを観ていないなぁ。
次は来月の新国アラジンとシュトゥットガルトである。







ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情










大通りから見える大きな看板。
写真ではカットしたが、その下に大挙して中学生男女が大騒ぎをしている。
とても 「 静かなる詩情 」 という雰囲気ではない。
まさかこの集団が・・・













ロダンの 「 カレーの市民 」 を横目で見ながら美術館エントランスへ。


手持ちの可能性を探ると言いつつ、保険のために持ってきた一脚がセキュリティチェックに引っかかる。
「 すみません、長い棒状のものは・・・ 」
受付で一脚を預けて番号札をもらい、地下の展示会場へと向かう。






美術鑑賞に関してはまったくの初心者である。
よって美術史におけるハンマースホイの位置付けを俯瞰的に見ることなど不可能。
目の前の絵画について 「 好き、嫌い 」 レベルの話になることをご了承いただきたい。


ここで美術に造詣の深い諸先輩方のレビューを参考にリンク。


敬愛する徹人、バントウさん。 
  ヴィルヘルム・ハンマースホイ、一回め。
  2008/10/10 momoさんへの返信。


アートに舞台にバレエ、デジタルガジェットまで、アクティブな ogawama さん。
  ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情  


お二人とも共通しているのは、どうにも消耗する展覧会であるということ。
いや決して不満があってのことではない。
逆にどちらも絶賛されているのだが・・・
なにか初心者には難しそう、と多少ビビる。











展覧会は 6 つのパートに分かれている。


  Ⅰ. ある芸術家の誕生
  Ⅱ. 建築と風景
  Ⅲ. 肖像
  Ⅳ. 人のいる室内
  Ⅴ. 誰もいない室内
  Ⅵ. 同時代のデンマーク美術 ピーダ・イルステズとカール・ホルスーウ


最後のⅥは他者の作品であるので、実質は 5 パート。
代表作と呼ばれてフューチャーされているのはⅣ.とⅤ.である。
しかし F が気に入ってしまったのは、Ⅱ.の建築と風景なのである。











まず衝撃を受けたのは ≪農家≫


一見分かりやすそうな絵だが、見れば見るほど奇妙な感覚に陥る。
左右の壁は直角に交わっているのか? それとも平面なのか?
ひとつひとつはそうでなくても、絵全体で見るとほとほとわからん。
周辺の絵を一回りして再び戻ってきたほど。
入口から見えるほど近くの絵で、これほど悩むのでは先が思いやられる。













一連のクレスチャンスボー宮殿を描いた作品の中でいちばん好きな ≪ クレスチャンスボー宮殿の眺め ≫


ほとんど同じ構図の ≪ ~晩秋 ≫ と ≪ 雪の~ ≫ に比して、横に長い宮殿を描くこの縦構図に痺れた。
そして ≪ 雪の~ ≫ が、屋根、庇、橋桁、地面と満遍なく降り積もった雪を表現しているのに対し、
この絵での雪は屋根の上に見受けられるが、そもそもそれが雪なのかどうかも判然としない。
この寂寥感がたまらないなぁ。
曇天の明るい部分と暗い部分も、よく見ると何やら意味深に見えてくる。
そういう邪推も楽しめるのが好きなのだ。
屋根の向こうに見えるのは、隣接する運河に停泊する帆船の帆柱だそうだ。













これも宮殿の中の礼拝堂を描いた ≪ クレスチャンスボー宮殿の礼拝堂 ≫


初期の作品 ≪ 納屋のある風景 ≫ にも準ずる構図。
視界を遮るかのように横たわる宮殿。
奥にドーム型の礼拝堂が見えるが、全体像は計り知れない。
いかにも 「 絵 」 になる風景では決してない。
ハンマースホイが礼拝堂を描こうとした時、どのような意図でここを選んだのか気になる。
雪こそないが、この絵も曇天で非常に陰鬱である。
でも好き。













後期の 「 誰もいない室内 」 にも通じる ≪ リネゴーオンの大ホール ≫


解説にもあるように、まさに部屋の隅から撮影した広角レンズの絵である。
歴史的な建造物らしいが、当時は倉庫として使われていたそうだ。
その薄汚れた風情がモノトーンに近いくすんだ色で表現されている。
床板の描写も右側にいくほど霞んで分からなくなってくる。
そして唯一、開いているドアの隙間から次の間の光が見える。
そのわずかな動きで、人の存在を感じさせている。
これも相当好き。













コペンハーゲンのゲントフテ湖を描いた ≪ ゲントフテ湖、天気雨 ≫


ハンマースホイが青空を描いたりすると違和感を感じるくらい、時間が経っていないにもかかわらず洗脳されている(笑)
実物よりも暗く写っている。実際は湖上は陽光を反射してキラキラてと光っている。
木立の影を見ても分かるように天気雨である。
これもスクエアフォーマットに近い四角のキャンパスが目を引く。
画面の大部分を占める空、それも天気雨らしく明るさと降雨の暗さが同居したなんともいえぬ空。
これもたいへん好きな絵だ。
しかし個人蔵だそうだが、所有していても実際に家に飾るかはまた別の話(笑)













Ⅲ.もⅣ.もすっ飛ばしていきなりⅤ.から ≪ 居間に射す陽光Ⅲ ≫


奥さん ( の後姿 ) を描いた一連の作品や、住居の白い扉をモチーフにした作品群などはどうにも居心地がよくない。
住居の居間における光の移動を捉えたこの作品はとても好きである。
そのソファーの形も好みである。
通常壁に掛けられている絵画をハッキリ描写しないハンマースホイ唯一の、劇中劇ならぬ絵画中画。
気に入った6作品中、たったひとりの登場人物。
しかし誰がモデルなのかが明らかでないというところがまたそれらしい。
じっと作品の前で佇んでいると、光がゆっくり移動していくような錯覚に陥る。








この展覧会の目玉である、居住地の室内をありとあらゆる方向から描写した作品群。
そして妻であるイーダの、何故か後姿ばかりの作品。


どちらも見ていて感じるものはあるのだが、好きと公言できない何かが引っ掛かっている。
≪ コイン・コレクター ≫ は好きかなぁ。
これとて自分の家に飾るにはとても向かない絵である。





う~む、やはり諸先輩方が仰る通り一筋縄ではいかない・・・
見終わってかなり疲れた。
陰鬱な絵が多いからだけじゃないと思うが。
もう一度行けたら何かしら感ずるものが出てくるような気もしているが確証はない。
どうしたものかのう






画像はハンマースホイ展のカタログより。
トップ写真がそれだが、このカタログが出色の出来。
ていねいに作られ写真も豊富、読み物としても非常に充実している。
堅そうで柔らかい表紙もお気に入りなのだ。


しばらくはこれを眺めて過ごそう。
会期は 12 月 7 日までである。未見の方はぜひご覧いただきたい。





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4 コメント

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Unknown (ogawama)
2008-11-01 09:10:55
リンクありがとうございます、光栄です~♪
図録の写真も、さすがお上手ですね。
ハンマースホイはとっても天の邪鬼な画家で、美術界にあえて波風立てるような作品を発表していたとか。
でもどの作品もとても美しいと思うので、何とか自分なりに彼の世界をしっかりつかまえたい・・・。
と言うことで、また行きます!
返信する
ありがとうございます (F)
2008-11-02 00:12:17
ogawamaさん、こんばんわ。


勝手にリンク致しましてすみません
誰もいないコメント欄になるところ、コメントいただきありがとうございます。

天の邪鬼・・好きですね、自分もそうですから(笑)
私ももう一度は行ってみたいと思っています。
おそらく次はイーダの後姿も、誰もいない室内も正面から見られると思うのです
またogawamaさんのブログにレビューがupされるのを楽しみにしています!!


返信する
復活しました。 (バントウ)
2008-11-02 08:13:14
ブログの方でも復活せんといかんのですが、ひとまず。

ハンマースホイ、ご覧になったのですね。お疲れ様でした。
いっそわかりやすく陰鬱な絵であったら、こんなにも消耗しないハンマースホイ。
孤独、厭世、そんなことばのフロシキでうまいことくるまるようなら、やっぱりそんなに消耗しないハンマースホイ。
どっちも違うんですよね、やっぱし。

何回か展示会場を歩いてみて、あるフレーズには突き当たりました。
じょうずにまだこなれた表現ではないですが・・・「閉じよう、閉じようとする具体的な努力」。
開こう、開こうとあるのはつとめて今様の、芸術でもなんでも百般のありようだと思うんです。
でも、ハンマースホイはさかさま。
いかにして閉じた、どことも通じない、陽光さしこむ天窓だけの部屋のような、自分ひとりの美の空間を現出せしめるか。
この「美の空間」を「美の世界」としないのは、彼が世界のような広さ、「なにもかもがそこに」という広さを望まなかったんじゃないかと思うので。
多くを望まなかった作家だと思うのです。あまりにも多くを望まなかった。
ただの生活者、ときに表現者としてただ、静かに市井にあってもなお、彼の美は易々おびやかされるほどにデリケートで、得がたいものだったのでは。
広すぎる世界に、真摯にあらがってしまったんではないかと。

複数回訪れて、その回数ぶんきっちり泣かされた、すごい展覧会でした。
まだ行きますよ。何度だって行きますよ。
返信する
よかったです (F)
2008-11-02 22:42:16
バントウさん、こんばんわ。


鬼のかく乱ってヤツでしょうか(笑) 
とりあえず復活おめでとうございます

「閉じようとする努力」については、なんとなくはわかりますが・・・
普通のキレイな景色を描くために、その場所に赴くということはしない人ですね。
自分の生活の範囲内で描いている。
それをして引きこもりと矮小化してよいものやら、わかりません。

私ももう一度行ってみたいと思っています。
このとき足早に通り過ぎてしまった「人のいる室内」を再び見てどう感じるのか、自分でも興味があります。
バントウさんも、ご自身のブログでもうひとつエントリーお願いしますね。

返信する

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